師導古典を学びたいすべての人に

荀子 / 勧学篇

昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聽;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故聲無小而不聞,行無隱而不形。玉在山而草木潤,淵生珠而崖不枯。為善不積邪?安有不聞者乎!

新字:昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聴;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故声無小而不聞,行無隠而不形。玉在山而草木潤,淵生珠而崖不枯。為善不積邪?安有不聞者乎!

書き下し

昔者瓠巴瑟を鼓きて、流魚出でて聴き、伯牙琴を鼓きて、六馬仰ぎて秣む。故に声は小として聞こえざる無く、行は隠れて形れざる無し。玉山に在りて草木潤い、淵珠を生じて崖枯れず。善を為して積まざらんや、安くんぞ聞こえざる者有らんや。

現代語訳

昔、瓠巴が瑟を弾くと、水中の魚まで浮かび上がって聴き入り、伯牙が琴を弾くと、餌を食んでいた六頭の馬が顔を上げて聞きほれた。だから、どんな小さな音も聞こえないことはなく、どんな行いも隠れて現れないことはない。玉が山にあれば草木がうるおい、淵が真珠を生めばその岸辺は枯れない。善い行いを積みさえすれば、どうして世に知られないことなどあろうか。

解説

前段までの「積む・一つに集中する」を、善行の話に着地させる段です。名手の音楽が魚や馬まで聞きほれさせたように、本物には必ず反響がある。「声は小として聞こえざる無く、行は隠れて形れざる無し」——どんなに小さな音や行いも、隠しきることはできない、と荀子は言います。玉が埋まる山は草木がうるおい、真珠を宿す淵は岸辺が枯れない。内に良いものを蓄えれば、その気配は自然とにじみ出て周囲を潤す、というイメージです。だから結びは「善を為して積まば、知られぬはずがない」。ここで大事なのは、評価を求めて焦るな、というメッセージが裏にあること。人に見られるために善をするのではなく、ただ黙々と積めばよい。積まれた善はやがて隠しようもなく現れる——目立とうとしなくても、中身は必ずにじみ出る、という静かな自信を教えてくれます。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