貞観政要 / 安辺
黃門侍郎褚遂良亦以為不可,上疏曰:「臣聞古者哲后臨朝,明王創業,必先華夏而後夷狄,廣諸德化,不事遐荒。是以周宣薄伐,至境而反;始皇遠塞,中國分離。陛下誅滅高昌,威加西域,收其鯨鯢,以為州縣。然則王師初發之歲,河西供役之年,飛芻挽粟,十室九空,數郡蕭然,五年不復。陛下每歲遣千餘人而遠事屯戍,終年離別,萬里思歸。去者資裝,自須營辦,既賣菽粟,傾其機杼。經途死亡,復在言外。兼遣罪人,增其防遏,所遣之內,復有逃亡,官司捕捉,為國生事。高昌途路,沙磧千里,冬風冰冽,夏風如焚,行人遇之多死。《易》云『安不忘危,治不忘亂。』設令張掖塵飛,酒泉烽舉,陛下豈能得高昌一人菽粟而及事乎?終須發隴右諸州,星馳電擊。由斯而言,此河西者方於心腹,彼高昌者他人手足,豈得糜費中華,以事無用?陛下平頡利於沙塞,滅吐渾於西海,突厥餘落,為立可汗,葉渾遺萌,更樹君長,復立高昌,非無前例,此所謂有罪而誅之,既服而存之。宜擇高昌可立者,徵給首領,遣還本國,負戴洪恩,長為藩翰。中國不擾,既富且寧,傳之子孫,以貽後代。」疏奏,不納。
新字:黄門侍郎褚遂良亦以為不可,上疏曰:「臣聞古者哲后臨朝,明王創業,必先華夏而後夷狄,広諸徳化,不事遐荒。是以周宣薄伐,至境而反;始皇遠塞,中国分離。陛下誅滅高昌,威加西域,収其鯨鯢,以為州県。然則王師初発之歳,河西供役之年,飛芻挽粟,十室九空,数郡蕭然,五年不復。陛下毎歳遣千余人而遠事屯戍,終年離別,万里思帰。去者資装,自須営辦,既売菽粟,傾其機杼。経途死亡,復在言外。兼遣罪人,增其防遏,所遣之内,復有逃亡,官司捕捉,為国生事。高昌途路,沙磧千里,冬風冰冽,夏風如焚,行人遇之多死。《易》云『安不忘危,治不忘乱。』設令張掖塵飛,酒泉烽舉,陛下豈能得高昌一人菽粟而及事乎?終須発隴右諸州,星馳電撃。由斯而言,此河西者方於心腹,彼高昌者他人手足,豈得糜費中華,以事無用?陛下平頡利於沙塞,滅吐渾於西海,突厥余落,為立可汗,葉渾遺萌,更樹君長,復立高昌,非無前例,此所謂有罪而誅之,既服而存之。宜択高昌可立者,徴給首領,遣還本国,負戴洪恩,長為藩翰。中国不擾,既富且寧,伝之子孫,以貽後代。」疏奏,不納。
書き下し
黄門侍郎褚遂良も亦た以て不可と為す。疏を上りて曰く、「臣聞く、古者、哲后の朝に臨み、明王の業を創むるや、必ず華夏を先にして夷狄を後にす。諸々の徳化を広め、遐荒を事とせず、と。是を以て周宣は薄伐し、境に至りて反(かえ)る。始皇は遠く塞ぎ、中国分離す。陛下は高昌を誅滅し、威は西域に加わる。其の鯨鯢を収め、以て州県と為す。然れば則ち王師の初めて発するの歳、河西の役に供するの年、芻を飛ばし粟を挽き、十室九空なり。数郡は蕭然たり。五年にして復せず。陛下は毎歳千余人を遣わして遠く屯戍を事とす。終年離別し、万里に帰を思う。去る者の資装は、自ら営辦を須(もち)う。既に菽粟を売り、其の機杼を傾く。途を経て死亡するは、復た言外に在り。兼ねて罪人を遣わし、其の防遏を増す。遣わす所の内、復た逃亡有り。官司は捕捉し、国の為に事を生ず。高昌の途路は、沙磧千里。冬の風は冰冽、夏の風は焚くが如し。行人は之に遇わば多く死す。『易』に云う『安くして危うきを忘れず、治まりて乱るるを忘れず』と。設令(たと)い張掖に塵飛び、酒泉に烽挙がらば、陛下は豈に能く高昌の一人の菽粟を得て事に及ばんや。終に須らく隴右の諸州を発し、星馳電撃すべし。斯れに由りて言えば、此の河西なる者は心腹に方(なぞら)え、彼の高昌なる者は他人の手足なり。