貞観政要 / 辨興亡
貞觀二年,太宗謂黃門侍郎王珪曰:「隋開皇十四年大旱,人多饑乏。是時倉庫盈溢,竟不許賑給,乃令百姓逐糧。隋文不憐百姓而惜倉庫,比至末年,計天下儲積,得供五六十年。煬帝恃此富饒,所以奢華無道,遂致滅亡。煬帝失國,亦此之由。凡理國者,務積於人,不在盈其倉庫。古人云:『百姓不足,君孰與足?』但使倉庫可備兇年,此外何煩儲蓄!後嗣若賢,自能保其天下;如其不肖,多積倉庫,徒益其奢侈,危亡之本也。」
新字:貞観二年,太宗謂黄門侍郎王珪曰:「隋開皇十四年大旱,人多饑乏。是時倉庫盈溢,竟不許賑給,乃令百姓逐糧。隋文不憐百姓而惜倉庫,比至末年,計天下儲積,得供五六十年。煬帝恃此富饒,所以奢華無道,遂致滅亡。煬帝失国,亦此之由。凡理国者,務積於人,不在盈其倉庫。古人云:『百姓不足,君孰与足?』但使倉庫可備兇年,此外何煩儲蓄!後嗣若賢,自能保其天下;如其不肖,多積倉庫,徒益其奢侈,危亡之本也。」
書き下し
貞観二年、太宗黄門侍郎王珪に謂いて曰く、「隋の開皇十四年、大旱にして、人は多く饑乏す。是の時、倉庫は盈溢す。竟に賑給を許さず。乃ち百姓をして糧を逐わしむ。隋文は百姓を憐れまずして倉庫を惜しむ。末年に至るに比し、天下の儲積を計るに、五六十年に供するを得たり。煬帝は此の富饒を恃む。奢華無道なる所以なり。遂に滅亡を致す。煬帝の国を失うも、亦た此に由る。凡そ国を理むる者は、務めて人に積む。其の倉庫を盈たすに在らず。古人云う、『百姓足らずんば、君孰(たれ)と与に足らんや』と。但だ倉庫をして凶年に備うべからしめば、此の外、何ぞ儲蓄を煩わさんや。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫に積むは、徒らに其の奢侈を益すのみ。危亡の本なり」と。
現代語訳
貞観二年、太宗が黄門侍郎の王珪に言った。「隋の開皇十四年、大旱魃で人々の多くが飢えた。この時、倉庫は満ち溢れていた。それなのに救済を許さず、民に食糧を求めて他所へ行かせた。隋の文帝は民を憐れまず、倉庫を惜しんだ。末年に至るまで天下の蓄えを計れば、五、六十年分を賄えるほどだった。煬帝はこの豊かさを恃んだ。だから奢り、無道となった。ついに滅亡に至った。煬帝が国を失ったのも、これによる。そもそも国を治める者は、努めて人に蓄える。倉庫を満たすことにあるのではない。古人は『民が足りなければ、君主は誰とともに足りるのか』と言った。倉庫が凶作に備えられるだけあればよい。それ以外に、どうして蓄えを煩わすのか。跡継ぎがもし賢明なら、自ら天下を保てる。もし愚かなら、倉庫に多く積むことは、いたずらに奢りを増すだけだ。危亡の根本だ」。