荀子 / 不苟篇
人之所惡者,吾亦惡之。夫富貴者,則類傲之;夫貧賤者,則求柔之。是非仁人之情也,是姦人將以盜名於晻世者也,險莫大焉。故曰:盜名不如盜貨。田仲、史鰌不如盜也。
新字:人之所悪者,吾亦悪之。夫富貴者,則類傲之;夫貧賤者,則求柔之。是非仁人之情也,是姦人将以盗名於晻世者也,険莫大焉。故曰:盗名不如盗貨。田仲、史鰌不如盗也。
書き下し
人の悪む所の者は、吾も亦た之を悪む。夫の富貴なる者は、則ち類ね之に傲り、夫の貧賤なる者は、則ち之に柔がんことを求む。是れ仁人の情に非ざるなり。是れ姦人の将に以て名を晻世に盗まんとする者なり。険なること焉より大なるは莫し。故に曰く、名を盗むは貨を盗むに如かず、と。田仲・史鰌は盗に如かざるなり。
現代語訳
人が憎むものは、自分も憎む。ところが世の中には、富み栄えている者には決まって傲慢に振る舞い、貧しく身分の低い者にはへりくだって取り入ろうとする者がいる。これは仁の人の心のありようではない。これは邪な者が、暗い時代につけこんで名声をかすめ取ろうとしているのである。これほど危険なことはない。だから言うのだ、名を盗むのは、財貨を盗むよりも悪い、と。田仲や史鰌のような者は、盗人にも及ばないのである。
解説
不苟篇を締めくくる、痛烈な一段です。ここで批判されるのは、富める者にわざと傲慢に接し、貧しい者にへりくだる人物。一見すると権力におもねらない硬骨漢に見えますが、荀子はそれを、清廉という評判をかすめ取るための演技だと見抜きます。名を盗むほうが財貨を盗むより悪い、という結語は強烈です。物を盗まれれば損失は目に見えますが、徳の評判を盗まれれば、人々は偽物を本物と信じ、善悪の基準そのものが狂ってしまうからです。篇の題である「不苟」——いいかげんに、それらしく見せることをしない——が、ここで最も鋭い形で戻ってきます。自分の言動が、本当にそう思っているからなのか、そう見られたいからなのか。この問いを持ち続けることが、この篇全体を貫く教えです。