貞観政要 / 畋猟
貞觀十四年,冬十月,太宗將幸櫟陽遊畋,縣丞劉仁軌以收獲未畢,非人君順動之時,詣行所,上表切諫。太宗遂罷獵,擢拜仁軌新安令。
新字:貞観十四年,冬十月,太宗将幸櫟陽遊畋,県丞劉仁軌以収獲未畢,非人君順動之時,詣行所,上表切諫。太宗遂罷猟,擢拝仁軌新安令。
書き下し
貞観十四年、冬十月、太宗将に櫟陽に幸して遊畋せんとす。県丞劉仁軌は収獲の未だ畢わらざるを以て、人君の順動の時に非ずとし、行所に詣り、表を上りて切諫す。太宗遂に猟を罷め、仁軌を擢(ぬきん)でて新安令に拝す。
現代語訳
貞観十四年、冬十月、太宗が櫟陽に行幸して狩りをしようとした。県丞の劉仁軌は、収穫がまだ終わっていないので、君主が動くべき時ではないとし、行幸先に出向いて、上表して厳しく諫めた。太宗はついに狩りをやめ、劉仁軌を抜擢して新安令に任じた。
解説
畋猟篇を締めくくる話です。太宗が櫟陽へ狩りに出ようとしたとき、その土地の県丞という下級の役人にすぎない劉仁軌が、まだ収穫が終わっていないので今は君主が出向く時ではない、とわざわざ行幸先まで追いかけて厳しく諫めました。位の低い役人が、皇帝の予定に直接口を出すのは並大抵のことではありません。それでも太宗は狩りをきっぱりやめ、劉仁軌をその場で抜擢し、新安の令に任命しました。肩書きの高さで発言の重さを決めず、正しいことを言ったかどうかで人を評価する。この一貫した態度があるからこそ、次に何か問題があったとき、身分の低い人でも臆せず声を上げられるようになります。家庭でも職場でも、目下の人の意見を「立場が下だから」と退けていると、いずれ誰も本当のことを言わなくなってしまいます。
この章句が説くこと
収獲未畢非人君順動之時詣行所上表切諫位より言葉善政規律
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