貞観政要 / 征伐
貞觀四年,有司上言:「林邑蠻國,表疏不順,請發兵討擊之。」太宗曰:「兵者兇器,不得已而用之。故漢光武云:『每一發兵,不覺頭須為白。』自古以來窮兵極武,未有不亡者也。苻堅自恃兵強,欲必吞晉室,興兵百萬,一舉而亡。隋主亦必欲取高麗,頻年勞役,人不勝怨,遂死於匹夫之手。至如頡利,往歲數來侵我國家,部落疲於征役,遂至滅亡。朕今見此,豈得輒即發兵?但經歷山險,土多瘴癧,若我兵士疾疫,雖克剪此蠻,亦何所補?言語之間,何足介意!」竟不討之。
新字:貞観四年,有司上言:「林邑蠻国,表疏不順,請発兵討撃之。」太宗曰:「兵者兇器,不得已而用之。故漢光武云:『毎一発兵,不覚頭須為白。』自古以来窮兵極武,未有不亡者也。苻堅自恃兵強,欲必呑晋室,興兵百万,一舉而亡。隋主亦必欲取高麗,頻年労役,人不勝怨,遂死於匹夫之手。至如頡利,往歳数来侵我国家,部落疲於征役,遂至滅亡。朕今見此,豈得輒即発兵?但経歴山険,土多瘴癧,若我兵士疾疫,雖克剪此蠻,亦何所補?言語之間,何足介意!」竟不討之。
書き下し
貞観四年、有司上言す、「林邑の蛮国、表疏は不順なり。請う、兵を発して之を討撃せん」と。太宗曰く、「兵は凶器なり。已むを得ずして之を用う。故に漢の光武云う、『一たび兵を発する毎に、覚えず頭須の白と為る』と。古より以来、兵を窮め武を極めて、亡びざる者は未だ有らざるなり。苻堅は自ら兵の強きを恃み、必ず晋室を吞まんと欲す。兵を興すこと百万、一挙にして亡ぶ。隋主も亦た必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役す。人は怨みに勝えず。遂に匹夫の手に死す。頡利の如きに至りては、往歳、数々来たりて我が国家を侵す。部落は征役に疲れ、遂に滅亡に至る。朕は今、此を見る。豈に輒ち即ち兵を発するを得んや。但だ山険を経歴し、土は瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を克剪すと雖も、亦た何の補う所ぞ。言語の間、何ぞ介意するに足らんや」と。竟に之を討たず。
現代語訳
貞観四年、担当の役所が上言した。「林邑という蛮国が、上表文が無礼です。兵を出して討つことを願います」。太宗は言った。「兵は凶器である。やむを得ず用いるものだ。だから漢の光武帝は『一度兵を出すたび、知らぬ間に髪と髭が白くなる』と言った。昔から、兵を極め武を極めて、滅びなかった者はない。苻堅は兵の強さを恃み、必ず晋を呑もうとした。百万の兵を興し、一挙に滅んだ。隋の主も必ず高句麗を取ろうとし、毎年労役を課した。人々は怨みに堪えられず、ついに一介の男の手にかかって死んだ。頡利に至っては、以前、たびたび我が国を侵した。部族は遠征に疲れ、ついに滅亡した。私は今、これを見ている。どうして軽々しく兵を出せようか。それに山は険しく、土地は疫病が多い。もし我が兵士が病めば、この蛮族を滅ぼしても、何の足しになろうか。言葉遣いくらい、気にするに足りない」。ついに討たなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・征伐貞観十七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「蓋蘇文は其の主を弑して其の国政を奪う。誠に忍ぶべからず。今日、国家の兵力、之を取るに難からず。朕は未だ即ち兵衆を動かす能わず。且く契丹・靺鞨をして之を攪擾せしめば、何如」と。房玄齢対えて曰く、「臣は古の列国を観るに、強は弱を陵ぎ、衆は寡を暴(しいた)げざるは無し。今、陛下は蒼生を撫養し、将士は勇鋭なり。力は余り有るも之を取らず。所謂る戈を止むるを武と為す者なり。昔、漢の武帝は屢々匈奴を伐ち、隋主は三たび遼左を征す。人は貧しく国は敗る。実に此に由る。惟だ陛下、詳察せよ」と。太宗曰く、「善し」と。
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貞観政要・征伐『周易』に曰く、「進むを知りて退くを知らず、存するを知りて亡ぶるを知らず、得るを知りて喪うを知らず」と。又た曰く、「進退存亡を知りて、其の正を失わざる者は、其れ惟だ聖人のみか」と。此に由りて之を言えば、進むに退くの義有り、存するに亡ぶるの機有り、得るに喪うの理有り。老臣の陛下の為に之を惜しむ所以の者は、蓋し此を謂うなり。『老子』に曰く、「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」と。臣謂えらく、陛下の威名功徳は、亦た足れりとすべし。地を拓き疆を開くは、亦た止むべし。彼の高麗なる者は、辺夷の賤類なり。侍するに仁義を以てするに足らず、責むるに常理を以てすべからず。古来、魚鱉を以て之を畜(か)う。宜しく闊略に従うべし。