貞観政要 / 征伐
貞觀十七年,太宗謂侍臣曰:「蓋蘇文弒其主而奪其國政,誠不可忍。今日國家兵力,取之不難,朕未能即動兵眾,且令契丹、靺鞨攪擾之,何如?」房玄齡對曰:「臣觀古之列國,無不強陵弱,眾暴寡。今陛下撫養蒼生,將士勇銳,力有餘而不取之,所謂止戈為武者也。昔漢武帝屢伐匈奴,隋主三征遼左,人貧國敗,實此之由,惟陛下詳察。」太宗曰:「善!」
新字:貞観十七年,太宗謂侍臣曰:「蓋蘇文弒其主而奪其国政,誠不可忍。今日国家兵力,取之不難,朕未能即動兵衆,且令契丹、靺鞨攪擾之,何如?」房玄齢対曰:「臣観古之列国,無不強陵弱,衆暴寡。今陛下撫養蒼生,将士勇鋭,力有余而不取之,所謂止戈為武者也。昔漢武帝屡伐匈奴,隋主三征遼左,人貧国敗,実此之由,惟陛下詳察。」太宗曰:「善!」
書き下し
貞観十七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「蓋蘇文は其の主を弑して其の国政を奪う。誠に忍ぶべからず。今日、国家の兵力、之を取るに難からず。朕は未だ即ち兵衆を動かす能わず。且く契丹・靺鞨をして之を攪擾せしめば、何如」と。房玄齢対えて曰く、「臣は古の列国を観るに、強は弱を陵ぎ、衆は寡を暴(しいた)げざるは無し。今、陛下は蒼生を撫養し、将士は勇鋭なり。力は余り有るも之を取らず。所謂る戈を止むるを武と為す者なり。昔、漢の武帝は屢々匈奴を伐ち、隋主は三たび遼左を征す。人は貧しく国は敗る。実に此に由る。惟だ陛下、詳察せよ」と。太宗曰く、「善し」と。
現代語訳
貞観十七年、太宗が側近の臣に言った。「蓋蘇文は主君を弑して国政を奪った。まことに許しがたい。今、国家の兵力では、取るのは難しくない。私はすぐには軍を動かせない。しばらく契丹と靺鞨に彼らを攪乱させたらどうか」。房玄齢が答えて言った。「臣が昔の列国を見るに、強者が弱者を凌ぎ、多数が少数を虐げないものはありません。今、陛下は民を養い、将兵は勇猛です。力に余裕がありながら取らない。これがいわゆる、戈を止めることを武となす、ということです。昔、漢の武帝はたびたび匈奴を討ち、隋の主は三度遼東を征しました。人は貧しく国は破れた。まさにこれによります。どうか陛下、詳しくお考えください」。太宗は「よし」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・征伐貞観四年、有司上言す、「林邑の蛮国、表疏は不順なり。請う、兵を発して之を討撃せん」と。太宗曰く、「兵は凶器なり。已むを得ずして之を用う。故に漢の光武云う、『一たび兵を発する毎に、覚えず頭須の白と為る』と。古より以来、兵を窮め武を極めて、亡びざる者は未だ有らざるなり。苻堅は自ら兵の強きを恃み、必ず晋室を吞まんと欲す。兵を興すこと百万、一挙にして亡ぶ。隋主も亦た必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役す。人は怨みに勝えず。遂に匹夫の手に死す。頡利の如きに至りては、往歳、数々来たりて我が国家を侵す。部落は征役に疲れ、遂に滅亡に至る。朕は今、此を見る。豈に輒ち即ち兵を発するを得んや。但だ山険を経歴し、土は瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を克剪すと雖も、亦た何の補う所ぞ。言語の間、何ぞ介意するに足らんや」と。竟に之を討たず。
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貞観政要・征伐貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「北狄は世々寇乱を為す。今、延陀は倔強なり。須らく早く之が所を為すべし。朕は熟ら之を思う。惟だ二策有るのみ。徒十万を選び、撃ちて之を虜とし、凶醜を滌除せば、百年患い無し。此れ一策なり。若し其の来請に遂い、之と婚媾を為さば、朕は蒼生の父母と為る。苟も之を利すべくんば、豈に一女を惜しまんや。北狄の風俗、多くは内政に由る。亦た既に子を生まば、則ち我が外孫なり。中国を侵さざること、断じて知るべし。此を以て言えば、辺境は三十年来事無きを得るに足る。此の二策を挙ぐるに、何者か先と為す」と。司空房玄齢対えて曰く、「隋室大乱の後に遭い、戸口は太半未だ復せず。兵は凶にして戦は危し。聖人の慎む所なり。和親の策、実に天下幸甚なり」と。
