荀子 / 非相篇
古者桀紂長巨姣美,天下之傑也。筋力越勁,百人之敵也,然而身死國亡,為天下大僇,後世言惡,則必稽焉。是非容貌之患也,聞見之不眾,論議之卑爾。今世俗之亂君,鄉曲之儇子,莫不美麗姚冶,奇衣婦飾,血氣態度擬於女子;婦人莫不願得以為夫,處女莫不願得以為士,棄其親家而欲奔之者,比肩並起;然而中君羞以為臣,中父羞以為子,中兄羞以為弟,中人羞以為友;俄則束乎有司,而戮乎大市,莫不呼天啼哭,苦傷其今,而後悔其始,是非容貌之患也,聞見之不眾,而論議之卑爾!然則,從者將孰可也!
新字:古者桀紂長巨姣美,天下之傑也。筋力越勁,百人之敵也,然而身死国亡,為天下大僇,後世言悪,則必稽焉。是非容貌之患也,聞見之不衆,論議之卑爾。今世俗之乱君,郷曲之儇子,莫不美麗姚冶,奇衣婦飾,血気態度擬於女子;婦人莫不願得以為夫,処女莫不願得以為士,棄其親家而欲奔之者,比肩並起;然而中君羞以為臣,中父羞以為子,中兄羞以為弟,中人羞以為友;俄則束乎有司,而戮乎大市,莫不呼天啼哭,苦傷其今,而後悔其始,是非容貌之患也,聞見之不衆,而論議之卑爾!然則,従者将孰可也!
書き下し
古者、桀・紂は長巨姣美(ちょうきょこうび)にして、天下の傑なり。筋力越勁(えつけい)にして、百人の敵なり。然れども身死し国亡び、天下の大僇(たいりく)と為り、後世悪を言えば、則ち必ず焉(これ)に稽(かんが)う。是れ容貌の患いに非ざるなり。聞見の衆(おお)からず、論議の卑しきのみ。今、世俗の乱君、郷曲の儇子(けんし)、美麗姚冶(ようや)ならざるは莫く、奇衣婦飾にして、血気態度は女子に擬(なぞら)う。婦人は得て以て夫と為さんことを願わざるは莫く、処女は得て以て士と為さんことを願わざるは莫し。其の親家を棄てて之に奔らんと欲する者、肩を比べて並び起こる。然れども中君は羞じて以て臣と為し、中父は羞じて以て子と為し、中兄は羞じて以て弟と為し、中人は羞じて以て友と為す。俄かにして則ち有司に束ねられ、大市に戮(りく)せらる。天を呼び啼哭(ていこく)して、其の今を苦傷し、而して其の始めを後悔せざるは莫し。是れ容貌の患いに非ざるなり、聞見の衆からず、論議の卑しきのみ。然らば則ち、従う者は将(は)た孰(いず)れをか可とせん。
現代語訳
昔、桀王と紂王は背が高く堂々とした美男であり、天下でも際立った男ぶりであった。筋力もずばぬけて強く、百人を相手にできるほどだった。それでも身は殺され国は滅び、天下の大罪人となり、後世に悪を語るときには必ず彼らが引き合いに出される。これは容貌のせいで招いた災いではない。見聞が狭く、考えることが卑しかったからにすぎない。今の世の乱れた君主や、村里の軽薄な若者たちを見ると、みな美しく艶やかで、風変わりな衣服を着て女のように飾り立て、雰囲気も態度も女性を真似ている。女たちは誰もが夫にしたいと願い、娘たちは誰もが自分の男にしたいと願う。親や家を捨てて彼らのもとへ走ろうとする者が、肩を並べて次々に現れる。それでいて、並みの君主でさえ彼らを家臣にするのを恥じ、並みの父でさえ息子にするのを恥じ、並みの兄でさえ弟にするのを恥じ、並みの人でさえ友にするのを恥じる。やがて役人に縄をかけられ、大きな市場で処刑される。誰もが天に叫び泣きわめき、今の身の上を嘆き、初めの行いを後悔する。これもまた容貌のせいで招いた災いではない。見聞が狭く、考えることが卑しかったからにすぎない。とすれば、私に従う者よ、あなたたちはどちらをよしとするのか。
解説
この章句が説くこと
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荀子・非相篇蓋(けだ)し帝堯は長く、帝舜は短し。文王は長く、周公は短し。仲尼は長く、子弓は短し。昔者(むかし)衛の霊公に臣有り、公孫呂と曰う。身の長け七尺、面の長さ三尺、額の広さ三寸、鼻目耳具わりて、名は天下を動かす。楚の孫叔敖(そんしゅくごう)は、期思(きし)の鄙人(ひじん)なり。突禿(とつとく)にして長左、軒較(けんかく)の下なるも、而も以て楚を覇たらしむ。葉公子高(しょうこうしこう)は、微小短瘠(たんせき)にして、行くこと其の衣に勝(た)えざらんとするが若く然り。白公の乱には、令尹の子西、司馬の子期、皆な焉(ここ)に死す。葉公子高、入りて楚に拠り、白公を誅し、楚国を定むること、手を反(かえ)すが如きのみ。仁義功名、後世に善し。故に事は長を揣(はか)らず、大を揳(はか)らず、軽重を権(はか)らず、亦た将(は)た志に乎(お)いてせんかな。長短大小、美悪の形相、豈に論ぜんや。且つ徐偃王(じょえんおう)の状は、目、馬を瞻(み)るべし。仲尼の状は、面は蒙倛(もうき)の如し。周公の状は、身は断菑(だんし)の如し。皋陶(こうよう)の状は、色は削瓜(さくか)の如し。閎夭(こうよう)の状は、面に膚を見る無し。傅説(ふえつ)の状は、身は植鰭(しょくき)の如し。伊尹(いいん)の状は、面に須麋(しゅび)無し。禹は跳(は)ね、湯は偏(かた)よる。堯・舜は参牟子(さんぼうし)なり。従う者は将た志意を論じ、類を比べて文学せんとするか。直(た)だ将た長短を差し、美悪を辨じて、相い欺傲(きごう)せんとするか。
