貞観政要 / 慎終
貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「自古人君為善者,多不能堅守其事。漢高祖,泗上一亭長耳,初能拯危誅暴,以成帝業,然更延十數年,縱逸之敗,亦不可保。何以知之?孝惠為嫡嗣之重,溫恭仁孝,而高帝惑於愛姬之子,欲行廢立,蕭何、韓信功業既高,蕭既妄系,韓亦濫黜,自餘功臣黥布之輩懼而不安,至於反逆。君臣父子之間悖謬若此,豈非難保之明驗也?朕所以不敢恃天下之安,每思危亡以自戒懼,用保其終。」
新字:貞観六年,太宗謂侍臣曰:「自古人君為善者,多不能堅守其事。漢高祖,泗上一亭長耳,初能拯危誅暴,以成帝業,然更延十数年,縦逸之敗,亦不可保。何以知之?孝恵為嫡嗣之重,温恭仁孝,而高帝惑於愛姫之子,欲行廃立,蕭何、韓信功業既高,蕭既妄系,韓亦濫黜,自余功臣黥布之輩懼而不安,至於反逆。君臣父子之間悖謬若此,豈非難保之明験也?朕所以不敢恃天下之安,毎思危亡以自戒懼,用保其終。」
書き下し
貞観六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古より人君の善を為す者は、多く能く堅く其の事を守らず。漢の高祖は、泗上の一亭長のみ。初め能く危きを拯(すく)い暴を誅し、以て帝業を成す。然れども更に十数年を延べば、縦逸の敗、亦た保つべからず。何を以て之を知る。孝恵は嫡嗣の重と為り、温恭仁孝なり。而して高帝は愛姫の子に惑い、廃立を行わんと欲す。蕭何・韓信は功業既に高し。蕭は既に妄りに系(つな)がれ、韓も亦た濫りに黜(しりぞ)けらる。自余の功臣、黥布の輩は懼れて安からず。反逆に至る。君臣父子の間、悖謬(はいびゅう)すること此くの若し。豈に保ち難きの明験に非ずや。朕の敢えて天下の安きを恃まず、毎に危亡を思いて以て自ら戒懼し、用て其の終わりを保つ所以なり」と。
現代語訳
貞観六年、太宗が側近の臣に言った。「昔から君主で善を行う者は、多くがその事を固く守り続けられない。漢の高祖は、泗水のほとりの一介の亭長にすぎなかった。初めは危機を救い暴を誅して、帝業を成した。しかしさらに十数年延びていれば、放縦による失敗も、防げなかっただろう。なぜそう言えるか。恵帝は嫡子として重んじられ、温和で恭しく仁孝だった。それなのに高帝は寵姫の子に惑い、廃立を行おうとした。蕭何と韓信は功業が高かった。蕭何はみだりに捕らえられ、韓信もみだりに退けられた。他の功臣、黥布の輩は恐れて落ち着かず、反逆に至った。君臣父子の間が、これほど乱れた。保ちがたいことの明らかな証ではないか。私が天下の安泰を恃まず、常に危亡を思って自ら戒め恐れ、終わりを保とうとする理由だ」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・慎終貞観五年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古より帝王も亦た常には化する能わず。仮令(たと)い内安からば、必ず外擾有り。当今、遠夷は率服し、百穀は豊稔なり。盗賊は作(おこ)らず、内外は寧静なり。此れ朕一人の力に非ず。実に公等の共に相い匡輔するに由る。然れども安きに危うきを忘れず、治に乱を忘れず。今日、事無きを知ると雖も、亦た須らく其の終始を思うべし。常に此くの如きを得ば、始めて是れ貴ぶべきなり」と。魏徴対えて曰く、「古より已来、元首と股肱と備具する能わず。或いは時に君は聖と称せらるるも、臣は即ち賢ならず。或いは賢臣に遇うも、即ち聖主無し。今、陛下は明なり。所以に治を致す。向(も)し若し直だ賢臣有るのみにして、君は化を思わずんば、亦た益する所無し。天下は今、太平なりと雖も、臣等は猶お未だ以て喜と為さず。惟だ願わくは陛下、安きに居りて危うきを思い、孜孜として怠らざれ」と。
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貞観政要・慎終貞観九年、太宗公卿に謂いて曰く、「朕は端拱無為なるに、四夷は咸な服す。豈に朕一人の致す所ならんや。実に諸公の力に頼るのみ。当に善く始め令(よ)く終え、永く鴻業を固くし、子子孫孫、逓(たが)いに相い輔翼するを思うべし。豊功厚利をして来葉に施し、数百年の後、我が国史を読ましめ、鴻勲茂業の粲然として観るべからしめん。豈に惟だ隆周・炎漢及び建武・永平の故事を称するのみならんや」と。房玄齢因りて進みて曰く、「陛下の撝挹(きゆう)の志、功を群下に推す。理を致し升平なるは、本と聖徳に関す。臣下に何の力か之れ有らん。惟だ願わくは陛下、始め有り卒わり有らば、則ち天下永く頼らん」と。太宗又た曰く、「朕は古先の乱を撥(おさ)むるの主を観るに、皆な年は四十を逾ゆ。惟だ光武のみ年三十三なり。但だ朕は年十八にして便ち兵を挙げ、年二十四にして天下を定め、年二十九にして升りて天子と為る。此れ則ち武は古に勝る。少(わか)くして戎旅に従い、書を読むに暇あらず。貞観より以来、手は巻を釈(お)かず。風化の本を知り、政理の源を見る。之を行うこと数年、天下大いに治まりて風は移り俗は変ず。子は孝に臣は忠なり。此れ又た文は古に過ぐ。昔、周・秦より以降、戎狄は内侵す。今、戎狄は顙(ひたい)を稽(とど)め、皆な臣妾と為る。此れ又た遠きを懐(なつ)くること古に勝る。此の三者は、朕、何の徳ありて以て之に堪えんや。既に此の功業有り。何ぞ善く始め終わりを慎まざるを得んや」と。
