荀子 / 栄辱篇
憍泄者,人之殃也;恭儉者,偋五兵也。雖有戈矛之刺,不如恭儉之利也。故與人善言,煖於布帛;傷人之言,深於矛戟。故薄薄之地,不得履之,非地不安也,危足無所履者,凡在言也。巨涂則讓,小涂則殆,雖欲不謹,若云不使。
新字:憍泄者,人之殃也;恭倹者,偋五兵也。雖有戈矛之刺,不如恭倹之利也。故与人善言,煖於布帛;傷人之言,深於矛戟。故薄薄之地,不得履之,非地不安也,危足無所履者,凡在言也。巨涂則譲,小涂則殆,雖欲不謹,若云不使。
書き下し
憍泄(きょうえい)なる者は、人の殃(わざわい)なり。恭倹なる者は、五兵を偋(しりぞ)くるなり。戈矛(かぼう)の刺有りと雖も、恭倹の利なるに如かざるなり。故に人に与(あた)うるに善言を以てすれば、布帛よりも煖(あたた)かなり。人を傷つくるの言は、矛戟(ぼうげき)よりも深し。故に薄薄(はくはく)たるの地も、之を履(ふ)むを得ざるは、地の安からざるに非ざるなり。足を危うくして履む所無き者は、凡(すべ)て言に在り。巨涂(きょと)には則ち譲り、小涂には則ち殆(あや)うし。謹まざらんと欲すと雖も、得ざるが若(ごと)きなり。
現代語訳
おごり高ぶって人を見下す態度は、その人自身に災いを招くもとである。うやうやしく慎み深い態度は、あらゆる武器を防ぐ盾となる。矛や戈の鋭い切っ先があっても、恭しさと慎ましさの鋭さには及ばない。だから人にかける善い言葉は、布や絹の衣より人を温める。人を傷つける言葉は、矛や戟よりも深く突き刺さる。広く平らな大地の上でさえ足を踏み下ろせなくなることがあるが、それは大地が安定していないからではない。足元が危うくなり踏む場所を失うのは、すべて自分の言葉が原因なのだ。大通りでは人に道を譲り、細い道では危険が多い。慎まずにいようと思っても、そうはいかないのである。
解説
栄辱篇の冒頭で、荀子はまず言葉の恐ろしさを説きます。おごった物言いは自分に災いを呼び、逆にうやうやしく慎み深い態度は、どんな武器よりも身を守る盾になるというのです。有名なのが「人に与うる善言は布帛よりも煖かく、人を傷つくるの言は矛戟よりも深し」の一句で、よい言葉は衣服より人を温め、悪い言葉は槍より深く相手を刺すと言います。さらに荀子は、広い大地の上でも足の踏み場を失うことがあるのは地面のせいではなく、自分の言葉のせいだと言い切ります。現代でもメールやチャット、SNSで放った一言が、人間関係も仕事の信用も一瞬で壊してしまいます。腹が立ったときほど、送信する前にひと呼吸置く。この段は、言葉づかいこそ最大の護身術だと教えてくれます。
この章句が説くこと
言葉の力恭倹善言は布帛より煖かし人間関係
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