貞観政要 / 征伐
貞觀十八年,太宗以高麗莫離支賊殺其主,殘虐其下,議將討之。諫議大夫褚遂良進曰:「陛下兵機神算,人莫能知。昔隋末亂離,克平寇難,及北狄侵邊,西蕃失禮,陛下欲命將擊之,群臣莫不苦諫,惟陛下明略獨斷,卒並誅夷。今聞陛下將伐高麗,意皆熒惑。然陛下神武英聲,不比周、隋之主,兵若渡遼,事須克捷,萬一不獲,無以威示遠方,必更發怒,再動兵眾。若至於此,安危難測。」太宗然之。
新字:貞観十八年,太宗以高麗莫離支賊殺其主,残虐其下,議将討之。諫議大夫褚遂良進曰:「陛下兵機神算,人莫能知。昔隋末乱離,克平寇難,及北狄侵辺,西蕃失礼,陛下欲命将撃之,群臣莫不苦諫,惟陛下明略独断,卒並誅夷。今聞陛下将伐高麗,意皆熒惑。然陛下神武英声,不比周、隋之主,兵若渡遼,事須克捷,万一不獲,無以威示遠方,必更発怒,再動兵衆。若至於此,安危難測。」太宗然之。
書き下し
貞観十八年、太宗は高麗の莫離支の其の主を賊殺し、其の下を残虐するを以て、議して将に之を討たんとす。諫議大夫褚遂良進みて曰く、「陛下の兵機神算は、人の能く知る莫し。昔、隋末の乱離に、寇難を克平す。北狄の辺を侵し、西蕃の礼を失うに及び、陛下は将に命じて之を撃たんと欲す。群臣は苦諫せざる莫し。惟だ陛下の明略独断もて、卒に並びに誅夷す。今、陛下の将に高麗を伐たんとするを聞き、意は皆な熒惑(けいわく)す。然れども陛下の神武英声は、周・隋の主に比せず。兵、若し遼を渡らば、事は須らく克捷すべし。万一獲ずんば、以て遠方に威を示す無し。必ず更に発怒し、再び兵衆を動かさん。若し此に至らば、安危は測り難し」と。太宗之を然りとす。
現代語訳
貞観十八年、太宗は高句麗の莫離支が主君を殺し、下の者を虐げていることから、討伐を議した。諫議大夫の褚遂良が進み出て言った。「陛下の用兵の神算は、人の知り得ないところです。昔、隋末の乱離で、敵を平定されました。北方の異民族が辺境を侵し、西方が礼を失った時、陛下は将に命じて撃とうとされた。群臣はみな苦しく諫めました。しかし陛下の明察と独断によって、ついにすべて討ち滅ぼされた。今、陛下が高句麗を討とうとされると聞き、みな惑っています。しかし陛下の武勇と名声は、北周や隋の主とは比べものになりません。兵がもし遼水を渡れば、必ず勝たねばならない。万一勝てなければ、遠方に威を示せない。必ずさらに怒って、再び軍を動かすでしょう。もしそうなれば、安危は測りがたい」。太宗はこれをよしとした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・貢賦貞観十八年、太宗将に高麗を伐たんとす。其の莫離支、使を遣わして白金を貢す。黄門侍郎褚遂良諫めて曰く、「莫離支は其の主を虐殺す。九夷の容れざる所なり。陛下は之を以て兵を興し、将に吊伐を事とし、遼東の人の為に主辱の恥に報いんとす。古者、君を弑するの賊を討つに、其の賂を受けず。昔、宋の督は魯君に遺(おく)るに郜鼎(こうてい)を以てす。桓公之を大廟に受く。臧哀伯諫めて曰く、『人に君たる者は将に徳を昭らかにし違を塞がんとす。今、徳を滅し違を立て、而して其の賂器を大廟に置く。百官之に象(かたど)らば、又た何ぞ誅せんや。武王、商に克ち、九鼎を雒邑に遷す。義士すら猶お或いは之を非とす。而るに況んや将に違乱の賂器を昭らかにして諸を大廟に置かんとするをや。其れ之を若何せん』と。夫れ『春秋』の書は、百王の則を取る。若し不臣の筐篚(きょうひ)を受け、弑逆の朝貢を納れて、以て愆(あやまち)と為さずんば、将た何ぞ伐を致さんや。臣謂えらく、莫離支の献ずる所は、自ら受くるに合わず」と。太宗之に従う。
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貞観政要・征伐貞観十九年、太宗将に親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言す、「車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子も又た国を定州に監す。東西の二京は、府庫の在る所なり。鎮守有りと雖も、終に是れ空虚なり。遼東は路遥かなり。恐らくは玄感の変有らん。且つ辺隅の小国は、親しく万乗を労するに足らず。若し克勝せば、武と為すに足らず。倘(も)し勝たずんば、翻って笑わるる所と為る。伏して請う、之を良将に委ねば、自ら時に応じて摧滅すべし」と。太宗は其の諫に従わずと雖も、識者は之を是とす。
