貞観政要 / 行幸
貞觀十一年,太宗幸洛陽宮,泛舟於積翠池,顧謂侍臣曰:「此宮觀臺沼並煬帝所為,所謂驅役生民,窮此雕麗,復不能守此一都,以萬民為慮。好行幸不息,民所不堪。昔詩人云:『何草不黃?何日不行?』『小東大東,杼軸其空。』正謂此也。遂使天下怨叛,身死國滅,今其宮苑盡為我有。隋氏傾覆者,豈惟其君無道,亦由股肱無良。如宇文述、虞世基、裴蘊之徒,居高官,食厚祿,受人委任,惟行諂佞,蔽塞聰明,欲令其國無危,不可得也。」司空長孫無忌奏言:「隋氏之亡,其君則杜塞忠讜之言,臣則茍欲自全,左右有過,初不糾舉,寇盜滋蔓,亦不實陳。據此,即不惟天道,實由君臣不相匡弼。」太宗曰:「朕與卿等承其餘弊,惟須弘道移風,使萬世永賴矣。」
新字:貞観十一年,太宗幸洛陽宮,泛舟於積翠池,顧謂侍臣曰:「此宮観台沼並煬帝所為,所謂駆役生民,窮此雕麗,復不能守此一都,以万民為慮。好行幸不息,民所不堪。昔詩人云:『何草不黄?何日不行?』『小東大東,杼軸其空。』正謂此也。遂使天下怨叛,身死国滅,今其宮苑尽為我有。隋氏傾覆者,豈惟其君無道,亦由股肱無良。如宇文述、虞世基、裴蘊之徒,居高官,食厚祿,受人委任,惟行諂佞,蔽塞聰明,欲令其国無危,不可得也。」司空長孫無忌奏言:「隋氏之亡,其君則杜塞忠讜之言,臣則茍欲自全,左右有過,初不糾舉,寇盗滋蔓,亦不実陳。拠此,即不惟天道,実由君臣不相匡弼。」太宗曰:「朕与卿等承其余弊,惟須弘道移風,使万世永頼矣。」
書き下し
貞観十一年、太宗洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛(うか)ぶ。顧みて侍臣に謂いて曰く、「此の宮観台沼は並びに煬帝の為す所なり。所謂る生民を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守る能わず、万民を以て慮と為さず。行幸を好みて息(や)まず。民の堪えざる所なり。昔、詩人云う、『何の草か黄ならざる。何の日か行かざる』『小東大東、杼軸(ちょじく)其れ空し』と。正に此を謂うなり。遂に天下をして怨叛せしめ、身は死し国は滅ぶ。今、其の宮苑は尽く我が有と為る。隋氏の傾覆する者は、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦た股肱の良無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如きは、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受くるも、惟だ諂佞を行い、聡明を蔽塞す。其の国をして危うき無からしめんと欲するも、得べからざるなり」と。司空長孫無忌奏言す、「隋氏の亡ぶるは、其の君は則ち忠讜の言を杜塞し、臣は則ち苟も自ら全うせんと欲す。左右に過ち有るも、初めより糾挙せず。寇盗滋蔓するも、亦た実に陳べず。此に拠らば、即ち惟だ天道のみならず、実に君臣の相い匡弼せざるに由る」と。太宗曰く、「朕と卿等と其の余弊を承く。惟だ須らく道を弘め風を移し、万世をして永く頼らしむべし」と。
現代語訳
貞観十一年、太宗が洛陽宮に行幸し、積翠池に舟を浮かべた。振り返って側近の臣に言った。「この宮殿も高殿も池も、みな煬帝の造ったものだ。民を駆り立て、この華美を極めた。それでいてこの都一つも守れず、万民を思いやらなかった。行幸を好んでやまず、民は堪えられなかった。昔、詩人は『どの草が黄ばまないか。どの日に行かないことがあるか』『東の国は、機の織り糸まで空になった』と詠んだ。まさにこのことだ。ついに天下を怨み背かせ、身は死に国は滅んだ。今、その宮殿と庭園は、すべて私のものとなった。隋が覆ったのは、君主が無道だっただけではない。臣下に良い者がいなかったからだ。宇文述、虞世基、裴蘊のような者は、高官にあり厚い俸禄を食み、人から任を受けながら、ただへつらいを行い、君主の聡明さを塞いだ。その国が危うくないようにと願っても、できはしない」。司空の長孫無忌が奏上した。「隋が滅んだのは、君主が忠実な言葉を塞ぎ、臣下はその場しのぎに自分を守ろうとしたからです。周囲に過ちがあっても、初めから正さない。賊が広がっても、事実を述べない。これによれば、天の道だけでなく、実に君臣が互いに正し合わなかったことによります」。太宗は言った。「私と諸君は、その残された弊害を受け継いだ。ただ道を広め風を改め、万代にわたって頼りとさせるべきだ」。