貞観政要 / 慎終
貞觀九年,太宗謂公卿曰:「朕端拱無為,四夷咸服,豈朕一人之所致,實賴諸公之力耳!當思善始令終,永固鴻業,子子孫孫,遞相輔翼。使豐功厚利施於來葉,令數百年後讀我國史,鴻勛茂業粲然可觀,豈惟稱隆周、炎漢及建武、永平故事而已哉!」房玄齡因進曰:「陛下撝挹之志,推功群下,致理升平,本關聖德,臣下何力之有?惟願陛下有始有卒,則天下永賴。」太宗又曰:「朕觀古先撥亂之主皆年逾四十,惟光武年三十三。但朕年十八便舉兵,年二十四定天下,年二十九升為天子,此則武勝於古也。少從戎旅,不暇讀書,貞觀以來,手不釋卷,知風化之本,見政理之源。行之數年,天下大治而風移俗變,子孝臣忠,此又文過於古也。昔周、秦以降,戎狄內侵,今戎狄稽顙,皆為臣妾,此又懷遠勝古也。此三者,朕何德以堪之?既有此功業,何得不善始慎終耶!」
新字:貞観九年,太宗謂公卿曰:「朕端拱無為,四夷咸服,豈朕一人之所致,実頼諸公之力耳!当思善始令終,永固鴻業,子子孫孫,逓相輔翼。使豊功厚利施於来葉,令数百年後読我国史,鴻勛茂業粲然可観,豈惟称隆周、炎漢及建武、永平故事而已哉!」房玄齢因進曰:「陛下撝挹之志,推功群下,致理升平,本関聖徳,臣下何力之有?惟願陛下有始有卒,則天下永頼。」太宗又曰:「朕観古先撥乱之主皆年逾四十,惟光武年三十三。但朕年十八便舉兵,年二十四定天下,年二十九升為天子,此則武勝於古也。少従戎旅,不暇読書,貞観以来,手不釈巻,知風化之本,見政理之源。行之数年,天下大治而風移俗変,子孝臣忠,此又文過於古也。昔周、秦以降,戎狄内侵,今戎狄稽顙,皆為臣妾,此又懐遠勝古也。此三者,朕何徳以堪之?既有此功業,何得不善始慎終耶!」
書き下し
貞観九年、太宗公卿に謂いて曰く、「朕は端拱無為なるに、四夷は咸な服す。豈に朕一人の致す所ならんや。実に諸公の力に頼るのみ。当に善く始め令(よ)く終え、永く鴻業を固くし、子子孫孫、逓(たが)いに相い輔翼するを思うべし。豊功厚利をして来葉に施し、数百年の後、我が国史を読ましめ、鴻勲茂業の粲然として観るべからしめん。豈に惟だ隆周・炎漢及び建武・永平の故事を称するのみならんや」と。房玄齢因りて進みて曰く、「陛下の撝挹(きゆう)の志、功を群下に推す。理を致し升平なるは、本と聖徳に関す。臣下に何の力か之れ有らん。惟だ願わくは陛下、始め有り卒わり有らば、則ち天下永く頼らん」と。太宗又た曰く、「朕は古先の乱を撥(おさ)むるの主を観るに、皆な年は四十を逾ゆ。惟だ光武のみ年三十三なり。但だ朕は年十八にして便ち兵を挙げ、年二十四にして天下を定め、年二十九にして升りて天子と為る。此れ則ち武は古に勝る。少(わか)くして戎旅に従い、書を読むに暇あらず。貞観より以来、手は巻を釈(お)かず。風化の本を知り、政理の源を見る。之を行うこと数年、天下大いに治まりて風は移り俗は変ず。子は孝に臣は忠なり。此れ又た文は古に過ぐ。昔、周・秦より以降、戎狄は内侵す。今、戎狄は顙(ひたい)を稽(とど)め、皆な臣妾と為る。此れ又た遠きを懐(なつ)くること古に勝る。此の三者は、朕、何の徳ありて以て之に堪えんや。既に此の功業有り。何ぞ善く始め終わりを慎まざるを得んや」と。
現代語訳
貞観九年、太宗が公卿に言った。「私は手を組んで何もせずにいるのに、四方の異民族はみな服している。私一人がもたらしたことだろうか。実に諸君の力によるだけだ。善く始め善く終え、永く大業を固くし、子々孫々が互いに助け合うことを思うべきだ。豊かな功と厚い利を後の世に及ぼし、数百年の後、我が国史を読ませて、輝かしい功業が明らかに見えるようにしたい。周や漢、後漢の建武・永平の故事を称えるだけであろうか」。房玄齢が進み出て言った。「陛下は謙り、功を臣下に譲られる。治まって平らかなのは、もとより聖なる徳によります。臣下に何の力がありましょう。ただ願わくは陛下、始めがあり終わりがあれば、天下は永く頼るでしょう」。太宗はまた言った。「私が昔の乱を治めた君主を見るに、みな四十を過ぎている。ただ光武帝だけが三十三だった。しかし私は十八で兵を挙げ、二十四で天下を定め、二十九で天子となった。これは武において古を上回る。若い頃は軍旅に従い、書を読む暇がなかった。貞観以来、書を手放したことがない。教化の根本を知り、政治の源を見た。数年行って、天下は大いに治まり、風俗は変わった。子は孝、臣は忠である。これは文において古を上回る。昔、周や秦以来、異民族が侵入した。今、異民族は額を地につけ、みな臣下となった。これは遠方を懐けることにおいて古を上回る。この三つは、私にどんな徳があって堪えられようか。すでにこの功業がある。どうして善く始め、終わりを慎まずにいられようか」。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』智命を知るとは、天命を知るなり。天の命ずる所何如を知るを謂ふなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて以て之を行ふ。君子の道を学ぶも、亦た以て天職を奉ぜんと欲するのみ。我道を学び徳を成して爵至らず、是れ天我に命じて以て道を人に伝へしむるなり。君子は教学を以て事と為し、人知らずして慍らず、是れ之を命を知ると謂ふ。凡そ人の力は、及ぶ有り、及ばざる有り。強ひて其の力の及ばざる所の者を求むるは、不智の大なる者なり。故に曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無きなり」と。後儒或いは其の然る所以の理を知ると曰ひ、或いは吉凶禍福を知ると曰ひ、或いは名利得失に毫も心を動かさずと曰ふ。皆道を知らざる者の言のみ。
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『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。
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