荀子 / 不苟篇
公生明,偏生闇,端愨生通,詐偽生塞,誠信生神,夸誕生惑。此六生者,君子慎之,而禹桀所以分也。
書き下し
公は明を生じ、偏は闇を生じ、端愨は通を生じ、詐偽は塞を生じ、誠信は神を生じ、夸誕は惑を生ず。此の六生なる者は、君子之を慎み、而して禹・桀の分かるる所以なり。
現代語訳
公平であれば明るさが生まれ、偏りがあれば暗さが生まれる。正直で慎み深ければ通じ合うことが生まれ、いつわりがあれば行き詰まりが生まれる。誠実で信があれば、はかりしれない力が生まれ、大げさなほらを吹けば迷いが生まれる。この六つの生じるものについて、君子は慎重に身を処す。ここが禹と桀とを分ける分かれ目なのである。
解説
わずか数十字に、原因と結果の対を三組並べた凝縮された一段です。公平は明晰さを、偏りは暗さを生む。正直は疎通を、いつわりは行き詰まりを生む。誠実は不思議なほどの力を、誇大な物言いは混乱を生む。荀子はこれを「六生」と呼び、この分かれ目こそが、聖王の禹と暴君の桀を分けたのだと言います。ここで大事なのは、明・闇・通・塞・神・惑という結果が、外からもたらされる運ではなく、自分の心の姿勢から必然的に生まれるものとされている点です。物事が見えなくなる、話が通じなくなる、周囲が混乱する——そうしたときに環境や相手を責めるより、自分がどこかで偏り、取り繕い、誇張していなかったかを点検する。原因はたいてい手元にある、という現実的な指摘です。
この章句が説くこと
六生公は明を生ず詐偽は塞を生ず禹と桀の分かれ目
関連する章句
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貞観政要・公平又た時に小事有り。人の聞くを欲せずんば、則ち暴かに威怒を作し、以て謗議を弭(や)ます。若し為す所是ならば、外に聞こゆるも、其れ何ぞ傷まん。若し為す所非ならば、之を掩うと雖も、何の益かあらん。故に諺に曰く、「人の知らざるを欲せば、為さざるに若くは莫し。人の聞かざるを欲せば、言う勿かるに若くは莫し」と。之を為して人の知らざるを欲し、之を言いて人の聞かざるを欲するは、此れ猶お雀を捕らえて目を掩い、鐘を盗みて耳を掩う者のごとし。只だ以て誚(そし)りを取るのみ。将た何の益かあらん。臣又た之を聞く、常に乱るるの国無く、理むべからざるの民無し、と。夫れ民の善悪は、化の薄厚に由る。故に禹・湯は之を以て理まり、桀・紂は之を以て乱る。文・武は之を以て安く、幽・厲は之を以て危うし。是を以て古の哲王は、己を尽くして人を尤(とが)めず、身に求めて下を責めず。故に曰く、「禹・湯は己を罪す。其の興るや勃焉たり。桀・紂は人を罪す。其の亡ぶるや忽焉たり」と。之を為して已まずんば、深く惻隠の情に乖き、実に奸邪の路を啓く。温舒は曩日を恨む。臣も亦た惜しみて用いられざるを欲す。聞かざる所に非ざるなり。臣聞く、堯に敢諫の鼓有り、舜に誹謗の木有り、湯に司過の史有り、武に戒慎の銘有り、と。此れ則ち之を無形に聴き、之を未有に求む。心を虚しくして以て下を待つ。庶(ちか)くは下情の上に達し、上下私無く、君臣徳を合わす者なり。魏の武帝云う、「有徳の君は、耳に逆らうの言、顔を犯すの諍を聞くを楽しみ、忠臣に親しみ、諫士を厚くし、讒慝を斥け、佞人を遠ざくる者は、誠に身を全うし国を保ち、遠く滅亡を避けんと欲すればなり」と。凡そ百君子、期に膺り運を統ぶ。縦い未だ能く上下私無く、君臣徳を合わす能わずとも、身を全うし国を保ち、遠く滅亡を避けざるべけんや。然れども古より聖哲の君、功成り事立つは、未だ同心、予が違えるを汝弼(たす)くるに資らざる者有らざるなり。
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