貞観政要 / 畋猟
谷那律為諫議大夫,嘗從太宗出獵,在途遇雨,太宗問曰:「油衣若為得不漏?」對曰:「能以瓦為之,必不漏矣。」意欲太宗弗數遊獵,大被嘉納。賜帛五十段,加以金帶。
新字:谷那律為諫議大夫,嘗従太宗出猟,在途遇雨,太宗問曰:「油衣若為得不漏?」対曰:「能以瓦為之,必不漏矣。」意欲太宗弗数遊猟,大被嘉納。賜帛五十段,加以金帯。
書き下し
谷那律、諫議大夫と為る。嘗て太宗に従いて猟に出づ。途に在りて雨に遇う。太宗問いて曰く、「油衣は若為(いか)んが漏れざるを得ん」と。対えて曰く、「能く瓦を以て之を為さば、必ず漏れざらん」と。意は太宗の数々遊猟せざらんことを欲す。大いに嘉納せらる。帛五十段を賜い、加うるに金帯を以てす。
現代語訳
谷那律が諫議大夫となった。かつて太宗に従って狩りに出た。途中で雨に遭った。太宗が尋ねた。「油紙の合羽は、どうすれば漏れないだろうか」。答えて言った。「瓦で作れば、必ず漏れません」。その意は、太宗にたびたび狩りに出てほしくない、ということだった。大いに受け入れられ、絹五十段と金の帯を賜った。
解説
谷那律が太宗のお供で狩りに出た途中、雨に降られました。太宗が「油紙の合羽はどうすれば漏れずに済むだろうか」と尋ねると、谷那律は「瓦で作れば、決して漏れません」と答えました。冗談のような受け答えですが、意味は明快です。瓦とは屋根のこと。つまり「屋根の下で大人しくしていれば濡れずに済みますよ」、言い換えれば「そんなに狩りに出歩かないほうがよいのでは」という遠回しの忠告でした。正面から「狩りはおやめください」と言えば角が立ちます。ですが一言のとんちに込めれば、相手も笑って受け止めやすくなります。太宗もその真意をきちんと汲み取り、絹と金の帯を与えて褒めました。家族や友人に小言を言いたいとき、真正面からぶつけるより、軽い冗談に意味を忍ばせるほうが、かえって素直に届くことがあります。
この章句が説くこと
能以瓦為之必不漏矣意欲太宗弗数遊猟機知で伝える
関連する章句
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『智囊』善言・谷那律・裴度高宗猟に出でて雨に遇う。谷那律に問う、「油衣は若何せば漏れざる」と。対えて曰く、「瓦を以て之を為れば則ち漏れず」と。上此に因りて復た猟に出でず。裴度相たりし時、憲宗将に東都に幸せんとす。大臣切に諫むるも納れず。度従容として言う、「国家別都を建つるは、本巡幸に備うるなり。但だ艱難以来、宮闕署屯、百目の区、荒圮して治まらず。必ず歳月を仮りて完新し、然る後に行くべし。倉卒にして備え無くば、有司且つ罪を得ん」と。帝悦びて曰く、「群臣朕に諫むるも此に及ばず。卿の言の如くんば、誠に未だ便ならざる有り。安んぞ往くを用いんや」と。因りて止めて行かず。
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貞観政要・畋猟貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は昨、懐州に往く。封事を上る者有りて云う、『何為れぞ恒に山東の衆丁を苑内の営造に差(つか)わすや。即日の徭役、隋時に下らざるに似たり。懐・洛以東、残人は其の命に堪えず。而して田猟なお数(しばしば)なり。驕逸の主なり。今者、復た懐州に来たりて田猟す。忠諫は復た洛陽に至らざらん』と。四時に蒐田するは、既に是れ帝王の常礼なり。今日の懐州は、秋毫も百姓に干(おか)さず。凡そ書を上りて諫正するは、自ら常準有り。臣は詞有るを貴び、主は能く改むるを貴ぶ。斯くの如き詆毀(ていき)は、咒詛(じゅそ)に似たる有り」と。侍中魏徴奏して称す、「国家は直言の路を開く。所以に封事を上る者は尤も多し。陛下は親ら自ら披閲す。或いは臣の言の取るべきを冀(こいねが)う。所以に僥幸の士は其の醜を肆にするを得たり。臣の其の君を諫むるは、甚だ折衷を須(もち)う。従容として諷諫すべし。漢の元帝、嘗て酎を以て宗廟を祭る。便門を出で、楼船に御せんとす。御史大夫薛広徳は乗輿に当たり、冠を免(ぬ)ぎて曰く、『宜しく橋に従うべし。陛下、臣の言を聴かずんば、臣は自刎して、頸血を以て車輪を汚さん。陛下は廟に入らざらん』と。元帝は悦ばず。光禄卿張猛進みて曰く、『臣聞く、主聖なれば臣直し、と。船に乗るは危うく、橋に就くは安し。聖主は危うきに乗らず。広徳の言は聴くべし』と。元帝曰く、『人を暁すは当に是くの如くなるべきか』と。乃ち橋に従う。此を以て言えば、張猛は直臣の君を諫むる者と謂うべし」と。太宗大いに悦ぶ。
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貞観政要・畋猟貞観十四年、太宗同州の沙苑に幸し、親ら猛獣を格(う)つ。復た晨(あした)に出でて夜に還る。特進魏徴奏言す、「臣聞く、『書』は文王の敢えて遊田に盤(たの)しまざるを美とし、『伝』は『虞箴』を述べて夷・羿を称して以て戒と為す、と。昔、漢の文は峻阪に臨みて馳せ下らんと欲す。袁盎は轡を攬(と)りて曰く、『聖主は危うきに乗らず、僥幸せず。今、陛下は六飛を騁(は)せ、不測の山に馳す。如し馬驚き車敗るる有らば、陛下は縦い自ら軽んぜんと欲するも、高廟を奈何せん』と。孝武は好んで猛獣を格つ。相如進みて諫む、『力は烏獲を称し、捷は慶忌を言う。人に誠に之れ有らば、獣も亦た宜しく然るべし。猝(にわか)に逸材の獣に遇い、存せざるの地に駭(おどろ)かば、烏獲・逄蒙の伎と雖も用うるを得ず。而して枯木朽株も尽く難と為らん。万全にして患い無しと雖も、然れども本と天子の宜しき所に非ず』と。孝元帝は泰畤に郊し、因りて留まりて射猟す。薛広徳称す、『窃かに見るに関東は困極し、百姓は災に離(かか)る。今日、亡秦の鐘を撞き、鄭・衛の楽を歌う。士卒は暴露し、従官は労倦す。宗廟社稷を安んぜんと欲せば、何ぞ河を憑(わた)り虎を暴(う)つ。未だ之を戒めざるか』と。臣窃かに此の数帝を思うに、心は豈に木石ならんや。独り馳騁の楽を好まざらんや。而して情を割き己を屈し、臣下の言に従いし者は、志は国を為むるに存し、身の為にせざればなり。臣、伏して聞く、車駕近く出でて、親ら猛獣を格ち、晨に往きて夜に還る、と。万乗の尊を以て、暗(くら)きに荒野を行き、深林を践み、豊草を渉る。甚だ万全の計に非ず。願わくは陛下、私情の娯しみを割き、格獣の楽を罷め、上は宗廟社稷の為にし、下は群寮兆庶を慰めよ」と。太宗曰く、「昨日の事は偶々塵昏に属す。故(ことさら)に然るに非ざるなり。今より深く用て誡と為さん」と。
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