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荀子 / 非相篇

相人,古之人無有也,學者不道也。古者有姑布子卿,今之世梁有唐舉,相人之形狀顏色,而知其吉凶妖祥,世俗稱之。古之人無有也,學者不道也。故相形不如論心,論心不如擇術;形不勝心,心不勝術;術正而心順之,則形相雖惡而心術善,無害為君子也。形相雖善而心術惡,無害為小人也。君子之謂吉,小人之謂凶。故長短小大,善惡形相,非吉凶也。古之人無有也,學者不道也。

新字:相人,古之人無有也,學者不道也。古者有姑布子卿,今之世梁有唐舉,相人之形状顏色,而知其吉凶妖祥,世俗稱之。古之人無有也,學者不道也。故相形不如論心,論心不如択術;形不勝心,心不勝術;術正而心順之,則形相雖悪而心術善,無害為君子也。形相雖善而心術悪,無害為小人也。君子之謂吉,小人之謂凶。故長短小大,善悪形相,非吉凶也。古之人無有也,學者不道也。

書き下し

人を相(そう)するは、古の人には有る無きなり、学者は道(い)わざるなり。古者(いにしえ)姑布子卿(こふしけい)有り、今の世、梁に唐挙(とうきょ)有り。人の形状顔色を相して、其の吉凶妖祥を知る。世俗之を称す。古の人には有る無きなり、学者は道わざるなり。故に形を相するは心を論ずるに如かず、心を論ずるは術を択ぶに如かず。形は心に勝たず、心は術に勝たず。術正しくして心之に順えば、則ち形相悪しと雖も心術は善し、君子為(た)るに害無きなり。形相善しと雖も心術悪しければ、小人為るに害無きなり。君子、之を吉と謂い、小人、之を凶と謂う。故に長短小大、善悪の形相は、吉凶に非ざるなり。古の人には有る無きなり、学者は道わざるなり。

現代語訳

人相を見るということは、昔の人はしなかったし、学者も語らない。昔には姑布子卿という人相見がおり、今の世では梁の国に唐挙がいる。人の姿かたちや顔色を見て、その人の吉凶や災いと幸いを言い当てる。世間の人はこれをもてはやす。しかし昔の人はこんなことをしなかったし、学者も語らない。だから、姿かたちを見るより心のありようを論じるほうがよく、心を論じるより、その人が選び取った生き方の筋道を見るほうがよい。姿かたちは心に勝てず、心は生き方の筋道に勝てない。筋道が正しく、心がそれに従っているなら、たとえ見た目が醜くても心と生き方は善いのだから、君子であることに何の妨げもない。逆に見た目が立派でも、心と生き方が悪ければ、小人であることに変わりはない。君子であることを吉といい、小人であることを凶という。だから背の高い低い、体の大小、顔かたちの美醜は、吉凶とは関係がない。昔の人はそんなことはしなかったし、学者も語らないのである。

解説

非相篇の「相」とは人相占いのこと。荀子は冒頭から、人相で運命が分かるという流行の俗説を真正面から否定します。当時は姑布子卿や唐挙といった人相見が名を馳せ、世間はもてはやしていました。そこで荀子は有名な三段の序列を示します。姿かたちを見るより心を論じるほうがよく、心を論じるより、その人が選び取り身につけた生き方の筋道を見るほうがよい。顔は心に勝てず、心は生き方に勝てないというのです。生まれつきの容姿ではなく、自分で選び積み上げたものこそが人を決める。ここには、人は学びと修養によって変われるという荀子の一貫した確信があります。人を見た目や第一印象で判断していないか、そして自分自身も見た目より中身を磨けているか。二千年以上前の指摘が、今もそのまま刺さります。

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