貞観政要 / 畋猟
貞觀十一年,太宗謂侍臣曰:「朕昨往懷州,有上封事者云:『何為恒差山東眾丁於苑內營造?即日徭役,似不下隋時。懷、洛以東,殘人不堪其命,而田獵猶數,驕逸之主也。今者復來懷州田獵,忠諫不復至洛陽矣。』四時蒐田,既是帝王常禮,今日懷州,秋毫不幹於百姓。凡上書諫正,自有常準,臣貴有詞,主貴能改。如斯詆毀,有似咒詛。」侍中魏徵奏稱:「國家開直言之路,所以上封事者尤多。陛下親自披閱,或冀臣言可取,所以僥幸之士得肆其醜。臣諫其君,甚須折衷,從容諷諫。漢元帝嘗以酎祭宗廟,出便門,御樓船。御史大夫薛廣德當乘輿免冠曰:『宜從橋,陛下不聽臣言,臣自刎,以頸血汙車輪,陛下不入廟矣。』元帝不悅。光祿卿張猛進曰:『臣聞主聖臣直,乘船危,就橋安。聖主不乘危,廣德言可聽。』元帝曰:『曉人不當如是耶!』乃從橋。以此而言,張猛可謂直臣諫君也。」太宗大悅。
新字:貞観十一年,太宗謂侍臣曰:「朕昨往懐州,有上封事者云:『何為恒差山東衆丁於苑内営造?即日徭役,似不下隋時。懐、洛以東,残人不堪其命,而田猟猶数,驕逸之主也。今者復来懐州田猟,忠諫不復至洛陽矣。』四時蒐田,既是帝王常礼,今日懐州,秋毫不幹於百姓。凡上書諫正,自有常準,臣貴有詞,主貴能改。如斯詆毀,有似咒詛。」侍中魏徴奏称:「国家開直言之路,所以上封事者尤多。陛下親自披閲,或冀臣言可取,所以僥幸之士得肆其醜。臣諫其君,甚須折衷,従容諷諫。漢元帝嘗以酎祭宗廟,出便門,御楼船。御史大夫薛広徳当乗輿免冠曰:『宜従橋,陛下不聴臣言,臣自刎,以頸血汚車輪,陛下不入廟矣。』元帝不悦。光禄卿張猛進曰:『臣聞主聖臣直,乗船危,就橋安。聖主不乗危,広徳言可聴。』元帝曰:『暁人不当如是耶!』乃従橋。以此而言,張猛可謂直臣諫君也。」太宗大悦。
書き下し
貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は昨、懐州に往く。封事を上る者有りて云う、『何為れぞ恒に山東の衆丁を苑内の営造に差(つか)わすや。即日の徭役、隋時に下らざるに似たり。懐・洛以東、残人は其の命に堪えず。而して田猟なお数(しばしば)なり。驕逸の主なり。今者、復た懐州に来たりて田猟す。忠諫は復た洛陽に至らざらん』と。四時に蒐田するは、既に是れ帝王の常礼なり。今日の懐州は、秋毫も百姓に干(おか)さず。凡そ書を上りて諫正するは、自ら常準有り。臣は詞有るを貴び、主は能く改むるを貴ぶ。斯くの如き詆毀(ていき)は、咒詛(じゅそ)に似たる有り」と。侍中魏徴奏して称す、「国家は直言の路を開く。所以に封事を上る者は尤も多し。陛下は親ら自ら披閲す。或いは臣の言の取るべきを冀(こいねが)う。所以に僥幸の士は其の醜を肆にするを得たり。臣の其の君を諫むるは、甚だ折衷を須(もち)う。従容として諷諫すべし。漢の元帝、嘗て酎を以て宗廟を祭る。便門を出で、楼船に御せんとす。御史大夫薛広徳は乗輿に当たり、冠を免(ぬ)ぎて曰く、『宜しく橋に従うべし。陛下、臣の言を聴かずんば、臣は自刎して、頸血を以て車輪を汚さん。陛下は廟に入らざらん』と。元帝は悦ばず。光禄卿張猛進みて曰く、『臣聞く、主聖なれば臣直し、と。船に乗るは危うく、橋に就くは安し。聖主は危うきに乗らず。広徳の言は聴くべし』と。元帝曰く、『人を暁すは当に是くの如くなるべきか』と。乃ち橋に従う。此を以て言えば、張猛は直臣の君を諫むる者と謂うべし」と。太宗大いに悦ぶ。
現代語訳
貞観十一年、太宗が側近の臣に言った。「私は昨日、懐州へ行った。封をして意見を上る者があって言った。『なぜ常に山東の壮丁を苑内の造営に使うのか。今日の労役は、隋の時に劣らないようだ。懐州や洛陽以東、疲れた民はその命に堪えられない。それなのに狩りはなお頻繁だ。驕り安逸な主である。今また懐州に来て狩りをする。忠実な諫めは、二度と洛陽に届かないだろう』と。四季の狩りは、帝王の常の礼だ。今日の懐州では、毛一筋も民を侵していない。そもそも上書して諫めるには、常の基準がある。臣下は言葉があることを貴び、君主は改められることを貴ぶ。このような誹謗は、呪いに似ている」。侍中の魏徴が奏上して言った。