貞観政要 / 征伐
貞觀五年,康國請歸附。時太宗謂侍臣曰:「前代帝王,大有務廣土地,以求身後之虛名,無益於身,其民甚困。假令於身有益,於百姓有損,朕必有為,況求虛名而損百姓乎?康國既來歸朝,有急難不得不救;兵行萬里,豈得無勞於民?若勞民求名,非朕所欲。所請歸附,不須納也。」
新字:貞観五年,康国請帰附。時太宗謂侍臣曰:「前代帝王,大有務広土地,以求身後之虚名,無益於身,其民甚困。仮令於身有益,於百姓有損,朕必有為,況求虚名而損百姓乎?康国既来帰朝,有急難不得不救;兵行万里,豈得無労於民?若労民求名,非朕所欲。所請帰附,不須納也。」
書き下し
貞観五年、康国、帰附を請う。時に太宗侍臣に謂いて曰く、「前代の帝王、大いに土地を広むるに務め、以て身後の虚名を求むる有り。身に益無く、其の民は甚だ困しむ。仮令(たと)い身に益有るも、百姓に損有らば、朕は必ず為す有らんや。況んや虚名を求めて百姓を損なうをや。康国既に来たりて朝に帰す。急難有らば救わざるを得ず。兵、万里を行かば、豈に民に労無きを得んや。若し民を労して名を求むるは、朕の欲する所に非ず。請う所の帰附は、納るるを須(もち)いざるなり」と。
現代語訳
貞観五年、康国が帰属を願い出た。太宗が側近の臣に言った。「前代の帝王には、大いに領土を広げることに努め、死後の空しい名声を求めた者がある。自身に益はなく、民は甚だ苦しんだ。たとえ自身に益があっても、民に損があれば、私は行うだろうか。まして空しい名声を求めて民を損なうなど。康国が帰属を願い出た以上、急難があれば救わないわけにいかない。兵が万里を行けば、民に労苦がないはずがない。民を労して名を求めるのは、私の望むところではない。願い出た帰属は、受け入れる必要はない」。
解説
康国という遠方の国が、進んで唐に帰属したいと願い出てきました。領土や勢力が広がる、一見喜ばしい申し出です。ところが太宗は「昔の帝王には、むやみに領土を広げ、死んだ後の名誉ばかりを求めた者がいる。それは自分の得にはならず、民をひどく苦しめただけだった」と述べ、この申し出を断ります。たとえ自分の得になったとしても、民に負担がかかるなら行わない、まして空しい名誉のために民を苦しめるなど論外だ、というのです。一度帰属を受け入れれば、困った時には助けに行かねばならず、兵を万里の彼方まで送る負担が民にのしかかります。名声や規模の大きさに目を奪われて引き受けた話が、後になって思わぬ負担として重くのしかかってくることは、家庭でも近所付き合いでも珍しくありません。引き受ける前に、その先に続く責任まで見通す。そうした慎重さを、この章句は教えてくれます。
この章句が説くこと
求身後之虚名無益於身其民甚困若労民求名非朕所欲獲得と維持
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