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荀子・解蔽篇昔、人君の蔽われし者は、夏の桀・殷の紂是れなり。桀は末喜・斯観に蔽われて、関竜逢を知らず、以て其の心を惑わし、其の行いを乱る。紂は妲己・飛廉に蔽われて、微子啓を知らず、以て其の心を惑わし、其の行いを乱る。故に群臣は忠を去りて私に事え、百姓は怨み非りて用いられず、賢良は退き処りて隠れ逃る。此れ其の九牧の地を喪いて、宗廟の国を虚しくせし所以なり。桀は鬲山に死し、紂は赤旆に県らる。身は先に知らず、人も又た之を諫むる莫し。此れ蔽塞の禍なり。成湯は夏桀に鑒みて、故に其の心を主として慎みて之を治む。是を以て能く長く伊尹を用いて、身、道を失わず。此れ其の夏に代わりて王たり九有を受けし所以なり。文王は殷紂に監みて、故に其の心を主として慎みて之を治む。是を以て能く長く呂望を用いて、身、道を失わず。此れ其の殷に代わりて王たり九牧を受けし所以なり。遠方も其の珍を致さざるは莫し。故に目は備色を視、耳は備声を聴き、口は備味を食らい、形は備宮に居り、名は備号を受け、生ければ則ち天下歌い、死すれば則ち四海哭す。夫れ是れを之れ至盛と謂う。詩に曰く、鳳凰は秋秋たり、其の翼は干の若く、其の声は簫の若し。鳳有り凰有り、帝の心を楽しましむ、と。此れ蔽われざるの福なり。
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荀子・非相篇人を相(そう)するは、古の人には有る無きなり、学者は道(い)わざるなり。古者(いにしえ)姑布子卿(こふしけい)有り、今の世、梁に唐挙(とうきょ)有り。人の形状顔色を相して、其の吉凶妖祥を知る。世俗之を称す。古の人には有る無きなり、学者は道わざるなり。故に形を相するは心を論ずるに如かず、心を論ずるは術を択ぶに如かず。形は心に勝たず、心は術に勝たず。術正しくして心之に順えば、則ち形相悪しと雖も心術は善し、君子為(た)るに害無きなり。形相善しと雖も心術悪しければ、小人為るに害無きなり。君子、之を吉と謂い、小人、之を凶と謂う。故に長短小大、善悪の形相は、吉凶に非ざるなり。古の人には有る無きなり、学者は道わざるなり。
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荀子・彊国篇荀卿子、斉の相に説きて曰く、人に勝つの埶に処り、人に勝つの道を行えば、天下忿る莫し、湯武是れなり。人に勝つの埶に処りて、人に勝つの道を以てせざれば、天下を有つの埶に厚きも、匹夫たらんことを索むるも得べからず、桀紂是れなり。然らば則ち人に勝つの埶を得る者は、其の人に勝つの道に如かざること遠し。夫れ主相なる者は、人に勝つに埶を以てするなり。是を是と為し、非を非と為し、能を能と為し、不能を不能と為し、己の私欲を併せ、必ず道を以てす。夫れ公道通義の以て相い兼容すべき者は、是れ人に勝つの道なり。今、相国は上は則ち主を専らにするを得、下は則ち国を専らにするを得たり。相国の人に勝つの埶に於けるは、亶に之れ有り。然らば則ち胡ぞ此の人に勝つの埶を敺りて、人に勝つの道に赴き、仁厚明通の君子を求めて王を託せざる。之と国政に参じ、是非を正さんか。是くの如くなれば、則ち国、孰か敢えて義を為さざらんや。君臣上下、貴賤長少、庶人に至るまで、義を為さざる莫くんば、則ち天下、孰か義に合わんことを欲せざらんや。賢士は相国の朝を願い、能士は相国の官を願い、利を好むの民も以て斉を帰と為さんことを願わざる莫し。是れ天下を一にするなり。相国、是れを舎きて為さず、案に直だ是の世俗の為す所以を為さば、則ち女主は之の宮を乱し、詐臣は之の朝を乱し、貪吏は之の官を乱し、衆庶百姓は皆な争奪貪利を以て俗と為さん。曷ぞ是くの若くにして以て国を持すべけんや。