荀子 / 勧学篇
是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而眾鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!
新字:是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而衆鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!
書き下し
是の故に質的張らるれば、弓矢至り、林木茂れば、斧斤至り、樹蔭を成せば、衆鳥息う。醯酸ければ、蚋聚まる。故に言に禍を招く有り、行に辱を招く有り。君子は其の立つ所を慎まんかな。
現代語訳
それゆえ、的が張られれば弓矢が飛んでくるし、林の木が茂れば斧が入り、木が日陰を作れば多くの鳥が休みにくる。酢が酸っぱくなれば、ぶよが集まってくる。同じように、言葉には災いを招くものがあり、行いには恥辱を招くものがある。君子は、自分がどこに身を置くか、どうふるまうかを慎重にすべきである。
解説
前段の「同じ類が引き合う」を、自分の言動に引き寄せた実践編です。的を立てれば矢が飛んでくる、茂った木には斧が入る、日陰には鳥が集まり、酸っぱい酢にはぶよがたかる——何かを差し出せば、それに応じたものが必ず寄ってくる、という観察です。そこから荀子は「言に禍を招く有り、行に辱を招く有り」と結びます。自分の何気ない一言・一挙動が、あとで災いや恥を呼び込む種になりうる。だから締めは「君子は其の立つ所を慎まんかな」——身の置き方・ふるまいを慎め、です。SNSで一言が炎上を招く現代は、まさにこの教えが刺さる時代でしょう。発した言葉や取った行動には、それにふさわしい結果が矢のように返ってくる。だからこそ、発する前に一拍おく慎みが、身を守るのです。
この章句が説くこと
言動の責任其の立つ所を慎む招福招禍慎み自己責任言行
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