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荀子 / 不苟篇

君子治治,非治亂也。曷謂邪?曰:禮義之謂治,非禮義之謂亂也。故君子者,治禮義者也,非治非禮義者也。然則國亂將弗治與?曰:國亂而治之者,非案亂而治之之謂也。去亂而被之以治。人汙而脩之者,非案汙而脩之之謂也,去汙而易之以脩。故去亂而非治亂也,去汙而非脩汙也。治之為名,猶曰君子為治而不為亂,為脩而不為汙也。

新字:君子治治,非治乱也。曷謂邪?曰:礼義之謂治,非礼義之謂乱也。故君子者,治礼義者也,非治非礼義者也。然則国乱将弗治与?曰:国乱而治之者,非案乱而治之之謂也。去乱而被之以治。人汙而脩之者,非案汙而脩之之謂也,去汙而易之以脩。故去乱而非治乱也,去汙而非脩汙也。治之為名,猶曰君子為治而不為乱,為脩而不為汙也。

書き下し

君子は治を治め、乱を治むるに非ざるなり。曷を謂うか。曰く、礼義、之を治と謂い、礼義に非ざる、之を乱と謂うなり。故に君子なる者は、礼義を治むる者なり、礼義に非ざるを治むる者に非ざるなり。然らば則ち国乱れなば将に治めざらんとするか。曰く、国乱れて之を治むる者は、乱に案りて之を治むるの謂いに非ざるなり。乱を去りて之に被うに治を以てするなり。人汙れて之を脩むる者は、汙に案りて之を脩むるの謂いに非ざるなり、汙を去りて之に易うるに脩を以てするなり。故に乱を去るも乱を治むるに非ざるなり、汙を去るも汙を脩むるに非ざるなり。治の名為るは、猶お君子は治を為して乱を為さず、脩を為して汙を為さずと曰うがごときなり。

現代語訳

君子は治まった状態を治めるのであって、乱れた状態を治めるのではない。どういう意味か。礼義にかなうことを「治」と言い、礼義にかなわないことを「乱」と言う。だから君子とは、礼義を整える者であって、礼義でないものを整える者ではないのだ。では国が乱れたら、それを治めないのか。そうではない。国が乱れてこれを治めるというのは、乱れた状態をそのまま材料にして整えるという意味ではない。乱れを取り除き、そこに治まった状態をかぶせるのである。人が汚れていてこれを修めるというのも、汚れをそのままに磨くという意味ではない。汚れを取り除き、修まった状態に取り替えるのである。だから乱を取り除くのであって、乱そのものを治めるのではない。汚れを取り除くのであって、汚れを磨くのではない。「治」という言葉が指すのは、君子は治を行なって乱を行なわず、修を行なって汚を行なわない、ということなのである。

解説

言葉の意味を厳密に詰めていく、荀子らしい理屈っぽい一段です。「乱を治める」という言い方が普通に通用しているけれど、正確には乱を治めるのではなく、乱を取り除いて治と入れ替えるのだ、と荀子は言います。汚れた器を磨くのも、汚れを磨いているのではなく、汚れを落として清潔さに置き換えているのです。荀子は言葉の使い方の乱れが思考の乱れを招くと考えた人で、後の正名篇に通じる姿勢がここに現れています。この視点は今も役立ちます。「問題に対処する」と言うとき、私たちは問題そのものをこねくり回してしまいがちです。そうではなく、望ましい状態を先に定義して、そこへ置き換える。改善とは悪いものを飼いならすことではなく、あるべき姿と入れ替えることだ、という発想の転換です。

この一句を、あなたの毎日に。

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