貞観政要 / 行幸
貞觀十二年,太宗東巡狩,將入洛,次於顯仁宮,宮苑官司多被責罰。侍中魏徵進言曰:「陛下今幸洛州,為是舊征行處,庶其安定,故欲加恩故老。城郭之民未蒙德惠,官司苑監多及罪辜,或以供奉之物不精,又以不為獻食。此則不思止足,志在奢靡,既乖行幸本心,何以副百姓所望?隋主先命在下多作獻食,獻食不多,則有威罰。上之所好,下必有甚,競為無限,遂至滅亡。此非載籍所聞,陛下目所親見。為其無道,故天命陛下代之。當戰戰栗栗,每事省約,參蹤前列,昭訓子孫,奈何今日欲在人之下?陛下若以為足,今日不啻足矣;若以為不足,萬倍於此,亦不足也。」太宗大驚曰:「非公,朕不聞此言。自今已後,庶幾無如此事。」
新字:貞観十二年,太宗東巡狩,将入洛,次於顕仁宮,宮苑官司多被責罰。侍中魏徴進言曰:「陛下今幸洛州,為是旧征行処,庶其安定,故欲加恩故老。城郭之民未蒙徳恵,官司苑監多及罪辜,或以供奉之物不精,又以不為献食。此則不思止足,志在奢靡,既乖行幸本心,何以副百姓所望?隋主先命在下多作献食,献食不多,則有威罰。上之所好,下必有甚,競為無限,遂至滅亡。此非載籍所聞,陛下目所親見。為其無道,故天命陛下代之。当戦戦栗栗,毎事省約,参蹤前列,昭訓子孫,奈何今日欲在人之下?陛下若以為足,今日不啻足矣;若以為不足,万倍於此,亦不足也。」太宗大驚曰:「非公,朕不聞此言。自今已後,庶幾無如此事。」
書き下し
貞観十二年、太宗東のかた巡狩し、将に洛に入らんとす。顕仁宮に次(やど)る。宮苑の官司、多く責罰を被る。侍中魏徴進言して曰く、「陛下、今、洛州に幸す。是れ旧の征行の処なるが為に、其の安定を庶(こいねが)い、故に恩を故老に加えんと欲す。城郭の民は未だ徳恵を蒙らず。官司苑監は多く罪辜に及ぶ。或いは供奉の物の精ならざるを以てし、又た献食を為さざるを以てす。此れ則ち止足を思わず、志は奢靡に在り。既に行幸の本心に乖く。何を以て百姓の望む所に副わんや。隋主は先に下に命じて多く献食を作らしむ。献食多からずんば、則ち威罰有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ載籍の聞く所に非ず。陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。当に戦戦栗栗として、事毎に省約し、蹤を前列に参じ、子孫に昭訓すべし。奈何ぞ今日、人の下に在らんと欲するや。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、此に万倍するも、亦た足らざるなり」と。太宗大いに驚きて曰く、「公に非ずんば、朕は此の言を聞かず。今より已後、庶幾(ちか)くは此くの如き事無からん」と。
現代語訳
貞観十二年、太宗が東へ巡幸し、洛陽に入ろうとした。顕仁宮に宿った。宮殿と庭園の役人が、多く罰を受けた。侍中の魏徴が進言して言った。「陛下は今、洛州に行幸されました。かつて征旅した地であり、その安定を願い、古老に恩を加えようとされたのでしょう。ところが城郭の民はまだ恩恵を受けていません。役人や苑の管理者は、多く罪に問われています。献上の品が上等でないから、あるいは食事を献じなかったから、と。これは足るを知らず、志が奢りにあるということです。行幸の本心に背いています。どうして民の望みに応えられましょう。隋の主は、下に多く食事を献じさせました。献上が少なければ、厳しい罰があった。上が好むことは、下ではさらに甚だしくなる。競って際限がなくなり、ついに滅亡に至りました。これは書物で聞いたことではなく、陛下が自ら目で見られたことです。無道であったから、天が陛下に代わらせたのです。恐れ慎み、事ごとに省き、前の人に倣い、子孫に教え示すべきです。どうして今日、人の下に立とうとされるのですか。陛下がもし足りると思われるなら、今日は足りるどころではありません。もし足りないと思われるなら、この一万倍あっても足りません」。太宗は大いに驚いて言った。「あなたでなければ、この言葉を聞けなかった。今後、このようなことがないようにしよう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・行幸貞観十三年、太宗魏徴等に謂いて曰く、「隋の煬帝は文帝の余業を承け、海内は殷阜なり。若し能く常に関中に処らば、豈に傾敗有らんや。遂に百姓を顧みず、行幸に期無く、径ちに江都に往く。董純・崔象等の諫諍を納れず。身は戮せられ国は滅び、天下の笑いと為る。復た帝祚の長短は、玄天に委すと雖も、而れども福善禍淫は、亦た人事に由る。朕は毎に之を思う。若し君臣長久にして、国に危敗無からんことを欲せば、君に違失有らば、臣は須らく極言すべし。朕は卿等の規諫を聞くに、縦い当時に即ち従う能わずとも、再三思審し、必ず善を択びて之を用いん」と。
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貞観政要・行幸貞観の初め、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の煬帝は広く宮室を造り、以て行幸を肆(ほしいまま)にす。西京より東都に至るまで、離宮別館は、道次に相い望む。乃ち并州・涿郡に至るまで、悉く然らざる無し。馳道は皆な広きこと数百歩。樹を種えて以て其の傍を飾る。人力は堪えず、相い聚まりて賊と為る。末年に逮(およ)び至りて、尺土一人も、復た己が有に非ず。此を以て之を観れば、宮室を広くし、行幸を好むは、竟に何の益か有らん。此れ皆な朕が耳の聞く所、目の見る所なり。深く以て自ら誡む。故に敢えて軽々しく人力を用いず。惟だ百姓をして安静ならしめ、怨叛有らざらしむるのみ」と。
