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荀子 / 勧学篇

螾無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黃泉,用心一也。蟹八跪而二螯,非蛇蟺之穴,無可寄託者,用心躁也。是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事兩君者不容。目不能兩視而明,耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛,梧鼠五技而窮。《詩》曰:「尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。」故君子結於一也。

新字:螾無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黄泉,用心一也。蟹八跪而二螯,非蛇蟺之穴,無可寄託者,用心躁也。是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事両君者不容。目不能両視而明,耳不能両聴而聰。螣蛇無足而飛,梧鼠五技而窮。《詩》曰:「尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。」故君子結於一也。

書き下し

螾に爪牙の利き、筋骨の強き無きも、上は埃土を食らい、下は黄泉を飲むは、用心一なればなり。蟹は八跪にして二螯なるも、蛇蟺の穴に非ざれば、寄託す可き者無きは、用心躁なればなり。是の故に冥冥の志無き者は、昭昭の明無く、惛惛の事無き者は、赫赫の功無し。衢道を行く者は至らず、両君に事うる者は容れられず。目は両つながら視て明らかなる能わず、耳は両つながら聴きて聡なる能わず。螣蛇は足無くして飛び、梧鼠は五技にして窮す。詩に曰く、「尸鳩桑に在り、其の子七つ。淑人君子、其の儀一なり。其の儀一なれば、心結ぶが如し」と。故に君子は一に結ぶなり。

現代語訳

ミミズには鋭い爪や牙もなく、強い筋肉や骨もないのに、地上では土を食べ、地下では地下水を飲んで生きられるのは、心が一つに集中しているからだ。カニは八本の足と二つのはさみを持つのに、蛇やうなぎの掘った穴でなければ身を寄せる所がないのは、心が落ち着かず気が散っているからだ。だから、奥深く一途な志のない者には、はっきりとした明知はなく、こつこつと打ち込む努力のない者には、輝かしい功績はない。分かれ道をあちこち行く者は目的地に着けず、二人の主君に仕える者はどちらにも受け入れられない。目は二つのものを同時に見て見分けられず、耳は二つの音を同時に聞き分けられない。螣蛇は足がなくても飛べるが、ムササビは五つの技を持ちながら行き詰まる。『詩経』に「かっこう鳥が桑にとまり、七羽の子を育てる。善良な君子は、その態度が一貫している。態度が一貫していれば、心は固く結ばれている」とある。だから君子は、一つに集中するのである。

解説

前段の「積む」に続いて、では何を積むか——「一に集中する」ことの力を説いた段です。ミミズは爪も牙もないのに土を食べ地下水を飲んで生き抜く。それは「用心一」、心が一つだから。逆にカニは足もはさみも多いのに自分の穴すら持てない。「用心躁」、気が散っているからです。多芸なムササビが五つの技を持ちながら行き詰まる(梧鼠五技にして窮す)一句は痛烈で、器用貧乏への戒めそのもの。二股の道はどこにも着かず、二人の主君に仕えれば両方から見放される。目は二つを同時に見られず、耳は二つを同時に聞き分けられない——集中とは、他を捨てることでもあります。前段が「継続」なら、この段は「一点集中」。あれもこれもと手を広げたくなる私たちに、荀子は、力の乏しいミミズこそが一途さで生き抜くのだと突きつけます。

この一句を、あなたの毎日に。

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