豈に中華を糜費して、以て無用を事とするを得んや。陛下は頡利を沙塞に平らげ、吐渾を西海に滅ぼす。突厥の余落は、為に可汗を立つ。葉渾の遺萌は、更に君長を樹つ。復た高昌を立つるは、前例無きに非ず。此れ所謂る罪有りて之を誅し、既に服して之を存す、なり。宜しく高昌の立つべき者を択び、首領を徴給し、遣わして本国に還さば、洪恩を負戴し、長く藩翰と為らん。中国は擾されず。既に富み且つ寧し。之を子孫に伝え、以て後代に貽(のこ)さん」と。疏奏するも、納れられず。
現代語訳
黄門侍郎の褚遂良も不可とし、上奏して言った。「臣はこう聞いております。昔、賢明な君主が朝に臨み、名君が業を創める時は、必ず中華を先にして異民族を後にした。徳と教化を広め、遠い辺境を事としなかった、と。だから周の宣王は軽く討ち、境に至って帰りました。始皇帝は遠く塞を築き、中国は分裂しました。陛下は高昌を滅ぼし、威は西域に及びました。その首領を捕らえ、州県としました。しかし王師が出発した年、河西で役に就いた年、飼葉を飛ばし穀物を運び、十軒のうち九軒が空になりました。数郡は寂れ、五年経っても回復しません。陛下は毎年千余人を遣わして遠く守らせる。年中別れ、万里の彼方で帰郷を思う。行く者の旅支度は、自分で調えねばならない。穀物を売り、機織り機まで手放す。道中で死ぬ者は、言うまでもない。あわせて罪人を送り、守りを増やす。送った中からも逃亡が出る。役所が捕らえ、国のために事を生む。高昌への道は、砂漠が千里。冬の風は氷のごとく、夏の風は焼くようです。旅人は多く死にます。『易経』に『安らかにあって危うきを忘れず、治まっていて乱を忘れず』とあります。もし張掖に塵が飛び、酒泉に烽火が上がれば、陛下は高昌から一人分の穀物を得て、間に合うでしょうか。結局は隴右の諸州から兵を出し、駆けつけねばなりません。ここから言えば、この河西こそ心腹であり、あの高昌は他人の手足です。どうして中華を費やして、無用を事としてよいのですか。陛下は頡利を砂漠で平らげ、吐谷渾を西海で滅ぼされた。突厥の残った部族には可汗を立て、吐谷渾の残りには君長を立てられた。高昌を再び立てることも、前例がないわけではない。これがいわゆる、罪あれば誅し、服せば存らえさせるということです。高昌で立てるべき者を択び、首領を送り出して本国に帰せば、大恩を担い、永く藩屏となるでしょう。中国は乱されず、富み安らかです。子孫に伝え、後代に残せます」。上奏したが、受け入れられなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・安辺貞観十四年、侯君集、高昌を平らげし後、太宗は其の地を以て州県と為さんと欲す。魏徴曰く、「陛下、初めて天下に臨む。高昌王は先に来たりて朝謁す。自後、数々商胡有りて、其の貢献を遏絶すと称す。加うるに大国の詔使に礼せざるを以てす。遂に王誅をして加えしむ。若し罪を文泰に止めば、斯れ亦た可なり。未だ因りて其の民を撫し、其の子を立つるに若かず。所謂る罪を伐ち民を吊す。威徳は遐外に被る。国を為むるの善なる者なり。今、若し其の土壌を利として以て州県と為さば、常に千余人を須(もち)いて鎮守せしめ、数年に一たび易(か)う。来往交替する毎に、死する者は十に三四有り。衣資を遣辦(けんべん)し、親戚に離別す。十年の後、隴右は空虚ならん。陛下は終に高昌の撮谷尺布をも得て以て中国を助くること能わず。所謂る有用を散じて無用を事とするなり。臣は未だ其の可なるを見ず」と。太宗従わず。竟に其の地を以て西州を置く。仍お西州を以て安西都護府と為す。毎歳、千余人を調発して其の地を防遏せしむ。
