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荀子 / 勧学篇

君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如嚮矣。

新字:君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四体,形乎動静。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如嚮矣。

書き下し

君子の学は、耳に入りて、心に著き、四体に布き、動静に形る。端して言い、蝡きて動くも、一に以て法則と為す可し。小人の学は、耳に入りて、口に出づ。口耳の間は、則ち四寸のみ、曷ぞ七尺の躯を美しくするに足らんや。古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。君子の学は、以て其の身を美しくし、小人の学は、以て禽犢と為す。故に問わずして告ぐる、之を傲と謂い、一を問いて二を告ぐる、之を囋と謂う。傲は非なり、囋も非なり。君子は嚮の如し。

現代語訳

君子の学問は、耳から入って心に根づき、全身に行きわたり、立ち居ふるまいに現れる。ちょっとした一言、わずかな動作までもが、そのまま人の手本になりうる。小人の学問は、耳から入ってすぐ口から出る。口と耳の間はわずか四寸ほど。それでどうして七尺もある我が身全体を立派にできようか。昔の学ぶ者は自分自身のために学んだが、今の学ぶ者は人に見せるために学ぶ。君子の学問はわが身を磨くためのものであり、小人の学問は、家畜を人に贈るように、人の気を引く道具にする。だから、尋ねられもしないのに教えるのを「傲(でしゃばり)」といい、一つ尋ねられて二つも三つも答えるのを「囋(おしゃべり)」という。でしゃばりもいけないし、しゃべりすぎもいけない。君子は、山びこのように、問われた分だけ過不足なく応えるべきだ。

解説

「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」——『論語』にも通じる、学ぶ動機を問う有名な段です。君子の学びは耳から入って心に根づき、全身とふるまいににじみ出る。対して小人の学びは「耳に入りて口に出づ」、聞いたそばから受け売りで口に出すだけ。口と耳の間はたった四寸、それで七尺の全身が立派になるはずがない、という皮肉が痛烈です。核心は学ぶ目的で、「己の為に学ぶ」とは自分を高めるため、「人の為に学ぶ」とは人に見せ評価されるため。荀子は前者を君子、後者を小人とします。さらに、教え方の慎みにも触れ、聞かれてもいないのに教えるのは傲慢、一つ聞かれて二つ三つ答えるのはおしゃべり。理想は「嚮(やまびこ)」——問われた分だけ過不足なく返すこと。SNSで知識を披露したくなる時代だからこそ、「その学びは自分のためか、見せるためか」という問いが効いてきます。

この一句を、あなたの毎日に。

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