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貞観政要・征伐臣聞く、兵は戢(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ、と。当今、聖化の覃(およ)ぶ所、遠しとして暨(いた)らざる無し。上古の臣とせざる所の者、陛下は皆な能く之を臣とす。制せざる所の者、皆な能く之を制す。詳らかに古今を観るに、中国の患害と為るは、突厥に過ぐるは無し。遂に能く坐して神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相い次いで手を束ぬ。禁衛を分典し、戟を執りて行間にあり。其の後、延陀は鴟張す。尋いで夷滅に就く。鉄勒は義を慕い、州県を置かんことを請う。沙漠已北、万里に塵無し。高昌の流沙に叛渙し、吐渾の積石に首鼠するが如きに至りては、偏師もて薄伐し、倶に平蕩に従う。高麗は歴代誅を逋(のが)れ、能く討撃する莫し。陛下は其の逆乱、主を殺し人を虐ぐるを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問う。未だ旬日を経ずして、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万を計る。諸州に分配し、満たざる処無し。往代の宿恥を雪ぎ、崤陵の枯骨を掩う。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安くんぞ敢えて備さに説かんや。
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貞観政要・征伐貞観四年、有司上言す、「林邑の蛮国、表疏は不順なり。請う、兵を発して之を討撃せん」と。太宗曰く、「兵は凶器なり。已むを得ずして之を用う。故に漢の光武云う、『一たび兵を発する毎に、覚えず頭須の白と為る』と。古より以来、兵を窮め武を極めて、亡びざる者は未だ有らざるなり。苻堅は自ら兵の強きを恃み、必ず晋室を吞まんと欲す。兵を興すこと百万、一挙にして亡ぶ。隋主も亦た必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役す。人は怨みに勝えず。遂に匹夫の手に死す。頡利の如きに至りては、往歳、数々来たりて我が国家を侵す。部落は征役に疲れ、遂に滅亡に至る。朕は今、此を見る。豈に輒ち即ち兵を発するを得んや。但だ山険を経歴し、土は瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を克剪すと雖も、亦た何の補う所ぞ。言語の間、何ぞ介意するに足らんや」と。竟に之を討たず。
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貞観政要・征伐『周易』に曰く、「進むを知りて退くを知らず、存するを知りて亡ぶるを知らず、得るを知りて喪うを知らず」と。又た曰く、「進退存亡を知りて、其の正を失わざる者は、其れ惟だ聖人のみか」と。此に由りて之を言えば、進むに退くの義有り、存するに亡ぶるの機有り、得るに喪うの理有り。老臣の陛下の為に之を惜しむ所以の者は、蓋し此を謂うなり。『老子』に曰く、「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」と。臣謂えらく、陛下の威名功徳は、亦た足れりとすべし。地を拓き疆を開くは、亦た止むべし。彼の高麗なる者は、辺夷の賤類なり。侍するに仁義を以てするに足らず、責むるに常理を以てすべからず。古来、魚鱉を以て之を畜(か)う。宜しく闊略に従うべし。必ず其の種類を絶たんと欲せば、深く恐る、獣窮まれば則ち搏(う)つを。且つ陛下は死囚を決する毎に、必ず三覆五奏せしめ、素食を進め、音楽を停むる者は、蓋し人命の重んずる所を以て、聖慈を感動すればなり。況んや今、兵士の徒は、一の罪戻無し。故無くして之を戦陣の間に駆り、之を鋒刃の下に委ぬ。肝脳をして地に塗(まみ)れ、魂魄をして帰する無からしむ。其の老父・孤児、寡妻・慈母をして、轊車(えいしゃ)を望みて掩泣し、枯骨を抱きて心を摧かしむ。陰陽を変動し、和気を感傷するに足る。実に天下の冤痛なり。且つ兵は凶器、戦は危事なり。已むを得ずして之を用う。向(さき)に高麗をして臣節を違失せしめて、陛下之を誅するは可なり。百姓を侵擾せば、而して陛下之を滅ぼすは可なり。久長にして能く中国の患いを為さば、而して陛下之を除くは可なり。一も此に有らば、日に万夫を殺すと雖も、愧と為すに足らず。今、此の三条無し。坐して中国を煩わす。内は旧主の為に怨みを雪ぎ、外は新羅の為に仇に報ゆ。豈に存する所の者は小にして、損する所の者は大なるに非ずや。
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貞観政要・征伐貞観二十二年、太宗将に重ねて高麗を討たんとす。是の時、房玄齢は寝疾増劇す。顧みて諸子に謂いて曰く、「当今、天下は清謐にして、咸な其の宜しきを得たり。惟だ東のかた高麗を討たんと欲するのみ、主に国害と為る。吾は知りて言わずんば、恨みを銜(ふく)みて地に入ると謂うべし」と。遂に表を上りて諫めて曰く、
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