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貞観政要・安辺突厥の頡利の破れて後より、諸部落の首領の来降する者は、皆な将軍・中郎将に拝せられ、朝廷に布列す。五品以上百余人。殆ど朝士と相い半ばす。惟だ拓抜のみ至らず。又た遣わして之を招慰す。使者は道に相い望む。涼州都督李大亮は以為えらく、事に於て益無く、徒らに中国を費やすと。疏を上りて曰く、「臣聞く、遠きを綏(やす)んぜんと欲する者は必ず先ず近きを安んず、と。中国の百姓は、天下の根本なり。四夷の人は、猶お枝葉に於けるがごとし。其の根本を擾(みだ)して以て枝葉を厚くし、而して久安を求むるは、未だ之れ有らざるなり。古より明王は、中国を化するに信を以てし、夷狄を馭するに権を以てす。故に『春秋』に云う、『戎狄は豺狼なり。厭くべからざるなり。諸夏は親昵なり。棄つべからざるなり』と。陛下、区宇に君臨してより、根を深くし本を固くす。人は逸し兵は強く、九州は殷富なり。四夷は自ら服す。今者、突厥を招致し、提封に入ると雖も、臣は愚にして稍(やや)労費を覚ゆ。未だ其の益有るを悟らざるなり。然れども河西の民庶は、藩夷を鎮禦す。州県は蕭条とし、戸口は鮮少なり。加うるに隋の乱に因り、減耗尤も多し。突厥の未だ平らがざるの前、尚お業に安んぜず。匈奴の微弱なりし以来、始めて農畝に就く。若し即ち労役せば、恐らくは防損を致さん。臣が愚惑を以て、請う、招慰を停めよ。且つ之を荒服と謂うは、故に臣として納れざるなり。是を以て周室は民を愛し狄を攘(はら)い、竟に八百の齢を延ぶ。秦王は戦を軽んじ胡に事う。故に四十載にして絶滅す。漢の文は兵を養い静かに守る。天下は安豊なり。孝武は威を揚げ遠く略す。海内は虚耗す。輪台を悔ゆと雖も、追うも已に及ばず。隋室に至りては、早く伊吾を得、兼ねて鄯善を統ぶ。且つ既に之を得るの後、労費は日に甚だし。内を虚しくして外を致す。竟に損じて益無し。遠く秦・漢を尋ね、近く隋室を観るに、動静安危は、昭然として備われり。伊吾は已に臣附すと雖も、遠く藩磧に在り。民は夏人に非ず。地は沙鹵多し。其の自ら豎立して藩附庸と称する者は、請う、羈縻して之を受け、塞外に居らしめよ。必ず威を畏れ徳に懐き、永く藩臣と為らん。蓋し虚恵を行いて実福を収むるなり。近日、突厥は国を傾けて入朝す。既に之を江淮に俘(とりこ)にして、以て其の俗を変ずる能わず。乃ち内地に置き、京を去ること遠からず。則ち寛仁の義なりと雖も、亦た久安の計に非ざるなり。一人の初めて降るを見る毎に、物五匹、袍一領を賜う。酋長は悉く大官を授かる。禄は厚く位は尊し。理として糜費多し。中国の租賦を以て、積悪の凶虜に供す。其の衆は益ます多し。中国の利に非ざるなり」と。太宗納れず。
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貞観政要・安辺十六年に至り、西突厥、兵を遣わして西州を寇す。太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は西州に警急有りと聞く。害を為すに足らずと雖も、然れども豈に能く憂い無からんや。往者、初めて高昌を平らぐ。魏徴・褚遂良は朕に麴文泰の子弟を立て、旧に依りて国と為さんことを勧む。朕は竟に其の計を用いず。今日、方に自ら悔責す。昔、漢の高祖は平城の囲に遭いて婁敬を賞す。袁紹は官渡に敗れて田豊を誅す。朕は恒に此の二事を以て誡と為す。寧ぞ言う所の者を忘るるを得んや」と。
