貞観政要 / 辨興亡
貞觀九年,太宗謂魏徵曰:「頃讀周、齊史,末代亡國之主為惡多相類也。齊主深好奢侈,所有府庫用之略盡,乃至關市無不稅斂。朕常謂此猶如饞人自食其肉,肉盡必死。人君賦斂不已,百姓既弊,其君亦亡,齊主即是也。然天元、齊主若為優劣?」徵對曰:「二主亡國雖同,其行則別。齊主愞弱,政出多門,國無綱紀,遂至亡滅。天元性兇而強,威福在己,亡國之事,皆在其身。以此論之,齊主為劣。」
新字:貞観九年,太宗謂魏徴曰:「頃読周、斉史,末代亡国之主為悪多相類也。斉主深好奢侈,所有府庫用之略尽,乃至関市無不税斂。朕常謂此猶如饞人自食其肉,肉尽必死。人君賦斂不已,百姓既弊,其君亦亡,斉主即是也。然天元、斉主若為優劣?」徴対曰:「二主亡国雖同,其行則別。斉主愞弱,政出多門,国無綱紀,遂至亡滅。天元性兇而強,威福在己,亡国之事,皆在其身。以此論之,斉主為劣。」
書き下し
貞観九年、太宗魏徴に謂いて曰く、「頃(このごろ)周・斉の史を読む。末代の亡国の主の悪を為すは、多く相い類するなり。斉主は深く奢侈を好む。有らゆる府庫は之を用いて略ぼ尽くす。乃ち関市に至るまで税斂せざる無し。朕は常に謂う、此れ猶お饞人の自ら其の肉を食らうがごとし。肉尽くれば必ず死す。人君の賦斂已まずんば、百姓既に弊れ、其の君も亦た亡ぶ。斉主は即ち是なり。然れども天元と斉主と、若為(いかん)が優劣なる」と。徴対えて曰く、「二主の国を亡ぼすは同じと雖も、其の行いは則ち別なり。斉主は愞弱(だじゃく)にして、政は多門より出づ。国に綱紀無く、遂に亡滅に至る。天元は性は凶にして強く、威福は己に在り。亡国の事は、皆な其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣と為す」と。
現代語訳
貞観九年、太宗が魏徴に言った。「近頃、北周と北斉の史書を読んだ。末代の亡国の君主が悪を行うさまは、多くが似ている。北斉の主は深く奢侈を好んだ。倉庫の蓄えをほとんど使い果たし、ついには関所や市場に至るまで税を取らないところがなかった。私はいつも思う。これは飢えた者が自分の肉を食うようなものだ。肉が尽きれば必ず死ぬ。君主が取り立てをやめなければ、民は疲弊し、その君主も滅びる。北斉の主がまさにそれだ。ところで北周の天元帝と北斉の主とでは、どちらが優れ、どちらが劣るか」。魏徴が答えて言った。「二人の主が国を滅ぼしたのは同じですが、その行いは違います。北斉の主は気弱で、政治が複数の門から出た。国に綱紀がなく、ついに滅亡に至りました。天元帝は性質が凶悪で強く、威も福も自分にあった。亡国の事は、すべて自分の身にあります。これで論じれば、北斉の主のほうが劣ります」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・辨興亡貞観九年、北蕃の帰朝人奏す、「突厥の内、大雪あり。人は饑え、羊馬は並びに死す。中国人の彼に在る者は、皆な山に入りて賊と作る。人情は大いに悪し」と。太宗侍臣に謂いて曰く、「古の人君を観るに、仁義を行い、賢良に任ずれば則ち理まる。暴乱を行い、小人に任ずれば則ち敗る。突厥の信任する所の者は、並びに公等と之を見る。略ぼ忠正の取るべき者無し。頡利は復た百姓を憂えず、情を恣にして為す所なり。朕は人事を以て之を観るに、亦た何ぞ久しかるべけんや」と。魏徴進みて曰く、「昔、魏の文侯、李克に問う、『諸侯は誰か先に亡ぶ』と。克曰く、『呉は先に亡ぶ』と。文侯曰く、『何の故ぞ』と。克曰く、『数々戦い数々勝つ。数々勝てば則ち主は驕り、数々戦えば則ち民は疲る。亡びずして何をか待たん』と。頡利は隋末の中国の喪乱に逢い、遂に衆を恃みて内侵す。今なお息(や)まず。此れ其の必ず亡ぶるの道なり」と。太宗深く之を然りとす。
