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荀子 / 不苟篇

君子絜其身而同焉者合矣,善其言而類焉者應矣。故馬鳴而馬應之,牛鳴而牛應之,非知也,其勢然也。故新浴者振其衣,新沐者彈其冠,人之情也。其誰能以己之潐潐,受人之掝掝者哉!

新字:君子絜其身而同焉者合矣,善其言而類焉者応矣。故馬鳴而馬応之,牛鳴而牛応之,非知也,其勢然也。故新浴者振其衣,新沐者弾其冠,人之情也。其誰能以己之潐潐,受人之掝掝者哉!

書き下し

君子は其の身を絜くして同じくする者合し、其の言を善くして類する者応ず。故に馬鳴きて馬之に応じ、牛鳴きて牛之に応ずるは、知に非ざるなり、其の勢い然らしむるなり。故に新たに浴する者は其の衣を振るい、新たに沐する者は其の冠を弾くは、人の情なり。其れ誰か能く己の潐潐を以て、人の掝掝を受くる者ぞや。

現代語訳

君子が我が身を清らかにしていれば、同じ志の者が集まってくる。その言葉を立派にしていれば、同類の者が呼応してくる。馬が鳴けば馬が応え、牛が鳴けば牛が応えるのは、知恵があってそうするのではない。おのずとそういう勢いになっているのである。だから、湯浴みしたばかりの人は衣のほこりを振り払い、髪を洗ったばかりの人は冠をはたいてから被る。これが人の自然な気持ちである。せっかく我が身を明るく清らかにした者が、どうして他人の濁った汚れを引き受けたりしようか。

解説

人は同じ質のものと引き合う、という一段です。馬は馬に応え、牛は牛に応える。これは相手を選ぶ知恵ではなく、自然な成り行きです。だから君子がまず自分の身を清くし、言葉を整えれば、それに応じる人が自然に集まってくる。荀子は人を集めるための策を説かず、自分を整えることだけを説きます。後半の比喩が印象的です。湯上がりの人が衣をはたき、洗髪した人が冠を払ってから被るように、きれいにした自分を再び汚したくないと思うのが人情である、と。人間関係の悩みは、誰と付き合うかで解こうとしがちですが、荀子の答えは逆で、自分がどうあるかがそのまま人の集まり方を決めます。付き合う相手を変えたいなら、まず自分の言葉と行ないの質を上げる。遠回りに見えて、実は最短の道です。

この一句を、あなたの毎日に。

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