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貞観政要・征伐臣聞く、兵は戢(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ、と。当今、聖化の覃(およ)ぶ所、遠しとして暨(いた)らざる無し。上古の臣とせざる所の者、陛下は皆な能く之を臣とす。制せざる所の者、皆な能く之を制す。詳らかに古今を観るに、中国の患害と為るは、突厥に過ぐるは無し。遂に能く坐して神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相い次いで手を束ぬ。禁衛を分典し、戟を執りて行間にあり。其の後、延陀は鴟張す。尋いで夷滅に就く。鉄勒は義を慕い、州県を置かんことを請う。沙漠已北、万里に塵無し。高昌の流沙に叛渙し、吐渾の積石に首鼠するが如きに至りては、偏師もて薄伐し、倶に平蕩に従う。高麗は歴代誅を逋(のが)れ、能く討撃する莫し。陛下は其の逆乱、主を殺し人を虐ぐるを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問う。未だ旬日を経ずして、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万を計る。諸州に分配し、満たざる処無し。往代の宿恥を雪ぎ、崤陵の枯骨を掩う。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安くんぞ敢えて備さに説かんや。
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貞観政要・納諫貞観十五年、使を遣わして西域に詣り、葉護可汗を立てしむ。未だ還らざるに、又た人をして多く金帛を賫(もたら)し、諸国を歴(へ)て馬を市(か)わしむ。魏徴諫めて曰く、「今、使を発するに可汗を立つるを以て名と為す。可汗未だ定立せざるに、即ち諸国に詣りて馬を市う。彼は必ず以為えらく、意は馬を市うに在り、専ら可汗を立つるが為ならずと。可汗、立つを得ば、則ち甚だしくは恩に懐かず。立つを得ずんば、則ち深き怨みを生ず。諸蕃之を聞かば、且つ中国を重んぜず。但だ彼の国をして安寧ならしめば、則ち諸国の馬は、求めずして自ら至らん。昔、漢の文帝に千里の馬を献ずる者有り。曰く、『吾が吉行は日に三十、凶行は日に五十。鸞輿は前に在り、属車は後に在り。吾独り千里の馬に乗らば、将に安(いず)くにか之かんとするや』と。乃ち其の道里の費やす所を償いて之を返す。又た光武に千里の馬及び宝剣を献ずる者有り。馬は以て鼓車に駕し、剣は以て騎士に賜う。今、陛下の凡そ施為する所は、皆な邈(はる)かに三王の上を過ぐ。奈何ぞ此に至りて孝文・光武の下と為らんと欲するや。又た魏の文帝は西域の大珠を求め市わんとす。蘇則曰く、『若し陛下の恵み四海に及ばば、則ち求めずして自ら至らん。求めて之を得るは、貴ぶに足らず』と。陛下は縦(たと)い漢の文の高行を慕う能わずとも、蘇則の正言を畏れざるべけんや」と。太宗遽かに之を止めしむ。