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貞観政要・政体貞観十六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「或いは君は上に乱れ、臣は下に理まる。或いは臣は下に乱れ、君は上に治まる。二者苟(も)し逢わば、何れをか甚だしと為すか」と。特進魏徴対えて曰く、「君心治まれば、則ち下の非を照見す。一を誅して百を勧む。誰か敢えて威を畏れて力を尽くさざらん。若し上に昏暴にして、忠諫従わずんば、百里奚(ひゃくりけい)・伍子胥の虞(ぐ)・呉に在るが如しと雖も、其の禍を救わず。敗亡も亦た継がん」と。太宗曰く、「必ず此の如くんば、斉の文宣は昏暴なるも、楊遵彦(ようじゅんげん)は正道を以て之を扶(たす)けて治まるを得たり。何ぞや」と。徴曰く、「遵彦は暴主を弥縫(びほう)し、蒼生を救理す。纔(わず)かに乱を免るるを得たるも、亦た甚だ危苦なり。人主の厳明にして、臣下は法を畏れ、直言正諫、皆な信用せらるると、年を同じくして語るべからず」と。
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貞観政要・辨興亡貞観の初め、太宗従容として侍臣に謂いて曰く、「周の武は紂の乱を平らげ、以て天下を有す。秦皇は周の衰うるに因り、遂に六国を吞む。其の天下を得るは殊ならざるに、祚運の長短は此くの若く相い懸(へだ)たるは何ぞや」と。尚書右僕射蕭瑀進みて曰く、「紂は無道を為す。天下之に苦しむ。故に八百の諸侯は期せずして会す。周室は微なり。六国に罪無し。秦氏は専ら智力に任じ、諸侯を蚕食す。平定は同じと雖も、人情は則ち異なる」と。太宗曰く、「然らず。周は既に殷に克ち、務めて仁義を弘む。秦は既に志を得て、専ら詐力を行う。但だ之を取るに異有るのみに非ず、抑(そもそ)も亦た之を守るに同じからず。祚の修短は、意は茲に在るか」と。
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貞観政要・辨興亡貞観二年、太宗黄門侍郎王珪に謂いて曰く、「隋の開皇十四年、大旱にして、人は多く饑乏す。是の時、倉庫は盈溢す。竟に賑給を許さず。乃ち百姓をして糧を逐わしむ。隋文は百姓を憐れまずして倉庫を惜しむ。末年に至るに比し、天下の儲積を計るに、五六十年に供するを得たり。煬帝は此の富饒を恃む。奢華無道なる所以なり。遂に滅亡を致す。煬帝の国を失うも、亦た此に由る。凡そ国を理むる者は、務めて人に積む。其の倉庫を盈たすに在らず。古人云う、『百姓足らずんば、君孰(たれ)と与に足らんや』と。但だ倉庫をして凶年に備うべからしめば、此の外、何ぞ儲蓄を煩わさんや。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫に積むは、徒らに其の奢侈を益すのみ。危亡の本なり」と。
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貞観政要・慎終貞観十六年、太宗魏徴に問いて曰く、「近古の帝王を観るに、位を伝うること十代なる者有り、一代二代なる者有り、亦た身に得て身に失う者有り。朕の常に憂懼を懐く所以は、或いは生民を撫養して其の所を得ざるを恐れ、或いは心に驕逸を生じ、喜怒度を過ぐるを恐る。然れども自ら知らず。卿、朕の為に之を言うべし。当に以て楷則と為さん」と。徴対えて曰く、「嗜欲喜怒の情は、賢愚皆な同じ。賢者は能く之を節し、度を過ぐらしめず。愚者は之を縦にし、多くは失所に至る。陛下の聖徳は玄遠なり。安きに居りて危うきを思う。伏して願わくは陛下、常に能く自ら制し、以て克終の美を保たば、則ち万代永く頼らん」と。
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