貞観政要 / 征伐
貞觀十六年,太宗謂侍臣曰:「北狄世為寇亂,今延陀倔強,須早為之所。朕熟思之,惟有二策:選徒十萬,擊而虜之,滌除兇醜,百年無患,此一策也。若遂其來請,與之為婚媾。朕為蒼生父母,茍可利之,豈惜一女!北狄風俗,多由內政,亦既生子,則我外孫,不侵中國,斷可知矣。以此而言,邊境足得三十年來無事。舉此二策,何者為先?」司空房玄齡對曰:「遭隋室大亂之後,戶口太半未復,兵兇戰危,聖人所慎,和親之策,實天下幸甚。」
新字:貞観十六年,太宗謂侍臣曰:「北狄世為寇乱,今延陀倔強,須早為之所。朕熟思之,惟有二策:選徒十万,撃而虜之,滌除兇醜,百年無患,此一策也。若遂其来請,与之為婚媾。朕為蒼生父母,苟可利之,豈惜一女!北狄風俗,多由内政,亦既生子,則我外孫,不侵中国,断可知矣。以此而言,辺境足得三十年来無事。舉此二策,何者為先?」司空房玄齢対曰:「遭隋室大乱之後,戸口太半未復,兵兇戦危,聖人所慎,和親之策,実天下幸甚。」
書き下し
貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「北狄は世々寇乱を為す。今、延陀は倔強なり。須らく早く之が所を為すべし。朕は熟ら之を思う。惟だ二策有るのみ。徒十万を選び、撃ちて之を虜とし、凶醜を滌除せば、百年患い無し。此れ一策なり。若し其の来請に遂い、之と婚媾を為さば、朕は蒼生の父母と為る。苟も之を利すべくんば、豈に一女を惜しまんや。北狄の風俗、多くは内政に由る。亦た既に子を生まば、則ち我が外孫なり。中国を侵さざること、断じて知るべし。此を以て言えば、辺境は三十年来事無きを得るに足る。此の二策を挙ぐるに、何者か先と為す」と。司空房玄齢対えて曰く、「隋室大乱の後に遭い、戸口は太半未だ復せず。兵は凶にして戦は危し。聖人の慎む所なり。和親の策、実に天下幸甚なり」と。
現代語訳
貞観十六年、太宗が側近の臣に言った。「北方の異民族は代々乱をなしてきた。今、薛延陀が強情である。早く手を打つべきだ。私はよく考えた。ただ二つの策がある。十万の兵を選び、攻めて捕虜とし、悪を一掃すれば、百年憂いがない。これが一つの策だ。もし彼らの願いを容れ、婚姻を結べば、私は民の父母である。民に利があるなら、どうして娘一人を惜しもうか。北方の風俗は、多くが内政に由来する。子が生まれれば、私の外孫だ。中国を侵さないことは、はっきり分かる。こう言えば、辺境は三十年ほど事なく過ごせよう。この二策のうち、どちらを先とすべきか」。司空の房玄齢が答えて言った。「隋の大乱の後に遭い、人口の大半がまだ回復していません。兵は凶であり、戦は危うい。聖人の慎むところです。和親の策こそ、天下の幸いです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・征伐貞観十七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「蓋蘇文は其の主を弑して其の国政を奪う。誠に忍ぶべからず。今日、国家の兵力、之を取るに難からず。朕は未だ即ち兵衆を動かす能わず。且く契丹・靺鞨をして之を攪擾せしめば、何如」と。房玄齢対えて曰く、「臣は古の列国を観るに、強は弱を陵ぎ、衆は寡を暴(しいた)げざるは無し。今、陛下は蒼生を撫養し、将士は勇鋭なり。力は余り有るも之を取らず。所謂る戈を止むるを武と為す者なり。昔、漢の武帝は屢々匈奴を伐ち、隋主は三たび遼左を征す。人は貧しく国は敗る。実に此に由る。惟だ陛下、詳察せよ」と。太宗曰く、「善し」と。
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貞観政要・征伐貞観十九年、太宗将に親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言す、「車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子も又た国を定州に監す。東西の二京は、府庫の在る所なり。鎮守有りと雖も、終に是れ空虚なり。遼東は路遥かなり。恐らくは玄感の変有らん。且つ辺隅の小国は、親しく万乗を労するに足らず。若し克勝せば、武と為すに足らず。倘(も)し勝たずんば、翻って笑わるる所と為る。伏して請う、之を良将に委ねば、自ら時に応じて摧滅すべし」と。太宗は其の諫に従わずと雖も、識者は之を是とす。
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貞観政要・征伐貞観四年、有司上言す、「林邑の蛮国、表疏は不順なり。請う、兵を発して之を討撃せん」と。太宗曰く、「兵は凶器なり。已むを得ずして之を用う。故に漢の光武云う、『一たび兵を発する毎に、覚えず頭須の白と為る』と。古より以来、兵を窮め武を極めて、亡びざる者は未だ有らざるなり。苻堅は自ら兵の強きを恃み、必ず晋室を吞まんと欲す。兵を興すこと百万、一挙にして亡ぶ。隋主も亦た必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役す。人は怨みに勝えず。遂に匹夫の手に死す。頡利の如きに至りては、往歳、数々来たりて我が国家を侵す。部落は征役に疲れ、遂に滅亡に至る。朕は今、此を見る。豈に輒ち即ち兵を発するを得んや。但だ山険を経歴し、土は瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を克剪すと雖も、亦た何の補う所ぞ。言語の間、何ぞ介意するに足らんや」と。竟に之を討たず。