必ず其の種類を絶たんと欲せば、深く恐る、獣窮まれば則ち搏(う)つを。且つ陛下は死囚を決する毎に、必ず三覆五奏せしめ、素食を進め、音楽を停むる者は、蓋し人命の重んずる所を以て、聖慈を感動すればなり。況んや今、兵士の徒は、一の罪戻無し。故無くして之を戦陣の間に駆り、之を鋒刃の下に委ぬ。肝脳をして地に塗(まみ)れ、魂魄をして帰する無からしむ。其の老父・孤児、寡妻・慈母をして、轊車(えいしゃ)を望みて掩泣し、枯骨を抱きて心を摧かしむ。陰陽を変動し、和気を感傷するに足る。実に天下の冤痛なり。且つ兵は凶器、戦は危事なり。已むを得ずして之を用う。向(さき)に高麗をして臣節を違失せしめて、陛下之を誅するは可なり。百姓を侵擾せば、而して陛下之を滅ぼすは可なり。久長にして能く中国の患いを為さば、而して陛下之を除くは可なり。一も此に有らば、日に万夫を殺すと雖も、愧と為すに足らず。今、此の三条無し。坐して中国を煩わす。内は旧主の為に怨みを雪ぎ、外は新羅の為に仇に報ゆ。豈に存する所の者は小にして、損する所の者は大なるに非ずや。
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貞観政要・征伐貞観十九年、太宗将に親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言す、「車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子も又た国を定州に監す。東西の二京は、府庫の在る所なり。鎮守有りと雖も、終に是れ空虚なり。遼東は路遥かなり。恐らくは玄感の変有らん。且つ辺隅の小国は、親しく万乗を労するに足らず。若し克勝せば、武と為すに足らず。倘(も)し勝たずんば、翻って笑わるる所と為る。伏して請う、之を良将に委ねば、自ら時に応じて摧滅すべし」と。太宗は其の諫に従わずと雖も、識者は之を是とす。
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貞観政要・征伐貞観十八年、太宗は高麗の莫離支の其の主を賊殺し、其の下を残虐するを以て、議して将に之を討たんとす。諫議大夫褚遂良進みて曰く、「陛下の兵機神算は、人の能く知る莫し。昔、隋末の乱離に、寇難を克平す。北狄の辺を侵し、西蕃の礼を失うに及び、陛下は将に命じて之を撃たんと欲す。群臣は苦諫せざる莫し。惟だ陛下の明略独断もて、卒に並びに誅夷す。今、陛下の将に高麗を伐たんとするを聞き、意は皆な熒惑(けいわく)す。然れども陛下の神武英声は、周・隋の主に比せず。兵、若し遼を渡らば、事は須らく克捷すべし。万一獲ずんば、以て遠方に威を示す無し。必ず更に発怒し、再び兵衆を動かさん。若し此に至らば、安危は測り難し」と。太宗之を然りとす。
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貞観政要・征伐太宗の『帝範』に曰く、「夫れ兵甲なる者は、国家の凶器なり。土地は広しと雖も、戦を好めば則ち民は雕(つか)る。中国は安しと雖も、戦を忘るれば則ち民は殆(あや)うし。雕は保全の術に非ず。殆は寇に擬するの方に非ず。以て全く除くべからず。以て常に用うべからず。故に農隙に武を講ずるは、威儀を習うなり。三年に兵を治むるは、等列を辨ずるなり。是を以て勾践は蛙に軾(しょく)し、卒に覇業を成す。徐偃は武を棄て、終に以て邦を喪う。何ぞや。越は其の威を習い、徐は其の備えを忘るればなり。孔子曰く、『教えざるの民を以て戦うは、是を之れ棄つと謂う』と。故に知る、弧矢の威は、以て天下を利す。此れ兵を用うるの職なり」と。
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貞観政要・征伐貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「北狄は世々寇乱を為す。今、延陀は倔強なり。須らく早く之が所を為すべし。朕は熟ら之を思う。惟だ二策有るのみ。徒十万を選び、撃ちて之を虜とし、凶醜を滌除せば、百年患い無し。此れ一策なり。若し其の来請に遂い、之と婚媾を為さば、朕は蒼生の父母と為る。苟も之を利すべくんば、豈に一女を惜しまんや。北狄の風俗、多くは内政に由る。亦た既に子を生まば、則ち我が外孫なり。中国を侵さざること、断じて知るべし。此を以て言えば、辺境は三十年来事無きを得るに足る。此の二策を挙ぐるに、何者か先と為す」と。司空房玄齢対えて曰く、「隋室大乱の後に遭い、戸口は太半未だ復せず。兵は凶にして戦は危し。聖人の慎む所なり。和親の策、実に天下幸甚なり」と。
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