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貞観政要・征伐臣聞く、兵は戢(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ、と。当今、聖化の覃(およ)ぶ所、遠しとして暨(いた)らざる無し。上古の臣とせざる所の者、陛下は皆な能く之を臣とす。制せざる所の者、皆な能く之を制す。詳らかに古今を観るに、中国の患害と為るは、突厥に過ぐるは無し。遂に能く坐して神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相い次いで手を束ぬ。禁衛を分典し、戟を執りて行間にあり。其の後、延陀は鴟張す。尋いで夷滅に就く。鉄勒は義を慕い、州県を置かんことを請う。沙漠已北、万里に塵無し。高昌の流沙に叛渙し、吐渾の積石に首鼠するが如きに至りては、偏師もて薄伐し、倶に平蕩に従う。高麗は歴代誅を逋(のが)れ、能く討撃する莫し。陛下は其の逆乱、主を殺し人を虐ぐるを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問う。未だ旬日を経ずして、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万を計る。諸州に分配し、満たざる処無し。往代の宿恥を雪ぎ、崤陵の枯骨を掩う。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安くんぞ敢えて備さに説かんや。
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貞観政要・征伐貞観十九年、太宗将に親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言す、「車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子も又た国を定州に監す。東西の二京は、府庫の在る所なり。鎮守有りと雖も、終に是れ空虚なり。遼東は路遥かなり。恐らくは玄感の変有らん。且つ辺隅の小国は、親しく万乗を労するに足らず。若し克勝せば、武と為すに足らず。倘(も)し勝たずんば、翻って笑わるる所と為る。伏して請う、之を良将に委ねば、自ら時に応じて摧滅すべし」と。太宗は其の諫に従わずと雖も、識者は之を是とす。
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貞観政要・政体貞観十九年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕、古来の帝王を観るに、驕矜(きょうきょう)にして敗を取る者は、勝(あ)げて数うべからず。遠く古昔を述ぶる能わず。晋の武の呉を平らげ、隋の文の陳を伐ちて已後の如きに至りては、心は逾(いよい)よ驕奢にして、自ら諸己(もろもろ)を矜(ほこ)る。臣下は復た敢えて言わず。政道は茲(これ)に因りて弛紊(しびん)す。朕、突厥を平定し、高麗を破りて已後、兼ねて鉄勒(てつろく)を并(あわ)せ、沙漠を席巻して以て州県と為す。夷狄は遠く服し、声教は益ます広し。朕は驕矜を懐かんことを恐れ、恒に自ら抑折し、日旰(く)れて食し、坐して以て晨(あした)を待つ。毎に臣下に讜言(とうげん)直諫の、以て政教に施すべき者有るを思い、当に目を拭いて師友を以て之を待つべし。此の如くんば、時康く道泰(やす)きに庶幾(ちか)からんのみ」と。
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貞観政要・征伐貞観十八年、太宗は高麗の莫離支の其の主を賊殺し、其の下を残虐するを以て、議して将に之を討たんとす。諫議大夫褚遂良進みて曰く、「陛下の兵機神算は、人の能く知る莫し。昔、隋末の乱離に、寇難を克平す。北狄の辺を侵し、西蕃の礼を失うに及び、陛下は将に命じて之を撃たんと欲す。群臣は苦諫せざる莫し。惟だ陛下の明略独断もて、卒に並びに誅夷す。今、陛下の将に高麗を伐たんとするを聞き、意は皆な熒惑(けいわく)す。然れども陛下の神武英声は、周・隋の主に比せず。兵、若し遼を渡らば、事は須らく克捷すべし。万一獲ずんば、以て遠方に威を示す無し。必ず更に発怒し、再び兵衆を動かさん。若し此に至らば、安危は測り難し」と。太宗之を然りとす。
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