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貞観政要 / 慎終

昔陶唐、成湯之時,非無災患,而稱其聖德者,以其有始有終,無為無欲,遇災則極其憂勤,時安則不驕不逸故也。貞觀之初,頻年霜旱,畿內戶口並就關外,攜負老幼,來往數年,曾無一戶逃亡、一人怨苦,此誠由識陛下矜育之懷,所以至死無攜貳。頃年已來,疲於徭役,關中之人,勞弊尤甚。雜匠之徒,下日悉留和雇;正兵之輩,上番多別驅使。和市之物不絕於鄉閭,遞送之夫相繼於道路。既有所弊,易為驚擾,脫因水旱,穀麥不收,恐百姓之心,不能如前日之寧帖。此其漸不克終十也。

新字:昔陶唐、成湯之時,非無災患,而稱其聖徳者,以其有始有終,無為無欲,遇災則極其憂勤,時安則不驕不逸故也。貞観之初,頻年霜旱,畿內戶口並就関外,攜負老幼,来往数年,曽無一戶逃亡、一人怨苦,此誠由識陛下矜育之懐,所以至死無攜貳。頃年已来,疲於徭役,関中之人,労弊尤甚。雑匠之徒,下日悉留和雇;正兵之輩,上番多別駆使。和市之物不絶於鄉閭,逓送之夫相継於道路。既有所弊,易為驚擾,脫因水旱,穀麦不収,恐百姓之心,不能如前日之寧帖。此其漸不克終十也。

書き下し

昔、陶唐・成湯の時、災患無きに非ず。而して其の聖徳を称する者は、其の始め有り終わり有り、無為無欲にして、災に遇わば則ち其の憂勤を極め、時安ければ則ち驕らず逸せざるを以ての故なり。貞観の初め、頻年霜旱なり。畿内の戸口は並びに関外に就く。老幼を携負し、来往すること数年。曾て一戸の逃亡、一人の怨苦無し。此れ誠に陛下の矜育の懐を識るに由る。所以に死に至るまで携弐(けいじ)無し。頃年已来、徭役に疲る。関中の人、労弊は尤も甚だし。雑匠の徒は、下日も悉く留めて和雇す。正兵の輩は、上番も多く別に駆使す。和市の物は郷閭に絶えず、逓送の夫は道路に相い継ぐ。既に弊うる所有らば、驚擾を為し易し。脱(も)し水旱に因り、穀麦収まらずんば、恐らくは百姓の心、前日の寧帖の如くなる能わざらん。此れ其の漸く克く終えざるの十なり。

現代語訳

昔、堯や湯王の時代にも、災いがなかったわけではありません。それでも聖なる徳を称えられるのは、始めがあり終わりがあり、何もせず何も欲さず、災いに遭えば憂え努め、時が安らげば驕らず緩まなかったからです。貞観の初め、毎年霜と旱魃が続きました。都の周辺の民は、みな関外へ移りました。老人と幼子を背負い、数年往来しました。それでも一戸の逃亡も、一人の怨みの声もなかった。まことに陛下の慈しみ育てる心を知っていたからです。だから死に至るまで、二心を抱かなかった。近年以来、労役に疲れています。関中の人の疲弊は、とりわけ甚だしい。職人たちは、休みの日まで留めて雇われる。兵役の者は、当番の日にも別の用に使われる。買い上げの品は村里に絶えず、輸送の人夫は道に続く。疲弊があれば、動揺しやすい。もし水害や旱魃で穀物が収穫できなければ、恐らく民の心は、以前のように落ち着いてはいないでしょう。これが、次第に終わりを全うできなくなっている第十です。

解説

「毎年の霜と旱魃でも、一人の怨みの声もなかった」。困窮していても、上が思ってくれていると分かれば、人は耐えます。しかし今は疲弊している。「疲弊があれば、動揺しやすい」。余力がなくなった状態で災害が来れば、今度は耐えられないのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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