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荀子 / 非十二子篇

尚法而無法,下脩而好作,上則取聽於上,下則取從於俗,終日言成文典,反紃察之,則倜然無所歸宿,不可以經國定分;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是慎到田駢也。

新字:尚法而無法,下脩而好作,上則取聴於上,下則取従於俗,終日言成文典,反紃察之,則倜然無所歸宿,不可以経国定分;然而其持之有故,其言之成理,足以欺惑愚眾:是慎到田駢也。

書き下し

法を尚(たっと)びて法無く、脩(しゅう)を下(いや)しみて作(さく)を好み、上(かみ)は則ち聽(ちょう)を上に取り、下(しも)は則ち從(じゅう)を俗に取り、終日言いて文典を成すも、反(かえ)って之を紃察(じゅんさつ)すれば、則ち倜然(てきぜん)として歸宿(きしゅく)する所無く、以て國を經(おさ)め分を定むべからず。然れども其の之を持するに故有り、其の之を言うに理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る。是れ慎到(しんとう)・田駢(でんべん)なり。

現代語訳

法を尊ぶと言いながら本当の法を持たず、身を修めることを軽んじて新奇な説を作ることを好む。上に対しては君主の意向に取り入り、下に対しては世俗の風潮に迎合する。一日中しゃべって立派な書物を書き上げても、よく調べてみればとりとめがなく、落ち着く先がない。これでは国を治め、人々の分限を定めることはできない。ところが、その主張には一応の根拠があり、言い分は理屈として成り立っているので、無知な民衆をだまし惑わせるには十分である。それが慎到(しんとう)と田駢(でんべん)である。

解説

ここで批判されるのは、法や勢いを重んじたとされる慎到と田駢です。荀子の指摘は手厳しく、彼らは「法を尊ぶ」と口では言うが、その中身となる基準を持っていないと言います。上には権力者の顔色をうかがい、下には世間の空気に合わせる。だから大量に語り、書物まで成すのに、突きつめると立脚点がない、というわけです。荀子が求めるのは、先王の道と礼義という揺るがない土台であり、そこから外れた議論は結局どこにも着地しないと見ています。この批判は、そのまま現代の私たちにも刺さります。上司にも顧客にも良い顔をして、資料だけは山ほど作る。けれど「で、結局どうしたいのか」が抜けている仕事は少なくありません。発言や成果物の量ではなく、自分は何を基準に判断しているのかを一本立てておくこと。それが荀子の言う「歸宿する所」です。

この一句を、あなたの毎日に。

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