今、巨楚は吾が前に県り、大燕は吾が後を鰌み、勁魏は吾が右を鉤し、西壤の絶えざること縄の若く、楚人は乃ち襄賁・開陽有りて以て吾が左に臨む。是れ一国謀を作さば、則ち三国必ず起ちて我に乗ぜん。是くの如くなれば、則ち斉は必ず断たれて四三と為り、国は仮城の若くならんのみ。必ず天下の大笑いと為らん。曷ぞ両者、孰れか為すに足れるや。夫れ桀紂は、聖王の後の子孫なり、天下を有つ者の世なり。埶籍の存する所、天下の宗室なり。土地の大、封内千里、人の衆きこと数うるに億万を以てす。俄かにして天下は倜然として挙りて桀紂を去りて湯武に奔り、反然として挙りて桀紂を悪みて湯武を貴べり。是れ何ぞや。夫れ桀紂は何をか失いて、湯武は何をか得たるや。曰く、是れ它の故無し。桀紂なる者は善く人の悪む所を為し、湯武なる者は善く人の好む所を為せばなり。人の悪む所とは何ぞや。曰く、汙漫・争奪・貪利是れなり。人の好む所とは何ぞや。曰く、礼義・辞譲・忠信是れなり。今、人に君たる者、譬え称え比べ方るれば則ち自ら湯武に並ばんと欲するも、其の之を統ぶる所以の若きは、則ち桀紂に異なる無くして、湯武の功名有らんことを求む、可ならんや。故に凡そ勝を得る者は、必ず人と与にす。凡そ人を得る者は、必ず道と与にす。道なる者とは何ぞや。曰く、礼義・辞譲・忠信是れなり。故に四五万より往く者、彊勝は衆の力に非ざるなり、隆は信に在り。数百里より往く者、安固は大の力に非ざるなり、隆は政を脩むるに在り。今、已に数万の衆を有つ者なり、陶誕比周して以て与を争う。已に数百里の国を有つ者なり、汙漫突盗して以て地を争う。然らば則ち是れ己の安彊とする所を棄てて、己の危弱と為る所以を争うなり。己の足らざる所を損じて、以て己の余り有る所を重くするなり。是くの若き其の悖繆にして、湯武の功名有らんことを求む、可ならんや。之を辟うれば、是れ猶お伏して天を咶め、経を救わんとして其の足を引くがごとし。説は必ず行われず、務むるに愈いよにして愈いよ遠ざかる。人の臣たる者、己の行いの行われざるを恤えず、苟くも利を得んのみとせば、是れ渠衝もて穴に入りて利を求むるなり、是れ仁人の羞じて為さざる所なり。故に人は生より貴きは莫く、安きより楽しきは莫し。生を養い安楽ならしむる所以の者は、礼義より大なるは莫し。人、生を貴び安きを楽しむを知りて礼義を棄つるは、之を辟うれば、是れ猶お寿からんことを欲して頸を歾らんとするがごとし。愚として焉より大なるは莫し。故に人に君たる者は、民を愛して安く、士を好みて栄ゆ。両つの者一を亡えば焉ち亡ぶ。詩に曰く、价人は維れ藩、大師は維れ垣、と。此れを之れ謂うなり。
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荀子・正論篇故に君子は埶辱有るべきも、義辱有るべからず。小人は埶栄有るべきも、義栄有るべからず。埶辱有るも堯たるに害無く、埶栄有るも桀たるに害無し。義栄・埶栄は、唯だ君子にして然る後に兼ねて之を有す。義辱・埶辱は、唯だ小人にして然る後に兼ねて之を有す。是れ栄辱の分なり。聖王は以て法と為し、士大夫は以て道と為し、官人は以て守と為し、百姓は以て俗を成し、万世も易(か)うる能わざるなり。
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荀子・正論篇故に天子は唯だ其の人のみ。天下なる者は、至重なり、至彊に非ざれば之を能く任ずる莫し。至大なり、至辨に非ざれば之を能く分かつ莫し。至衆なり、至明に非ざれば之を能く和する莫し。此の三至なる者は、聖人に非ざれば之を能く尽くす莫し。故に聖人に非ざれば之を能く王たる莫し。聖人は道を備え美を全うする者なり、是れ天下を県くるの権称なり。桀紂なる者は、其の志慮至険なり、其の志意至闇なり、其の行為至乱なり。親しき者之を疏んじ、賢なる者之を賤しみ、生民之を怨む。禹湯の後なり、而も一人の与するを得ず。比干を刳き、箕子を囚え、身死し国亡び、天下の大僇と為り、後世の悪を言う者は必ず焉に稽う。是れ妻子をも容れざるの数なり。故に至賢は四海に疇たり、湯武是れなり。至罷は妻子を容るる能わず、桀紂是れなり。今、世俗の説を為す者、桀紂を以て天下を有つと為して、湯武を臣とす。豈に過ぎたること甚だしからずや。之を譬うれば、是れ猶お傴巫跛匡の大いに自ら以て知有りと為すがごときなり。
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