荀子 / 栄辱篇
鯈䱁者,浮陽之魚也,胠於沙而思水,則無逮矣。挂於患而欲謹,則無益矣。自知者不怨人,知命者不怨天;怨人者窮,怨天者無志。失之己,反之人,豈不迂乎哉!
書き下し
鯈䱁(しゅうかく)は、浮陽の魚なり。沙に胠(さら)されて水を思うも、則ち逮(およ)ぶ無し。患いに挂(かか)りて謹まんと欲するも、則ち益無し。自ら知る者は人を怨みず、命を知る者は天を怨まず。人を怨む者は窮し、天を怨む者は志無し。之を己に失いて、之を人に反(もと)むるは、豈に迂ならずや。
現代語訳
鯈や䱁は、日を浴びて水面近くを泳ぐ魚である。砂の上に打ち上げられてから水を恋しがっても、もう間に合わない。災いに巻き込まれてから慎もうとしても、何の役にも立たない。自分をよく知る者は人を怨まず、天命を知る者は天を怨まない。人を怨む者は行き詰まり、天を怨む者は志を失う。失敗の原因は自分にあるのに、それを他人に求めて責める。なんと的外れなことではないか。
解説
日を浴びて気持ちよく泳いでいた魚も、いったん砂の上に打ち上げられてしまえば、いくら水を恋しがっても手遅れです。荀子はこの一枚の絵で、慎みには時があると教えます。災難に巻き込まれてから慎重になっても遅い。慎むべきは、まだ何も起きていない今なのです。そして後半では、うまくいかないときの心の向け方を説きます。自分を知る人は他人を怨まず、天命を知る人は天を怨まない。怨みを人に向ける者は行き詰まり、天に向ける者は志そのものを失う、と。原因は自分にあるのに他人に責任を求めるのは、方向を間違えた努力にすぎません。仕事でも、うまくいかない理由を環境や上司や運のせいにした瞬間に、改善の余地は自分の手を離れてしまいます。まだ砂の上に上がっていない今こそ、手を打つときです。