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貞観政要・慎終貞観十二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は書を読みて前王の善事を見る。皆な力行して倦まず。其の任用する所の公輩数人は、誠に以て賢と為す。然れども理を致すこと三・五の代に比すれば、猶お逮ばずと為す。何ぞや」と。魏徴対えて曰く、「今、四夷は賓服し、天下は事無し。誠に曠古の未だ有らざる所なり。然れども古より帝王の初めて位に即く者は、皆な精を励まして政を為し、跡を堯・舜に比せんと欲す。其の安楽なるに及ぶや、則ち驕奢放逸にして、能く其の善を終うる莫し。人臣の初めて任用せらるる者は、皆な主を匡し時を済(すく)い、縦(あと)を稷・契に追わんと欲す。其の富貴なるに及ぶや、則ち苟も官爵を全うせんことを思い、能く其の忠節を尽くす莫し。若し君臣をして常に懈怠無く、各々其の終わりを保たしめば、則ち天下は理まらざるを憂うる無く、自ら前古を超邁すべし」と。太宗曰く、「誠に卿の言の如し」と。
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貞観政要・慎終貞観十六年、太宗魏徴に問いて曰く、「近古の帝王を観るに、位を伝うること十代なる者有り、一代二代なる者有り、亦た身に得て身に失う者有り。朕の常に憂懼を懐く所以は、或いは生民を撫養して其の所を得ざるを恐れ、或いは心に驕逸を生じ、喜怒度を過ぐるを恐る。然れども自ら知らず。卿、朕の為に之を言うべし。当に以て楷則と為さん」と。徴対えて曰く、「嗜欲喜怒の情は、賢愚皆な同じ。賢者は能く之を節し、度を過ぐらしめず。愚者は之を縦にし、多くは失所に至る。陛下の聖徳は玄遠なり。安きに居りて危うきを思う。伏して願わくは陛下、常に能く自ら制し、以て克終の美を保たば、則ち万代永く頼らん」と。
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貞観政要・慎終貞観十四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「天下を平定するは、朕は其の事有りと雖も、之を守るに図を失わば、功業も亦復た保ち難し。秦の始皇は初め亦た六国を平らげ、四海を拠有す。末年に及び、善く守る能わず。実に誡と為すべし。公等宜しく公を念い私を忘るべし。則ち栄名高位、以て克く其の美を終うべし」と。魏徴対えて曰く、「臣は之を聞く、戦い勝つは易く、勝ちを守るは難し、と。陛下は深く思い遠く慮り、安きに危うきを忘れず。功業は既に彰れ、徳教は復た洽(あまね)し。恒に此を以て政を為さば、宗社の傾敗するに由無し」と。
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貞観政要・君臣鑑戒貞観十四年、太宗高昌の平らぐを以て、侍臣を召して宴を両儀殿に賜う。房玄齢に謂いて曰く、「高昌若し臣礼を失わずんば、豈に滅亡に至らんや。朕は此の一国を平らぐるも、甚だ危懼を懐く。惟だ当に驕逸を戒めて以て自ら防ぎ、忠謇を納れて以て自ら正すべし。邪佞を黜(しりぞ)け、賢良を用う。小人の言を以て君子を議せず。此を以て慎み守らば、庶幾(ちか)くは安きを獲んか」と。魏徴進みて曰く、「臣、古来の帝王の乱を撥(おさ)め業を創むるを観るに、必ず自ら戒慎し、芻蕘の議を采り、忠讜の言に従う。天下既に安んずれば、則ち情を恣にし欲を肆にし、諂諛を甘楽し、正諫を聞くを悪む。張子房は漢王の計画の臣なり。高祖の天子と為るに及び、将に嫡を廃して庶を立てんとす。子房曰く、『今日の事は、口舌の能く争う所に非ざるなり』と。終に敢えて復た開説する有らず。況んや陛下の功徳の盛んなる、漢祖を以て之に方(くら)ぶれば、彼は準と為すに足らず。位に即きて十有五年、聖徳光被し、今又た高昌を平殄す。屢々安危を以て意に系(か)け、方に忠良を納用し、直言の路を開かんと欲す。天下幸甚なり。昔、斉の桓公は管仲・鮑叔牙・寧戚の四人と飲む。桓公叔牙に謂いて曰く、『盍(なん)ぞ起ちて寡人の為に寿せざる』と。叔牙は觴を奉じて起ちて曰く、『願わくは公は莒に出でし時を忘るる無かれ。管仲をして魯に束縛せられし時を忘るる無からしめよ。寧戚をして牛に飯(か)いて車下にありし時を忘るる無からしめよ』と。桓公席を避けて謝して曰く、『寡人と二大夫と、能く夫子の言を忘るる無くんば、則ち社稷危うからじ』と」と。太宗徴に謂いて曰く、「朕は必ず敢えて布衣の時を忘れず。公も叔牙の人と為りを忘るるを得ざれ」と。
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