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荀子 / 非十二子篇

若夫總方略,齊言行,壹統類,而群天下之英傑,而告之以大古,教之以至順,奧窔之間,簟席之上,斂然聖王之文章具焉,佛然平世之俗起焉,則六說者不能入也,十二子者不能親也。無置錐之地,而王公不能與之爭名,在一大夫之位,則一君不能獨畜,一國不能獨容,成名況乎諸侯,莫不願以為臣,是聖人之不得埶者也,仲尼子弓是也。一天下,財萬物,長養人民,兼利天下,通達之屬莫不從服,六說者立息,十二子者遷化,則聖人之得埶者,舜禹是也。

新字:若夫総方略,斉言行,壱統類,而群天下之英傑,而告之以大古,教之以至順,奥窔之間,簟席之上,斂然聖王之文章具焉,仏然平世之俗起焉,則六説者不能入也,十二子者不能親也。無置錐之地,而王公不能与之争名,在一大夫之位,則一君不能独畜,一国不能独容,成名況乎諸侯,莫不願以為臣,是聖人之不得埶者也,仲尼子弓是也。一天下,財万物,長養人民,兼利天下,通達之属莫不従服,六説者立息,十二子者遷化,則聖人之得埶者,舜禹是也。

書き下し

若(も)し夫(そ)れ方略を總べ、言行を齊(ととの)え、統類を壹にして、天下の英傑を群(あつ)め、之に告ぐるに大古を以てし、之を教うるに至順を以てせば、奧窔(おうよう)の間、簟席(てんせき)の上、斂然(れんぜん)として聖王の文章具(そな)わり、佛然(ふつぜん)として平世の俗起こらん。則ち六説の者も入る能わず、十二子の者も親しむ能わず。置錐(ちすい)の地無くとも、王公も之と名を爭う能わず。一大夫の位に在れば、則ち一君も獨り畜(やしな)う能わず、一國も獨り容るる能わず。名を成すこと諸侯に況(まさ)り、以て臣と為さんことを願わざるは莫し。是れ聖人の埶(せい)を得ざる者なり、仲尼・子弓是れなり。天下を一にし、萬物を財(さい)し、人民を長養し、天下を兼利すれば、通達の屬(ぞく)、從服せざるは莫く、六説の者は立ちどころに息(や)み、十二子の者は遷化せん。則ち聖人の埶を得たる者、舜・禹是れなり。

現代語訳

もし方策を統括し、言葉と行いを揃え、根本の筋道を一つに定め、天下の英傑を集め、いにしえの大道を告げ、この上なく道理にかなった教えを授けるならば、奥まった部屋の中、敷物の上に座しているだけでも、聖王の文化はそこに整い、太平の世の風習がわき起こるだろう。そうなれば、あの六つの説も入りこむ余地がなく、十二人の思想家も近づくことができない。錐(きり)を立てるほどの土地さえ持たなくとも、王侯もその名声を争えない。一大夫の地位にあれば、一人の君主が独り占めにすることも、一つの国が独り占めにすることもできない。その名声は諸侯にも勝り、臣として迎えたいと願わない者はいない。これが、権勢を得なかった聖人であり、孔子(仲尼)と子弓がそれである。天下を統一し、万物を用い、人民を養い育て、天下すべてに利益をもたらせば、道理をわきまえた者はみな従い、六つの説はたちどころに止み、十二人も改まるだろう。これが、権勢を得た聖人であり、舜と禹がそれである。

解説

批判が一巡したところで、荀子は対置すべき理想像を描きます。ここで示されるのは「権勢を得た聖人」と「権勢を得なかった聖人」という二つの型です。舜や禹は天下を治める地位を得て、実際に世を安んじました。一方、孔子や子弓は地位を得られませんでしたが、それでもなお、その名声と教えは王侯にすら奪えないものだったと荀子は言います。地位や権力がなくても、筋道を一つに定め、言行を一致させ、人を集めて教えを伝えるだけで、周囲におのずと秩序が生まれる。これが荀子の描く力です。私たちの多くも、大きな権限を持たない立場で働いています。それでも、言うことと行うことを揃え、判断の軸を一本通しておけば、周りは自然とついてきます。地位が人を動かすのではなく、筋の通った人格が人を動かすのだ、というのがこの段の励ましです。

この一句を、あなたの毎日に。

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