荀子 / 非相篇
君子必辯。凡人莫不好言其所善,而君子為甚焉。是以小人辯言險,而君子辯言仁也。言而非仁之中也,則其言不若其默也,其辯不若其吶也。言而仁之中也,則好言者上矣,不好言者下也。故仁言大矣:起於上所以道於下,政令是也;起於下所以忠於上,謀救是也。故君子之行仁也無厭、志好之、行安之,樂言之;故言君子必辯。小辯不如見端,見端不如見本分。小辯而察,見端而明,本分而理;聖人士君子之分具矣。有小人之辯者,有士君子之辯者,有聖人之辯者:不先慮,不早謀,發之而當,成文而類,居錯遷徙,應變不窮,是聖人之辯者也。先慮之,早謀之,斯須之言而足聽,文而致實,博而黨正,是士君子之辯者也。聽其言則辭辯而無統,用其身則多詐而無功,上不足以順明王,下不足以和齊百姓,然而口舌之均,應唯則節,足以為奇偉偃卻之屬,夫是之謂姦人之雄。聖王起,所以先誅也,然後盜賊次之。盜賊得變,此不得變也。
新字:君子必弁。凡人莫不好言其所善,而君子為甚焉。是以小人弁言険,而君子弁言仁也。言而非仁之中也,則其言不若其黙也,其弁不若其吶也。言而仁之中也,則好言者上矣,不好言者下也。故仁言大矣:起於上所以道於下,政令是也;起於下所以忠於上,謀救是也。故君子之行仁也無厭、志好之、行安之,楽言之;故言君子必弁。小弁不如見端,見端不如見本分。小弁而察,見端而明,本分而理;聖人士君子之分具矣。有小人之弁者,有士君子之弁者,有聖人之弁者:不先慮,不早謀,発之而当,成文而類,居錯遷徙,応変不窮,是聖人之弁者也。先慮之,早謀之,斯須之言而足聴,文而致実,博而党正,是士君子之弁者也。聴其言則辞弁而無統,用其身則多詐而無功,上不足以順明王,下不足以和斉百姓,然而口舌之均,応唯則節,足以為奇偉偃却之属,夫是之謂姦人之雄。聖王起,所以先誅也,然後盗賊次之。盗賊得変,此不得変也。
書き下し
君子は必ず辯ず。凡そ人は其の善しとする所を言うを好まざるは莫し。而して君子は焉(これ)を甚だしと為す。是を以て小人の辯は言険(けん)にして、君子の辯は言仁なり。言いて仁の中(うち)に非ざれば、則ち其の言は其の黙するに若(し)かず、其の辯は其の吶(とつ)なるに若かず。言いて仁の中なれば、則ち言うを好む者は上にして、言うを好まざる者は下なり。故に仁言は大なり。上より起こりて以て下を道(みちび)く所以の者は、政令是れなり。下より起こりて以て上に忠なる所以の者は、謀救(ぼうきゅう)是れなり。故に君子の仁を行うや厭(あ)くこと無く、志は之を好み、行いは之に安んじ、之を言うを楽しむ。故に言う、君子は必ず辯ず、と。小辯は端を見(あら)わすに如かず、端を見わすは本分を見わすに如かず。小辯にして察、端を見わして明、本分にして理あらば、聖人・士君子の分具(そな)わる。小人の辯なる者有り、士君子の辯なる者有り、聖人の辯なる者有り。先に慮らず、早く謀らず、之を発して当たり、文を成して類し、居錯(きょそ)遷徙(せんし)して、変に応じて窮まらざるは、是れ聖人の辯なり。之を先に慮り、之を早く謀り、斯須(ししゅ)の言も聴くに足り、文にして実を致し、博にして党正なるは、是れ士君子の辯なり。其の言を聴けば則ち辞は辯にして統無く、其の身を用うれば則ち詐多くして功無く、上は以て明王に順うに足らず、下は以て百姓を和斉するに足らず。然れども口舌は均(ととの)い、応唯(おうい)は則ち節あり、以て奇偉偃卻(きいえんきゃく)の属と為すに足る。夫れ是れを之れ姦人の雄と謂う。聖王起これば、先ず誅する所以の者にして、然る後に盗賊之に次ぐ。盗賊は変ずるを得るも、此れは変ずるを得ざるなり。
現代語訳
君子は必ず語り論じる。人は誰でも自分がよいと思うことを語りたがるものだが、君子はとりわけそうである。だからこそ、小人の弁論は言葉が険しく、君子の弁論は言葉に仁がこもっている。語っても仁にかなっていないなら、その言葉は黙っているにも及ばず、その弁舌は口下手にも及ばない。語って仁にかなっているなら、語ることを好む者が上等で、語ることを好まない者は下である。だから仁のこもった言葉は偉大である。上から起こって下を導くもの、それが政令である。下から起こって上に忠を尽くすもの、それが助言や諫めである。だから君子は仁を行って飽きることがなく、心からこれを好み、行いはこれに落ち着き、語ることを楽しむ。