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貞観政要・安辺貞観四年、李靖、突厥の頡利を撃ち、之を敗る。其の部落の多く来たりて帰降する者あり。詔して安辺の策を議せしむ。中書令温彦博議す、「請う、河南に於て之を処せん。漢の建武の時に準ずるに、降匈奴を五原の塞下に置き、其の部落を全うし、捍蔽と為すを得たり。又た其の土俗を離れず、因りて之を撫す。一には則ち空虚の地を実たし、二には則ち猜無きの心を示す。是れ含育の道なり」と。太宗之に従う。秘書監魏徴曰く、「匈奴は古より今に至るまで、未だ斯くの如きの破敗有らず。此れ是れ上天の剿絶、宗廟の神武なり。且つ其れ世々中国を寇し、万姓の冤仇なり。陛下は其の降と為るを以て、誅滅する能わずんば、即ち宜しく河北に遣発し、其の旧土に居らしむべし。匈奴は人面獣心、我が族類に非ず。強ければ必ず寇盗し、弱ければ則ち卑伏す。恩義を顧みざるは、其の天性なり。秦・漢の之を患うること是くの若し。故に時に猛将を発して以て之を撃ち、其の河南を収めて以て郡県と為す。陛下は内地を以て之に居らしむ。且つ今、降る者は幾(ほとん)ど十万に至る。数年の後、滋息は倍に過ぎん。我が肘腋に居り、王畿に甫(はじ)めて邇(ちか)し。心腹の疾なり。将に後患と為らん。尤も河南に処すべからざるなり」と。温彦博曰く、「天子の万物に於けるや、天は覆い地は載す。我に帰する者有らば則ち必ず之を養う。今、突厥は破除せられ、余落は帰附す。陛下、憐湣を加えず、棄てて納れずんば、天地の道に非ず。四夷の意を阻む。臣は愚なるも甚だ不可と謂う。宜しく之を河南に処すべし。所謂る死して之を生かし、亡びて之を存す。我が厚恩を懐かば、終に叛逆無からん」と。魏徴曰く、「晋代、魏の時に有り。胡の部落は近郡に分居す。江統は逐いて塞外に出ださんことを勧む。武帝は其の言を用いず。数年の後、遂に瀍・洛を傾く。前代の覆車、殷鑑遠からず。陛下、必ず彦博の言を用い、遣わして河南に居らしめば、所謂る獣を養いて自ら患いを遺す者なり」と。彦博又た曰く、「臣聞く、聖人の道は、通ぜざる所無し、と。突厥の余魂は、命を以て我に帰す。収めて内地に居らしめ、教うるに礼法を以てし、其の酋首を選び、遣わして宿衛に居らしむ。威を畏れ徳に懐かば、何の患いか之れ有らん。且つ光武は河南の単于を内郡に居らしめ、以て漢の藩翰と為す。一代を終うるまで、叛逆有らず」と。又た曰く、「隋の文帝は兵馬を労し、倉庫を費やし、可汗を樹立し、其の国に復せしむ。後に恩を孤(そむ)き信を失い、煬帝を雁門に囲む。今、陛下は仁厚なり。其の欲する所に従い、河南・河北、情に任せて居住せしめ、各々酋長有り、相い統属せず。力は散じ勢は分かる。安くんぞ能く害を為さん」と。給事中杜楚客進みて曰く、「北狄は人面獣心。徳を以て懐け難く、威を以て服し易し。今、其の部落をして河南に散処せしめば、中華に逼近す。久しくば必ず患いと為らん。雁門の役の如きに至りては、是れ突厥の恩に背くと雖も、自ら隋主の無道に由る。中国は之を以て喪乱す。豈に亡国を興復して以て此の禍を致すと云うを得んや。夷は華を乱さず。前哲の明訓なり。亡を存し絶を継ぐは、列聖の通規なり。臣は恐る、事の古を師とせずんば、以て長久なり難きを」と。太宗は其の言を嘉すも、方に懐柔に務め、未だ之に従わず。卒に彦博の策を用う。幽州より霊州に至るまで、順・祐・化・長の四州都督府を置きて以て之を処す。其の人の長安に居る者は近く且つ万家なり。
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