師導古典を学びたいすべての人に

貞観政要 / 慎終

昔子貢問理人於孔子,孔子曰:「懍乎,若朽索之馭六馬。」子貢曰:「何其畏哉?」子曰:「不以道導之,則吾仇也,若何其無畏?」故《書》曰:「民惟邦本,本固邦寧。」為人上者,奈何不敬?陛下貞觀之始,視人如傷,恤其勤勞,愛民猶子,每存簡約,無所營為。頃年以來,意在奢縱,忽忘卑儉,輕用人力,乃云:「百姓無事則驕逸,勞役則易使。」自古以來,未有由百姓逸樂而致傾敗者也,何有逆畏其驕逸而故欲勞役者哉?恐非興邦之至言,豈安人之長算?此其漸不克終二也。

新字:昔子貢問理人於孔子,孔子曰:「懍乎,若朽索之馭六馬。」子貢曰:「何其畏哉?」子曰:「不以道導之,則吾仇也,若何其無畏?」故《書》曰:「民惟邦本,本固邦寧。」為人上者,奈何不敬?陛下貞観之始,視人如傷,恤其勤労,愛民猶子,毎存簡約,無所営為。頃年以来,意在奢縦,忽忘卑倹,輕用人力,乃云:「百姓無事則驕逸,労役則易使。」自古以来,未有由百姓逸楽而致傾敗者也,何有逆畏其驕逸而故欲労役者哉?恐非興邦之至言,豈安人之長算?此其漸不克終二也。

書き下し

昔、子貢、人を理むるを孔子に問う。孔子曰く、「懍(りん)たり、朽索の六馬を馭するが若し」と。子貢曰く、「何ぞ其れ畏るるや」と。子曰く、「道を以て之を導かずんば、則ち吾が仇なり。若何ぞ其れ畏るる無からんや」と。故に『書』に曰く、「民は惟れ邦の本。本固くして邦は寧し」と。人の上と為る者、奈何ぞ敬せざらんや。陛下は貞観の始め、人を視ること傷(きずつ)けるが如し。其の勤労を恤(あわ)れみ、民を愛すること子の猶し。毎に簡約を存し、営為する所無し。頃年より以来、意は奢縦に在り。忽ち卑倹を忘れ、軽々しく人力を用う。乃ち云う、「百姓は事無ければ則ち驕逸す。労役せば則ち使い易し」と。古より以来、未だ百姓の逸楽するに由りて傾敗を致す者有らざるなり。何ぞ逆(あらかじ)め其の驕逸を畏れて故(ことさら)に労役せんと欲する者有らんや。恐らくは邦を興すの至言に非ず。豈に人を安んずるの長算ならんや。此れ其の漸く克く終えざるの二なり。

現代語訳

昔、子貢が人を治めることを孔子に尋ねました。孔子は「恐ろしい。朽ちた綱で六頭の馬を御するようだ」と答えた。子貢が「なぜそれほど恐れるのですか」と言うと、孔子は「道をもって導かなければ、彼らは私の仇となる。どうして恐れずにいられようか」と答えました。だから『書経』に「民は国の本。本が固ければ国は安らか」とあります。人の上に立つ者が、どうして敬わずにいられましょう。陛下は貞観の初め、人を見ること、傷ついた者を見るようでした。その労苦を憐れみ、民を愛すること我が子のようでした。常に簡約を心がけ、造営することがなかった。近年以来、意は奢りと放縦にあります。たちまち質素を忘れ、軽々しく人の力を用いる。そして仰る。「民は何もなければ驕り緩む。労役させれば使いやすい」と。昔から、民が安楽であるために国が傾いた例はありません。どうして前もってその驕りを恐れて、わざと労役させようとするのですか。恐らく国を興す至言ではありません。人を安んじる長い計でしょうか。これが、次第に終わりを全うできなくなっている第二です。

解説

「民は何もなければ驕り緩む。労役させれば使いやすい」。太宗が、こう言ったのです。忙しくさせておけば、扱いやすい。魏徴は真っ向から否定します。「民が安楽であるために国が傾いた例はありません」。人を疲れさせることが、統治だと思い始めている。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