だからこそ、君子は必ず語り論じる、というのである。細かい議論をするより物事の端緒を示すほうがよく、端緒を示すより根本の筋道を示すほうがよい。細かい議論は明察であり、端緒を示すのは明晰であり、根本の筋道は道理にかなっている。ここに聖人と士君子の区別が備わる。小人の弁論があり、士君子の弁論があり、聖人の弁論がある。前もって考えず、早くから策を練ることもなく、口を開けばそのまま的中し、筋の通った文となり、置きどころを移し変えながら、どんな変化にも応じて尽きることがない。これが聖人の弁論である。前もってよく考え、早くから策を練り、わずかな言葉でも聞くに値し、飾りがありながら実を伴い、博識でありながら筋が正しい。これが士君子の弁論である。その言葉を聞けば、言い回しは巧みだが筋が通っておらず、その人を用いれば、いつわりばかり多くて功がない。上は聡明な王に従うだけの力もなく、下は民をまとめ和らげる力もない。それでいて口先はよく回り、受け答えには調子があり、奇抜で人目を引く人物として通用してしまう。これを姦人の雄、悪人の中の傑物という。聖王が現れれば、まっさきに誅されるのがこの手の者であり、盗賊はその次である。盗賊はまだ改心して変わることができるが、この者は変わることができないからである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・非相篇凡そ言、先王に合わず、礼義に順わざる、之を姦言と謂う。辯(べん)ずと雖も、君子は聴かず。先王に法(のっと)り、礼義に順い、学者に党(くみ)す。然れども言うを好まず、言うを楽しまざれば、則ち必ず誠士に非ざるなり。故に君子の言に於けるや、志は之を好み、行いは之に安んじ、之を言うを楽しむ。故に君子は必ず辯ず。凡そ人は其の善しとする所を言うを好まざるは莫し。而して君子を甚だしと為す。故に人に贈るに言を以てするは、金石珠玉よりも重し。人に観(しめ)すに言を以てするは、黼黻文章(ほふつぶんしょう)よりも美なり。人に聴かしむるに言を以てするは、鐘鼓琴瑟(しょうこきんしつ)よりも楽し。故に君子の言に於けるや厭(あ)くこと無し。鄙夫は是に反す。其の実を好みて其の文を恤(うれ)えず。是を以て終身埤汙(ひお)傭俗を免れず。故に易に曰く、「嚢(ふくろ)を括(くく)れば咎(とが)も無く誉も無し」と。腐儒の謂いなり。
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荀子・非十二子篇信を信とするは信なり、疑を疑とするも亦(また)信なり。賢を貴ぶは仁なり、不肖を賤しむも亦仁なり。言いて當(あた)るは知なり、默して當るも亦知なり。故に默を知るは猶(な)お言を知るがごとし。故に多く言いて類(るい)するは聖人なり、少なく言いて法あるは君子なり。多少法無くして流湎然(りゅうめんぜん)たるは、辯なりと雖(いえど)も小人なり。故に力を勞して民の務めに當らざる、之を姦事と謂う。知を勞して先王に律(のっと)らざる、之を姦心と謂う。辯説譬諭(へんせつひゆ)、齊給便利にして禮義に順(したが)わざる、之を姦説と謂う。此の三姦は、聖王の禁ずる所なり。知にして險、賊にして神、詐(いつわり)を為して巧み、言用無くして辯、辯惠ならずして察なるは、治の大殃(たいおう)なり。行(おこな)い辟(よこしま)にして堅く、非を飾りて好(よ)しとし、姦を玩(もてあそ)びて澤(たく)あり、言辯にして逆なるは、古の大禁なり。知ありて法無く、勇にして憚(はばか)る無く、察辯にして僻(へき)を操り、淫大にして之を用い、姦を好みて衆と與(とも)にし、利足にして迷い、石を負いて墜つるは、是れ天下の棄つる所なり。
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荀子・大略篇多く言ひて類するは、聖人なり。少なく言ひて法るは、君子なり。多く言ひて法無く、而して流湎(りゅうべん)然たるは、辯ずと雖も、小人なり。
