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荀子 / 非相篇

蓋帝堯長,帝舜短;文王長,周公短;仲尼長,子弓短。昔者衛靈公有臣曰公孫呂,身長七尺,面長三尺,焉廣三寸,鼻目耳具,而名動天下。楚之孫叔敖,期思之鄙人也,突禿長左,軒較之下,而以楚霸。葉公子高,微小短瘠,行若將不勝其衣然。白公之亂也,令尹子西,司馬子期,皆死焉,葉公子高入據楚,誅白公,定楚國,如反手爾,仁義功名善於後世。故事不揣長,不揳大,不權輕重,亦將志乎爾。長短大小,美惡形相,豈論也哉!且徐偃王之狀,目可瞻馬。仲尼之狀,面如蒙倛。周公之狀,身如斷菑。皋陶之狀,色如削瓜。閎夭之狀,面無見膚。傅說之狀,身如植鰭。伊尹之狀,面無須麋。禹跳湯偏。堯舜參牟子。從者將論志意,比類文學邪?直將差長短,辨美惡,而相欺傲邪?

新字:蓋帝堯長,帝舜短;文王長,周公短;仲尼長,子弓短。昔者衛靈公有臣曰公孫呂,身長七尺,面長三尺,焉広三寸,鼻目耳具,而名動天下。楚之孫叔敖,期思之鄙人也,突禿長左,軒較之下,而以楚覇。葉公子高,微小短瘠,行若将不勝其衣然。白公之乱也,令尹子西,司馬子期,皆死焉,葉公子高入拠楚,誅白公,定楚国,如反手爾,仁義功名善於後世。故事不揣長,不揳大,不権輕重,亦将志乎爾。長短大小,美悪形相,豈論也哉!且徐偃王之状,目可瞻馬。仲尼之状,面如蒙倛。周公之状,身如断菑。皋陶之状,色如削瓜。閎夭之状,面無見膚。傅説之状,身如植鰭。伊尹之状,面無須麋。禹跳湯偏。堯舜参牟子。従者将論志意,比類文學邪?直将差長短,辨美悪,而相欺傲邪?

書き下し

蓋(けだ)し帝堯は長く、帝舜は短し。文王は長く、周公は短し。仲尼は長く、子弓は短し。昔者(むかし)衛の霊公に臣有り、公孫呂と曰う。身の長け七尺、面の長さ三尺、額の広さ三寸、鼻目耳具わりて、名は天下を動かす。楚の孫叔敖(そんしゅくごう)は、期思(きし)の鄙人(ひじん)なり。突禿(とつとく)にして長左、軒較(けんかく)の下なるも、而も以て楚を覇たらしむ。葉公子高(しょうこうしこう)は、微小短瘠(たんせき)にして、行くこと其の衣に勝(た)えざらんとするが若く然り。白公の乱には、令尹の子西、司馬の子期、皆な焉(ここ)に死す。葉公子高、入りて楚に拠り、白公を誅し、楚国を定むること、手を反(かえ)すが如きのみ。仁義功名、後世に善し。故に事は長を揣(はか)らず、大を揳(はか)らず、軽重を権(はか)らず、亦た将(は)た志に乎(お)いてせんかな。長短大小、美悪の形相、豈に論ぜんや。且つ徐偃王(じょえんおう)の状は、目、馬を瞻(み)るべし。仲尼の状は、面は蒙倛(もうき)の如し。周公の状は、身は断菑(だんし)の如し。皋陶(こうよう)の状は、色は削瓜(さくか)の如し。閎夭(こうよう)の状は、面に膚を見る無し。傅説(ふえつ)の状は、身は植鰭(しょくき)の如し。伊尹(いいん)の状は、面に須麋(しゅび)無し。禹は跳(は)ね、湯は偏(かた)よる。堯・舜は参牟子(さんぼうし)なり。従う者は将た志意を論じ、類を比べて文学せんとするか。直(た)だ将た長短を差し、美悪を辨じて、相い欺傲(きごう)せんとするか。

現代語訳

そもそも堯帝は背が高く、舜帝は低かった。周の文王は高く、周公は低かった。孔子は高く、その弟子の子弓は低かった。昔、衛の霊公に公孫呂という家臣がいた。身の丈は七尺、顔の長さは三尺、額の広さはわずか三寸という異相であったが、鼻も目も耳もそろっていて、その名は天下を動かした。楚の孫叔敖は、期思という田舎の出で、頭ははげ上がり左半身が長く、車の手すりより低いほどの小男であったが、楚を覇者に押し上げた。葉公子高は小柄でやせ細り、歩けば着物の重さにも耐えられないように見えた。だが白公の乱が起き、宰相の子西も司馬の子期もそこで死んだとき、葉公子高は都に入って楚を押さえ、白公を討ち、楚の国を安定させた。それは手のひらを返すほど造作もないことであった。その仁義と功名は後世に称えられている。だから物事は、背の高さを測ったり、体の大きさを測ったり、軽い重いを量ったりするものではない。見るべきはその志ではないか。背の高い低い、体の大小、顔かたちの美醜など、どうして論じる値打ちがあろうか。そのうえ徐の偃王の姿は、目が突き出て馬まで見下ろせたという。孔子の顔は、鬼を追う祭りの面のようだった。周公の体は、折れた枯れ木のようだった。皋陶の顔色は、皮をむいた瓜のようだった。閎夭の顔は、毛におおわれて肌が見えなかった。傅説の体は、ひれを立てたようだった。伊尹の顔にはひげも眉もなかった。禹は足を引きずって歩き、湯王は半身が不自由だった。堯と舜は瞳が重なって見えたという。私に従う者よ、志のありようを論じ、道理を比べて学ぼうとするのか。それとも、ただ背の高さを比べ、美醜を見分けて、たがいにあざけり合おうというのか。

解説

ここで荀子は、歴史上の人物を次々に並べ、実例で勝負します。堯は長身で舜は小柄、文王は長身で周公は小柄、孔子は長身で子弓は小柄。功績と体格には何の関係もないと示すのです。楚の孫叔敖ははげ頭の小男の田舎者でありながら国を覇者に押し上げ、葉公子高は着物の重さにも耐えられないほど痩せた小柄な人物でありながら、白公の乱で国を救いました。さらに荀子は、聖人たちの容貌がいかに人並み外れていたかを容赦なく並べ立てます。孔子は祭りの面のような顔、周公は折れた枯れ木のような体、伊尹には眉もひげもなかった。そのうえで問いかけます。あなたたちは志を論じるのか、それとも背の高さを比べて笑い合うのか、と。第一印象で人を値踏みする習慣は今も根強いものです。この段は、見るべきは志と中身だという当たり前を、実例の力で突きつけてきます。

この一句を、あなたの毎日に。

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