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貞観政要・行幸貞観十一年、太宗洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛(うか)ぶ。顧みて侍臣に謂いて曰く、「此の宮観台沼は並びに煬帝の為す所なり。所謂る生民を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守る能わず、万民を以て慮と為さず。行幸を好みて息(や)まず。民の堪えざる所なり。昔、詩人云う、『何の草か黄ならざる。何の日か行かざる』『小東大東、杼軸(ちょじく)其れ空し』と。正に此を謂うなり。遂に天下をして怨叛せしめ、身は死し国は滅ぶ。今、其の宮苑は尽く我が有と為る。隋氏の傾覆する者は、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦た股肱の良無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如きは、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受くるも、惟だ諂佞を行い、聡明を蔽塞す。其の国をして危うき無からしめんと欲するも、得べからざるなり」と。司空長孫無忌奏言す、「隋氏の亡ぶるは、其の君は則ち忠讜の言を杜塞し、臣は則ち苟も自ら全うせんと欲す。左右に過ち有るも、初めより糾挙せず。寇盗滋蔓するも、亦た実に陳べず。此に拠らば、即ち惟だ天道のみならず、実に君臣の相い匡弼せざるに由る」と。太宗曰く、「朕と卿等と其の余弊を承く。惟だ須らく道を弘め風を移し、万世をして永く頼らしむべし」と。
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貞観政要・倹約貞観四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「宮宇を崇飾し、池台に遊賞するは、帝王の欲する所、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云う、『一言にして以て終身之を行うべき者有るか。其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿かれ』と。労弊の事は、誠に百姓に施すべからず。朕は尊きこと帝王と為り、富は四海を有す。事毎に己に由る。誠に能く自ら節せん。若し百姓の欲せずんば、必ず能く其の情に順わん」と。魏徴曰く、「陛下は本と百姓を憐れみ、毎に己を節して以て人に順う。臣聞く、『欲を以て人に従う者は昌え、人を以て己を楽しましむる者は亡ぶ』と。隋の煬帝は志は無厭に在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称(かな)わずんば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下必ず甚だしき有り。競いて無限を為し、遂に滅亡に至る。此れ書籍の伝うる所に非ず。亦た陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為に、故に天は陛下に命じて之に代わらしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日啻(ただ)に足るのみならず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐるも、亦た足らず」と。太宗曰く、「公の奏対する所は甚だ善し。公に非ずんば、朕安くんぞ此の言を聞くを得んや」と。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・直諫貞観六年、匈奴克(よ)く平らぎ、遠夷入貢し、符瑞日に至り、年穀頻りに登(みの)る。岳牧等屢々封禅を請う。群臣等又た功徳を称述し、以為えらく「時は失うべからず、天は違うべからず。今、之を行うも、臣等は猶お其れ晩しと謂う」と。惟だ魏徴のみ以て不可と為す。太宗曰く、「朕は卿の直言を得んと欲す。隠す所有る勿かれ。朕の功は高からざるか」と。曰く、「高し」と。「徳は未だ厚からざるか」と。曰く、「厚し」と。「華夏は未だ安からざるか」と。曰く、「安し」と。「遠夷は未だ慕わざるか」と。曰く、「慕う」と。「符瑞は未だ至らざるか」と。曰く、「至る」と。「年穀は未だ登らざるか」と。曰く、「登る」と。「然らば則ち何為れぞ不可なる」と。対えて曰く、「陛下の功は高し。而れども民は未だ恵みに懐(なつ)かず。徳は厚し。而れども沢は未だ旁(あまね)く流れず。華夏は安し。而れども未だ事に供するに足らず。遠夷は慕う。而れども以て其の求めに供する無し。符瑞は臻(いた)ると雖も、而れども罻羅(いら)は猶お密なり。歳を積みて豊稔なるも、而れども倉廩は尚お虚し。此れ臣の窃かに未だ可ならずと謂う所以なり。臣は未だ遠く譬うる能わず。且く近く人に喩を借らん。人有り、長く疼痛を患い、任持する能わず。療理して且(まさ)に愈えんとするも、皮骨僅かに存す。便ち一石の米を負い、日に百里を行かんと欲するも、必ず得べからず。隋氏の乱は、十年に止まらず。陛下は之が良医と為り、其の疾苦を除く。已に乂安なりと雖も、未だ甚だしくは充実ならず。成るを天地に告ぐるは、臣窃かに疑い有り。且つ陛下、東のかた封ぜば、万国咸な萃(あつ)まらん。要荒の外、奔馳せざる莫し。今、伊・洛の東より、海・岱に暨(およ)ぶまで、萑莽(かんぼう)の巨沢、茫茫たること千里。人煙は断絶し、鶏犬も聞こえず。道路は蕭条として、進退は艱阻なり。寧ぞ彼の戎狄を引き、示すに虚弱を以てすべけんや。財を竭くして以て賞するも、未だ遠人の望みを厭(あ)かしめず。年を加え復を給するも、百姓の労に償わず。或いは水旱の災、風雨の変に遇わば、庸夫は邪議し、悔ゆるも追うべからず。豈に独り臣の誠懇のみならんや。亦た輿人の論有り」と。太宗善しと称す。是に於て乃ち止む。
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