貞観政要 / 辨興亡
貞觀初,太宗從容謂侍臣曰:「周武平紂之亂,以有天下;秦皇因周之衰,遂吞六國。其得天下不殊,祚運長短若此之相懸也?」尚書右仆射蕭瑀進曰:「紂為無道,天下苦之,故八百諸侯不期而會。周室微,六國無罪,秦氏專任智力,蠶食諸侯。平定雖同,人情則異。」太宗曰:「不然,周既克殷,務弘仁義;秦既得誌,專行詐力。非但取之有異,抑亦守之不同。祚之修短,意在茲乎!」
新字:貞観初,太宗従容謂侍臣曰:「周武平紂之乱,以有天下;秦皇因周之衰,遂呑六国。其得天下不殊,祚運長短若此之相懸也?」尚書右仆射蕭瑀進曰:「紂為無道,天下苦之,故八百諸侯不期而会。周室微,六国無罪,秦氏専任智力,蠶食諸侯。平定雖同,人情則異。」太宗曰:「不然,周既克殷,務弘仁義;秦既得誌,専行詐力。非但取之有異,抑亦守之不同。祚之修短,意在茲乎!」
書き下し
貞観の初め、太宗従容として侍臣に謂いて曰く、「周の武は紂の乱を平らげ、以て天下を有す。秦皇は周の衰うるに因り、遂に六国を吞む。其の天下を得るは殊ならざるに、祚運の長短は此くの若く相い懸(へだ)たるは何ぞや」と。尚書右僕射蕭瑀進みて曰く、「紂は無道を為す。天下之に苦しむ。故に八百の諸侯は期せずして会す。周室は微なり。六国に罪無し。秦氏は専ら智力に任じ、諸侯を蚕食す。平定は同じと雖も、人情は則ち異なる」と。太宗曰く、「然らず。周は既に殷に克ち、務めて仁義を弘む。秦は既に志を得て、専ら詐力を行う。但だ之を取るに異有るのみに非ず、抑(そもそ)も亦た之を守るに同じからず。祚の修短は、意は茲に在るか」と。
現代語訳
貞観の初め、太宗がゆったりと側近の臣に言った。「周の武王は紂の乱を平らげて天下を得た。始皇帝は周の衰えに乗じて六国を呑んだ。天下を得たことに違いはないのに、国運の長短がこれほど隔たるのはなぜか」。尚書右僕射の蕭瑀が進み出て言った。「紂は無道でした。天下が苦しんだ。だから八百の諸侯が示し合わせずに集まりました。周室は衰えていましたが、六国に罪はなかった。秦は知略と武力だけに任せ、諸侯を蚕食しました。平定したことは同じでも、人の心は違います」。太宗は言った。「そうではない。周は殷に勝った後、努めて仁義を広めた。秦は志を得た後、もっぱら詐りと力を用いた。取り方が違っただけでなく、そもそも守り方が違ったのだ。国運の長短は、そこにあるのではないか」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・封建臣聞く、国を経(おさ)め民を庇(かば)うは、王者の常制なり。主を尊び上を安んずるは、人情の大方なり。理定の規を聞き、以て長世の業を弘めんことを思う。万古易わらず、百慮も帰を同じくす。然れども命歴に余促の殊有り、邦家に理乱の異有り。遐(はる)かに載籍を観るに、之を論ずること詳らかなり。咸な云う、周は其の数に過ぎ、秦は期に及ばず。存亡の理は、郡国に在り、と。周氏は夏・殷の長久を鑒(かんが)みるを以て、皇王の並建に遵う。維城磐石、根を深くし本を固くす。王綱弛廃すと雖も、枝幹相い持す。故に逆節を生ぜず、宗祀絶えざらしむ。秦氏は師古の訓に背き、先王の道を棄つ。華を践み険を恃み、侯を罷めて守を置く。子弟に尺土の邑無く、兆庶に共治の憂え罕(まれ)なり。故に一夫号呼して七廟隳圮(きひ)す。
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貞観政要・君臣鑑戒貞観六年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕聞く、周・秦の初めて天下を得るや、其の事は異ならず。然れども周は則ち惟だ善を是れ務め、功を積み徳を累ぬ。八百の基を保つ能う所以なり。秦は乃ち其の奢淫を恣にし、好んで刑罰を行い、二世に過ぎずして滅ぶ。豈に善を為す者は福祚延長し、悪を為す者は降年永からざるに非ずや。朕又た聞く、桀・紂は帝王なり。