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荀子 / 不苟篇

君子位尊而志恭,心小而道大;所聽視者近,而所聞見者遠。是何邪?則操術然也。故千人萬人之情,一人之情也。天地始者,今日是也。百王之道,後王是也。君子審後王之道,而論百王之前,若端拜而議。推禮義之統,分是非之分,總天下之要,治海內之眾,若使一人。故操彌約,而事彌大。五寸之矩,盡天下之方也。故君子不下室堂,而海內之情舉積此者,則操術然也。

新字:君子位尊而志恭,心小而道大;所聴視者近,而所聞見者遠。是何邪?則操術然也。故千人万人之情,一人之情也。天地始者,今日是也。百王之道,後王是也。君子審後王之道,而論百王之前,若端拝而議。推礼義之統,分是非之分,総天下之要,治海內之眾,若使一人。故操弥約,而事弥大。五寸之矩,尽天下之方也。故君子不下室堂,而海內之情舉積此者,則操術然也。

書き下し

君子は位尊くして志は恭しく、心は小にして道は大なり。聴視する所の者は近くして、聞見する所の者は遠し。是れ何ぞや。則ち術を操ること然らしむるなり。故に千人万人の情も、一人の情なり。天地の始めは、今日是れなり。百王の道は、後王是れなり。君子は後王の道を審らかにして、百王の前を論ずること、端拝して議するが若し。礼義の統を推し、是非の分を分かち、天下の要を総べ、海内の衆を治むること、一人を使うが若し。故に操ること弥いよ約にして、事は弥いよ大なり。五寸の矩は、天下の方を尽くすなり。故に君子は室堂を下らずして、海内の情挙って此に積む者は、則ち術を操ること然らしむるなり。

現代語訳

君子は、地位が高くても志は謙虚であり、心づかいは細やかでありながら、その道は大きい。見聞きする範囲は身近なものにすぎないのに、知り得ることははるか遠くまで及ぶ。これはなぜか。よりどころとする方法が確かだからである。千人万人の心のありようも、突き詰めれば一人の心のありようと同じである。天地の始まりのすがたは、今日ここにあるものと同じである。数多くの王たちの道は、直近の王の道に見てとれる。君子は近い時代の王の道を明らかにし、そこからはるか昔の百王の時代を論じる。それはまるで、居ずまいを正して座ったまま議論するようなものだ。礼義の大筋を押し広げ、是非の区別をはっきりさせ、天下の要点を束ね、国じゅうの人々を治めるのが、まるで一人を動かすように容易になる。だから、よりどころとするものが簡潔であればあるほど、成し遂げる事は大きくなる。五寸のさしがねひとつで、天下じゅうの四角を測ることができる。君子が部屋を出ないままで、天下のありさまがすべてここに集まってくるのは、確かな方法をよりどころにしているからである。

解説

少ない原理で広い世界を捉える、という荀子の方法論を語った一段です。君子が部屋にいながら天下を知れるのは、超能力があるからではなく、確かな「術」——ものの見方の型を持っているからだ、と言います。その根拠が、人の心は千人でも一人でも同じ、天地の始まりも今日と同じ、という原理の普遍性です。だから遠い昔を知りたければ、目の前の直近の王朝の道理を丁寧に見ればよい。「五寸の矩」の比喩がみごとです。手のひらに載る小さなさしがねひとつで、世界じゅうの四角を測れる。原理は小さく、応用は無限に大きい。私たちが学ぶときも、事例を無数に集めるより、確かな原理を一つ身につけるほうが遠くまで届きます。情報を追いかけて疲れる前に、自分の五寸の矩は何かを問い直してみたいところです。

この一句を、あなたの毎日に。

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