荀子 / 勧学篇
吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也。吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,聲非加疾也,而聞者彰。假輿馬者,非利足也,而致千里;假舟楫者,非能水也,而絕江河。君子生非異也,善假於物也。
新字:吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也。吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,声非加疾也,而聞者彰。仮輿馬者,非利足也,而致千里;仮舟楫者,非能水也,而絶江河。君子生非異也,善仮於物也。
書き下し
吾嘗て終日にして思えり、須臾の学ぶ所に如かざるなり。吾嘗て跂ちて望めり、高きに登るの博く見るに如かざるなり。高きに登りて招けば、臂長きを加うるに非ざるも、見る者遠く、風に順いて呼べば、声疾きを加うるに非ざるも、聞く者彰らかなり。輿馬を仮る者は、足に利きに非ざるも、千里に致り、舟楫を仮る者は、水に能くするに非ざるも、江河を絶つ。君子は生まれながらにして異なるに非ざるなり、善く物を仮るなり。
現代語訳
私はかつて一日中考えつづけたことがあるが、わずかな時間学ぶことには及ばなかった。かつてつま先立ちして遠くを望んだことがあるが、高い所に登って広く見渡すには及ばなかった。高い所に登って手招きすれば、腕が長くなったわけではないのに、遠くの人にも見える。風に乗って呼べば、声が大きくなったわけではないのに、聞く人にはっきり届く。車馬を借りる者は、足が速いわけではないのに千里に達し、舟や櫂を借りる者は、泳ぎが得意なわけではないのに大河を渡る。君子とて生まれつき人と違うわけではない。ただ、外のものをうまく借りるのが上手いのだ。
解説
この段の結び「君子は生まれながらにして異なるに非ず、善く物を仮るなり」が有名です。荀子は、ひとりで根を詰めて考えるより、学ぶ(=先人の蓄積を借りる)ほうがはるかに速い、と身も蓋もなく言い切ります。高台に登れば腕は伸びなくても遠くから見える。車を借りれば足が速くなくても千里に着く。要は、優れた人は特別な才能を持っているのではなく、道具・知識・他人の力といった「外部のもの」を上手に使っているだけだ、という洞察です。これは現代の学びや仕事にそのまま効きます。すべてを自力でやろうとするより、良い本・良い師・良いツールを借りる技術こそが、成果の差を生む。「借り物上手」であることを、荀子は恥ではなく君子の条件として堂々と勧めています。