師導古典を学びたいすべての人に

貞観政要 / 安辺

至十六年,西突厥遣兵寇西州,太宗謂侍臣曰:「朕聞西州有警急,雖不足為害,然豈能無憂乎?往者初平高昌,魏徵、褚遂良勸朕立麴文泰子弟,依舊為國,朕竟不用其計,今日方自悔責。昔漢高祖遭平城之圍而賞婁敬,袁紹敗於官渡而誅田豐,朕恒以此二事為誡,寧得忘所言者乎!」

新字:至十六年,西突厥遣兵寇西州,太宗謂侍臣曰:「朕聞西州有警急,雖不足為害,然豈能無憂乎?往者初平高昌,魏徴、褚遂良勧朕立麴文泰子弟,依旧為国,朕竟不用其計,今日方自悔責。昔漢高祖遭平城之囲而賞婁敬,袁紹敗於官渡而誅田豊,朕恒以此二事為誡,寧得忘所言者乎!」

書き下し

十六年に至り、西突厥、兵を遣わして西州を寇す。太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は西州に警急有りと聞く。害を為すに足らずと雖も、然れども豈に能く憂い無からんや。往者、初めて高昌を平らぐ。魏徴・褚遂良は朕に麴文泰の子弟を立て、旧に依りて国と為さんことを勧む。朕は竟に其の計を用いず。今日、方に自ら悔責す。昔、漢の高祖は平城の囲に遭いて婁敬を賞す。袁紹は官渡に敗れて田豊を誅す。朕は恒に此の二事を以て誡と為す。寧ぞ言う所の者を忘るるを得んや」と。

現代語訳

貞観十六年、西突厥が兵を遣わして西州を侵した。太宗が側近の臣に言った。「私は西州に急を告げる知らせがあると聞いた。害となるほどではないが、憂えずにいられようか。かつて高昌を平定した時、魏徴と褚遂良は、麴文泰の子弟を立てて、元のとおり国とするよう勧めた。私はついにその計を用いなかった。今日、初めて自ら悔い責めている。昔、漢の高祖は平城で囲まれて、婁敬を賞した。袁紹は官渡に敗れて、田豊を誅した。私は常にこの二つの事を戒めとしている。どうして言ってくれた者を忘れられようか」。

解説

貞観十六年、ついに西突厥が西州を侵しました。太宗はかつて魏徴と褚遂良が、高昌を平定した後に元の王の子弟を立てて国として存続させるよう勧めたのに、自分がその意見を採らなかったことを、ここで初めて悔い改めます。そして二つの故事を挙げます。漢の高祖は平城で敵に囲まれるという苦境を経験した後、かつて反対意見を述べていた婁敬をむしろ褒め称えました。一方、袁紹は官渡で敗れた後、正しい意見を述べていた田豊を殺してしまいました。失敗した後に、正しかった人をどう扱うか——褒めるのか、恨むのか。そこにその人の器がはっきりと現れます。これは家庭でも仕事でも同じで、忠告してくれた人を後になって逆恨みするか、素直に感謝できるかで、その人の人となりが分かるものです。

この章句が説くこと

今日方自悔責高祖賞婁敬袁紹誅田豊失敗後の器

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる