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荀子 / 非十二子篇

略法先王而不知其統,然而猶材劇志大,聞見雜博。案往舊造說,謂之五行,甚僻違而無類,幽隱而無說,閉約而無解。案飾其辭,而祇敬之,曰:此真先君子之言也。子思唱之,孟軻和之。世俗之溝猶瞀儒、嚾嚾然不知其所非也,遂受而傳之,以為仲尼子弓為茲厚於後世:是則子思孟軻之罪也。

新字:略法先王而不知其統,然而猶材劇志大,聞見雑博。案往旧造説,謂之五行,甚僻違而無類,幽隠而無説,閉約而無解。案飾其辞,而祇敬之,曰:此真先君子之言也。子思唱之,孟軻和之。世俗之溝猶瞀儒、嚾嚾然不知其所非也,遂受而伝之,以為仲尼子弓為茲厚於後世:是則子思孟軻之罪也。

書き下し

略(ほ)ぼ先王を法とするも其の統を知らず、然れども猶(な)お材劇(ざいげき)にして志大に、聞見雜博なり。往舊(おうきゅう)に案(よ)りて説を造り、之を五行と謂う。甚だ僻違(へきい)にして類無く、幽隱(ゆういん)にして説無く、閉約にして解無し。案(すなわ)ち其の辭を飾りて、之を祇敬(しけい)して曰く、此れ真に先君子の言なりと。子思(しし)之を唱え、孟軻(もうか)之に和す。世俗の溝猶瞀儒(こうゆうぼうじゅ)、嚾嚾然(かんかんぜん)として其の非とする所を知らず、遂に受けて之を傳え、以為(おも)えらく仲尼(ちゅうじ)・子弓(しきゅう)茲(こ)れが為に後世に厚しと。是れ則ち子思・孟軻の罪なり。

現代語訳

おおよそ先王を手本にしてはいるが、その根本の筋道を理解していない。それでいて才気は激しく、志は大きく、見聞は雑然と広い。古い言い伝えによりかかって説を作り上げ、これを五行と名づけた。きわめて偏っていて筋道の類例がなく、奥深いようでいて説明がなく、閉じこもっていて解き明かしがない。そのくせ言葉を飾り立て、うやうやしくこれを敬って、これこそ本当のいにしえの君子の言葉だ、と言う。子思(しし)がこれを唱え、孟軻(もうか)が唱和した。世間の物わかりの悪い学者たちは、がやがやと騒ぐばかりで何が誤りかも分からず、そのまま受け取って伝え、孔子(仲尼)や子弓の教えがこれによって後世に厚く伝わったのだと思いこんでいる。これこそ子思と孟軻の罪である。

解説

非十二子篇でもっとも有名で、もっとも波紋を呼んだ一段です。荀子は同じ儒家の内部、しかも孔子の孫とされる子思と、孟子(孟軻)を名指しで批判します。批判の核心は、彼らが先王を手本にしているように見えて、その根本の筋道を掴んでいないという点にあります。古い言い伝えに寄りかかって「五行」という説を立て、根拠を示さないまま言葉だけを飾り、権威づけしてしまった。しかも弟子たちはそれを疑わず、孔子の正統だと信じて伝えている。だからこそ罪は重い、というわけです。身内にこそ厳しい批判の刃を向ける姿勢は、学問の誠実さそのものです。私たちも、権威ある人の言葉や自分が属する集団の常識ほど検証せずに受け入れがちです。出どころと筋道を確かめる習慣は、外部からの情報より、むしろ内側の教えにこそ必要かもしれません。

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