「国家が直言の道を開いたので、意見を上る者はとりわけ多い。陛下は自ら目を通される。臣の言葉が採られることを願う。だから幸運を当てにする者が、醜さをほしいままにできるのです。臣が君を諫めるには、大いに折り合いが要ります。ゆったりと諷して諫めるべきです。漢の元帝がかつて宗廟を祭り、便門を出て楼船に乗ろうとしました。御史大夫の薛広徳は車の前に立ち、冠を脱いで言った。『橋を通られるべきです。陛下が臣の言葉を聴かれなければ、臣は自刎して、首の血で車輪を汚します。陛下は廟に入れなくなります』。元帝は不快でした。光禄卿の張猛が進み出て言った。『臣はこう聞いております。主が聖ならば臣は直である、と。船に乗るのは危うく、橋を行くのは安らか。聖主は危うきに乗りません。薛広徳の言葉は聴くべきです』。元帝は『人を諭すには、こうあるべきか』と言い、橋を通りました。これから言えば、張猛こそ直臣が君を諫めた者と言うべきです」。太宗は大いに喜んだ。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・畋猟貞観十四年、太宗同州の沙苑に幸し、親ら猛獣を格(う)つ。復た晨(あした)に出でて夜に還る。特進魏徴奏言す、「臣聞く、『書』は文王の敢えて遊田に盤(たの)しまざるを美とし、『伝』は『虞箴』を述べて夷・羿を称して以て戒と為す、と。昔、漢の文は峻阪に臨みて馳せ下らんと欲す。袁盎は轡を攬(と)りて曰く、『聖主は危うきに乗らず、僥幸せず。今、陛下は六飛を騁(は)せ、不測の山に馳す。如し馬驚き車敗るる有らば、陛下は縦い自ら軽んぜんと欲するも、高廟を奈何せん』と。孝武は好んで猛獣を格つ。相如進みて諫む、『力は烏獲を称し、捷は慶忌を言う。人に誠に之れ有らば、獣も亦た宜しく然るべし。猝(にわか)に逸材の獣に遇い、存せざるの地に駭(おどろ)かば、烏獲・逄蒙の伎と雖も用うるを得ず。而して枯木朽株も尽く難と為らん。万全にして患い無しと雖も、然れども本と天子の宜しき所に非ず』と。孝元帝は泰畤に郊し、因りて留まりて射猟す。薛広徳称す、『窃かに見るに関東は困極し、百姓は災に離(かか)る。今日、亡秦の鐘を撞き、鄭・衛の楽を歌う。士卒は暴露し、従官は労倦す。宗廟社稷を安んぜんと欲せば、何ぞ河を憑(わた)り虎を暴(う)つ。未だ之を戒めざるか』と。臣窃かに此の数帝を思うに、心は豈に木石ならんや。独り馳騁の楽を好まざらんや。而して情を割き己を屈し、臣下の言に従いし者は、志は国を為むるに存し、身の為にせざればなり。臣、伏して聞く、車駕近く出でて、親ら猛獣を格ち、晨に往きて夜に還る、と。万乗の尊を以て、暗(くら)きに荒野を行き、深林を践み、豊草を渉る。甚だ万全の計に非ず。願わくは陛下、私情の娯しみを割き、格獣の楽を罷め、上は宗廟社稷の為にし、下は群寮兆庶を慰めよ」と。太宗曰く、「昨日の事は偶々塵昏に属す。故(ことさら)に然るに非ざるなり。今より深く用て誡と為さん」と。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・畋猟秘書監虞世南、太宗の頗る畋猟を好むを以て、疏を上りて諫めて曰く、「臣聞く、秋に狝(せん)し冬に狩るは、蓋し惟れ恒典なり。隼を射て禽に従うは、前誥に備わる、と。伏して惟うに陛下は聴覧の余辰に因り、天道に順いて以て殺伐す。将に班を摧き掌を砕き、親ら皮軒に御し、猛獣の窟穴を窮め、逸材を林藪に尽くさんと欲す。凶を夷(たい)らげ暴を剪り、以て黎元を衛る。革を収め羽を擢(と)り、用て軍器に充つ。旗を挙げ獲を効(いた)し、式(もっ)て前古に遵う。然れども黄屋の尊、金輿の貴きは、八方の徳を仰ぐ所、万国の心を系(か)くる所なり。道を清めて行くも、猶お銜橛(かんけつ)を戒む。斯れ蓋し重ねて慎み微を防ぐ。社稷の為なり。是を以て馬卿は前に直諫し、張昭は後に色を変ず。臣は誠に細微なるも、敢えて斯の義を忘れんや。且つ天弧星罼(せいひつ)、殪(たお)す所は已に多し。禽を頒ち獲を賜う。皇恩も亦た溥(あまね)し。伏して願わくは、時に猟車を息(や)め、且く長戟を韜(つつ)み、芻蕘の請を拒まず、涓澮(けんかい)の流れを降納せよ。袒裼(たんせき)徒搏は、之を群下に任ぜば、則ち範を百王に貽(のこ)し、永く万代を光らさん」と。太宗深く其の言を嘉す。