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荀子・正名篇辞譲の節得たり、長少の理順えり。忌諱称せず、祅辞出でず。仁心を以て説き、学心を以て聴き、公心を以て辨ず。衆人の非誉に動かず、観る者の耳目を治めず、貴き者の権埶に賂わず、伝辟者の辞を利とせず。故に能く道に処りて弐ならず、咄せらるるも奪われず、利あるも流れず、公正を貴びて鄙争を賤しむ。是れ士君子の辨説なり。詩に曰く、「長夜漫たり、永く思うて騫てるかと、大古を慢らず、礼義に愆らざれば、何ぞ人の言を恤えんや」と。此れ之を謂うなり。
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荀子・君子篇法を聖王に論(と)れば、則ち貴ぶ所を知り、義を以て事を制すれば、則ち利する所を知る。論(ろん)に貴ぶ所を知れば、則ち養う所を知り、事に利する所を知れば、則ち動きて出づる所を知る。二者は是非の本、得失の原なり。故に成王の周公に於けるや、往く所として聽かざる無きは、貴ぶ所を知ればなり。桓公の管仲に於けるや、國事往く所として用いざる無きは、利する所を知ればなり。吳に伍子胥(ごししょ)有れども用うる能わず、國亡ぶに至るは、道に倍(そむ)き賢を失えばなり。故に聖を尊ぶ者は王たり、賢を貴ぶ者は霸たり、賢を敬する者は存し、賢を慢(あなど)る者は亡ぶ。古今一なり。故に賢を尚(たっと)び、能を使い、貴賤を等しくし、親疏を分かち、長幼を序するは、此れ先王の道なり。故に賢を尚び能を使えば、則ち主尊く下安し。貴賤に等有れば、則ち令行われて流れず。親疏に分有れば、則ち施行われて悖(もと)らず。長幼に序有れば、則ち事業捷(すみ)やかに成りて休(いこ)う所有り。故に仁とは此れを仁(いつく)しむ者なり。義とは此れを分かつ者なり。節とは此れに死生する者なり。忠とは此れを惇慎(とんしん)する者なり。此れを兼ねて之を能くすれば備われり。備わりて矜(ほこ)らず、一(もっぱ)ら自ら善くする、之を聖と謂う。矜らず、夫れ故に天下之と能を爭わずして、善く其の功を用うるを致す。有りて有(ゆう)とせず、夫れ故に天下の貴(とうと)ぶ所と為るなり。詩に曰く、「淑人(しゅくじん)君子、其の儀忒(たが)わず。其の儀忒わず、是の四國を正す」と。此れ之れの謂いなり。
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荀子・正名篇凡そ邪説辟言の正道を離れて擅に作る者は、三惑に類せざるもの無し。故に明君は其の分を知りて之と辨ぜざるなり。夫れ民は一にするに道を以てし易くして、与に故を共にすべからず。故に明君は之に臨むに勢を以てし、之を道びくに道を以てし、之を申ぬるに命を以てし、之を章かにするに論を以てし、之を禁ずるに刑を以てす。故に其の民の道に化するや神の如し、辨埶悪くんぞ用いんや。今聖王没し、天下乱れ、姦言起こり、君子に之に臨むの埶無く、之を禁ずるの刑無し、故に辨説あるなり。実喩らず、然る後に命じ、命じて喩らず、然る後に期し、期して喩らず、然る後に説き、説きて喩らず、然る後に辨ず。故に期・命・辨・説なる者は、用の大文にして、王業の始めなり。名聞こえて実喩るは、名の用なり。累ねて文を成すは、名の麗なり。用と麗と倶に得る、之を名を知ると謂う。名なる者は、実を期し累ぬる所以なり。辞なる者は、異実の名を兼ねて以て一意を論ずるなり。辨説なる者は、実名を異にせずして以て動静の道を喩すなり。期命なる者は、辨説の用なり。辨説なる者は、心の道を象るなり。心なる者は、道の工宰なり。道なる者は、治の経理なり。心は道に合し、説は心に合し、辞は説に合す。名を正して期し、質請にして喩り、異を辨じて過たず、類を推して悖らず。聴けば則ち文に合し、辨ずれば則ち故を尽くす。正道を以て姦を辨ずるは、猶お縄を引きて曲直を持するがごとし。是の故に邪説も乱すこと能わず、百家も竄るる所無し。兼聴の明有りて、矜奮の容無く、兼覆の厚有りて、伐徳の色無し。説行わるれば則ち天下正しく、説行われざれば則ち道を白らかにして冥窮す。是れ聖人の辨説なり。詩に曰く、「顒顒卬卬たり、圭の如く璋の如し、令聞令望あり、豈弟たる君子は、四方の綱と為る」と。此れ之を謂うなり。
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