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貞観政要・征伐臣聞く、兵は戢(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ、と。当今、聖化の覃(およ)ぶ所、遠しとして暨(いた)らざる無し。上古の臣とせざる所の者、陛下は皆な能く之を臣とす。制せざる所の者、皆な能く之を制す。詳らかに古今を観るに、中国の患害と為るは、突厥に過ぐるは無し。遂に能く坐して神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相い次いで手を束ぬ。禁衛を分典し、戟を執りて行間にあり。其の後、延陀は鴟張す。尋いで夷滅に就く。鉄勒は義を慕い、州県を置かんことを請う。沙漠已北、万里に塵無し。高昌の流沙に叛渙し、吐渾の積石に首鼠するが如きに至りては、偏師もて薄伐し、倶に平蕩に従う。高麗は歴代誅を逋(のが)れ、能く討撃する莫し。陛下は其の逆乱、主を殺し人を虐ぐるを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問う。未だ旬日を経ずして、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万を計る。諸州に分配し、満たざる処無し。往代の宿恥を雪ぎ、崤陵の枯骨を掩う。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安くんぞ敢えて備さに説かんや。
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貞観政要・安辺突厥の頡利の破れて後より、諸部落の首領の来降する者は、皆な将軍・中郎将に拝せられ、朝廷に布列す。五品以上百余人。殆ど朝士と相い半ばす。惟だ拓抜のみ至らず。又た遣わして之を招慰す。使者は道に相い望む。涼州都督李大亮は以為えらく、事に於て益無く、徒らに中国を費やすと。疏を上りて曰く、「臣聞く、遠きを綏(やす)んぜんと欲する者は必ず先ず近きを安んず、と。中国の百姓は、天下の根本なり。四夷の人は、猶お枝葉に於けるがごとし。其の根本を擾(みだ)して以て枝葉を厚くし、而して久安を求むるは、未だ之れ有らざるなり。古より明王は、中国を化するに信を以てし、夷狄を馭するに権を以てす。故に『春秋』に云う、『戎狄は豺狼なり。厭くべからざるなり。諸夏は親昵なり。棄つべからざるなり』と。陛下、区宇に君臨してより、根を深くし本を固くす。人は逸し兵は強く、九州は殷富なり。四夷は自ら服す。今者、突厥を招致し、提封に入ると雖も、臣は愚にして稍(やや)労費を覚ゆ。未だ其の益有るを悟らざるなり。然れども河西の民庶は、藩夷を鎮禦す。州県は蕭条とし、戸口は鮮少なり。加うるに隋の乱に因り、減耗尤も多し。突厥の未だ平らがざるの前、尚お業に安んぜず。匈奴の微弱なりし以来、始めて農畝に就く。若し即ち労役せば、恐らくは防損を致さん。臣が愚惑を以て、請う、招慰を停めよ。且つ之を荒服と謂うは、故に臣として納れざるなり。是を以て周室は民を愛し狄を攘(はら)い、竟に八百の齢を延ぶ。秦王は戦を軽んじ胡に事う。故に四十載にして絶滅す。漢の文は兵を養い静かに守る。天下は安豊なり。孝武は威を揚げ遠く略す。海内は虚耗す。輪台を悔ゆと雖も、追うも已に及ばず。隋室に至りては、早く伊吾を得、兼ねて鄯善を統ぶ。且つ既に之を得るの後、労費は日に甚だし。内を虚しくして外を致す。竟に損じて益無し。遠く秦・漢を尋ね、近く隋室を観るに、動静安危は、昭然として備われり。伊吾は已に臣附すと雖も、遠く藩磧に在り。民は夏人に非ず。地は沙鹵多し。其の自ら豎立して藩附庸と称する者は、請う、羈縻して之を受け、塞外に居らしめよ。必ず威を畏れ徳に懐き、永く藩臣と為らん。蓋し虚恵を行いて実福を収むるなり。近日、突厥は国を傾けて入朝す。既に之を江淮に俘(とりこ)にして、以て其の俗を変ずる能わず。乃ち内地に置き、京を去ること遠からず。則ち寛仁の義なりと雖も、亦た久安の計に非ざるなり。一人の初めて降るを見る毎に、物五匹、袍一領を賜う。酋長は悉く大官を授かる。禄は厚く位は尊し。理として糜費多し。中国の租賦を以て、積悪の凶虜に供す。其の衆は益ます多し。中国の利に非ざるなり」と。太宗納れず。
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貞観政要・征伐貞観五年、康国、帰附を請う。時に太宗侍臣に謂いて曰く、「前代の帝王、大いに土地を広むるに務め、以て身後の虚名を求むる有り。身に益無く、其の民は甚だ困しむ。仮令(たと)い身に益有るも、百姓に損有らば、朕は必ず為す有らんや。況んや虚名を求めて百姓を損なうをや。康国既に来たりて朝に帰す。急難有らば救わざるを得ず。兵、万里を行かば、豈に民に労無きを得んや。若し民を労して名を求むるは、朕の欲する所に非ず。請う所の帰附は、納るるを須(もち)いざるなり」と。
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