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貞観政要・求諫貞観十五年、太宗魏徴に問いて曰く、「比来(ひらい)、朝臣は都(すべ)て事を論ぜず。何ぞや」と。徴対えて曰く、「陛下は心を虚しくして采納す。誠に宜しく言う者有るべし。然れども古人云く、『未だ信ぜられずして諫むれば、則ち以て己を謗ると為す。信ぜられて諫めざれば、則ち之を尸禄(しろく)と謂う』と。但だ人の才器は、各々同じからざる有り。懦弱(だじゃく)の人は、忠直を懐きて言う能わず。疎遠の人は、信ぜられざるを恐れて言うを得ず。禄を懐(おも)うの人は、身に不便なるを慮りて敢えて言わず。所以に相与に緘黙(かんもく)し、俯仰して日を過ごす」と。太宗曰く、「誠に卿の言の如し。朕は毎に之を思う。人臣の諫めんと欲すれば、輒(すなわ)ち死亡の禍を懼る。夫の鼎鑊(ていかく)に赴き、白刃を冒すと、亦た何ぞ異ならんや。故に忠貞の臣は、誠を竭くさんと欲せざるに非ず。誠を竭くすは、乃ち是れ極めて難し。所以に禹は昌言に拝す。豈に此が為ならざらんや。朕は今、懐抱を開き、諫諍を納る。卿等は怖懼を労し、遂に極言せざる無かれ」と。
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貞観政要・求諫貞観八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は閒居静坐する毎に、則ち自ら内省す。恒に恐る、上は天心に称わず、下は百姓の怨む所と為らんことを。但だ正人の匡諫を思い、耳目をして外に通じ、下に怨滞無からしめんと欲す。又た比(このごろ)人の来たりて事を奏する者を見るに、多く怖懾(ふしょう)有り、言語は次第を失うに致る。尋常の奏事すら、情なお此くの如し。況んや諫諍せんと欲せば、必ず当に逆鱗を犯すを畏るべし。所以に諫むる者有る毎に、縦(たと)い朕の心に合わずとも、朕も亦た以て忤(さか)らうと為さず。若し即ち嗔責(しんせき)せば、深く恐る、人は戦懼を懐き、豈に肯えて更に言わんや」と。
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貞観政要・納諫貞観三年、李大亮は涼州都督と為る。嘗て臺使の州境に至る有り。名鷹有るを見て、大亮に諷して之を献ぜしむ。大亮密表して曰く、「陛下は久しく畋猟を絶つ。而るに使者は鷹を求む。若し是れ陛下の意ならば、深く昔の旨に乖(そむ)く。如し其れ自ら擅(ほしいまま)にせば、便ち是れ使は其の人に非ず」と。太宗書を下して曰く、「卿は文武を兼資し、志は貞確を懐く。故に藩牧を委ね、茲の重寄に当たらしむ。比(このごろ)州鎮に在り、声績遠く彰る。此の忠勤を念う。豈に寤寐(ごび)に忘れんや。使を遣わして鷹を献ぜしむるに、遂に曲順せず。今を論じ古を引き、遠く直言を献ず。腹心を披露すること、非常に懇到なり。覧て嘉嘆し、已(や)むこと能わず。臣の此くの若き有らば、朕復た何をか憂えん。宜しく此の誠を守り、終始一の若くすべし。『詩』に云う、『爾の位に靖恭(せいきょう)し、是の正直を好めば、神之を聴きて、爾に景福を介(たす)けん』と。古人は一言の重きは、千金に侔(ひと)しと称す。卿の言う所、深く貴ぶに足れり。今、卿に金の壺瓶、金の碗各々一枚を賜う。千鎰の重き無しと雖も、是れ朕の自ら用うるの物なり。卿は志を立つること方直、節を竭くすこと至公。職に処り官に当たり、毎に委ぬる所に副(そ)う。方に大いに任使し、以て重寄を申(の)べん。公事の閒、宜しく典籍を観るべし。兼ねて卿に荀悦『漢紀』一部を賜う。此の書は叙致簡要、論議深博、極めて政の体を為し、尽く君臣の義たり。今、以て卿に賜う。宜しく尋閲を加うべし」と。
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