貞観政要 / 征伐
太宗見表,嘆曰:「此人危篤如此,尚能憂我國家。」雖諫不從,終為善策。
新字:太宗見表,嘆曰:「此人危篤如此,尚能憂我国家。」雖諫不従,終為善策。
書き下し
太宗表を見て、嘆じて曰く、「此の人、危篤なること此くの如し。尚お能く我が国家を憂う」と。諫は従われずと雖も、終に善策と為す。
現代語訳
太宗は上表を見て、嘆じて言った。「この人は、これほど危篤でありながら、なお我が国家を憂えてくれる」。諫めは聞き入れられなかったが、結局は善き策であった。
解説
太宗は房玄齢の上表を読み、「これほど危篤でありながら、なお我が国のことを案じてくれるのか」と深く心を動かされました。しかし結局、高句麗遠征をやめることはありませんでした。書き下し文にあるとおり、「諫めは聞き入れられなかったが、結局は良い策であった」と史書は記しています。感動したことと、実際に行動を変えることは、別のことなのです。人は心を動かされても、決めたことを変えるのは簡単ではありません。これは私たちの暮らしでも同じで、親や友人の忠告に「なるほど」と涙するほど納得しても、いざとなると自分の考えを変えられないことがあります。感動と決断のあいだには、思っている以上に大きな隔たりがあるのです。
この章句が説くこと
雖諫不従終為善策感動と決断は別
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