匹夫を以て之に比すれば、則ち以て辱と為す。顔・閔は匹夫なり。帝王を以て之に比すれば、則ち以て栄と為す、と。此れ亦た帝王の深き恥なり。朕は毎に此の事を将(もっ)て以て鑒戒と為す。常に逮ばずして、人の笑う所と為らんことを恐る」と。魏徴対えて曰く、「臣聞く、魯の哀公、孔子に謂いて曰く、『人有り、忘るるを好む者、宅を移して乃ち其の妻を忘る』と。孔子曰く、『又た忘るるを好むこと此より甚だしき者有り。丘は桀・紂の君の乃ち其の身を忘るるを見たり』と。願わくは陛下、毎に此を以て慮と為さば、庶(ちか)くは後人の笑いを免れんのみ」と。
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貞観政要・奢縦臣は歴(あまね)く前代を睹(み)るに、夏・殷・周及び漢氏の天下を有するより、祚を伝えて相い継ぐこと、多き者は八百余年、少なき者も猶お四五百年なり。皆な徳を積み業を累ね、恩は人心に結ぶと為す。豈に僻王無からんや。前哲に頼りて以て免るるのみ。魏・晋より以還、降りて周・隋に及ぶまでは、多き者も五六十年に過ぎず、少なき者は才(わず)かに二三十年にして亡ぶ。良に創業の君の恩化を広むるに務めず、当時は僅かに能く自ら守るも、後に遺徳の思うべき無きに由る。故に伝嗣の主は政教少しく衰え、一夫大呼して天下土崩す。今、陛下は大功を以て天下を定むと雖も、而れども積徳は日浅し。固より当に禹・湯・文・武の道を崇び、広く徳化を施し、恩をして余地有らしめ、子孫の為に万代の基を立つべし。豈に但だ政教をして失無からしめ、以て当年を持するのみを欲せんや。且つ古より明王聖主は、人に因りて教えを設け、寛猛は時に随うと雖も、而れども大要は身に節倹し、恩を人に加うるの二者を以て是れ務む。故に其の下は之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。此れ其の祚を卜すること遐長にして禍乱作らざる所以なり。
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貞観政要・慎終貞観十四年、太宗侍臣に謂いて曰く、「天下を平定するは、朕は其の事有りと雖も、之を守るに図を失わば、功業も亦復た保ち難し。秦の始皇は初め亦た六国を平らげ、四海を拠有す。末年に及び、善く守る能わず。実に誡と為すべし。公等宜しく公を念い私を忘るべし。則ち栄名高位、以て克く其の美を終うべし」と。魏徴対えて曰く、「臣は之を聞く、戦い勝つは易く、勝ちを守るは難し、と。陛下は深く思い遠く慮り、安きに危うきを忘れず。功業は既に彰れ、徳教は復た洽(あまね)し。恒に此を以て政を為さば、宗社の傾敗するに由無し」と。
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貞観政要・封建臣以為(おも)えらく、古より皇王、宇内に君臨するは、上玄に命を受け、帝録に名を冊せらるるに莫(な)しとせず。締構は興王の運に遇い、殷憂は啓聖の期に属す。魏武の携養の資、漢高の徒役の賤と雖も、止(た)だ意に覬覦(きゆ)有るのみに非ず、之を推すも亦た去る能わざるなり。若し其れ獄訟帰せず、菁華已に竭きなば、帝堯の光は四表に被り、大舜の上は七政を斉うと雖も、止だ情に揖譲を存するのみに非ず、之を守るも亦た可ならざるなり。放勲・重華の徳を以てすら、尚お能く厥(そ)の後を克く昌んにする能わず。是れ知る、祚の長短は、必ず天の時に在り。政の或いは興衰するは、人事に関する有り、と。隆周は世を卜すること三十、年を卜すること七百。淪胥の道斯(ここ)に極まると雖も、而も文・武の器は尚お存す。斯れ亀鼎の祚、已に杳冥に懸定せるなり。南征して返らず、東遷して逼を避くるに至らしめ、禋祀(いんし)闕如たり、郊畿守られず。此れ乃ち陵夷の漸なり。封建に累(わずら)わさるる有り。暴秦は運、閏余に距(あた)り、数は百六に終わる。命を受くるの主、徳は禹・湯に異なり、世を継ぐの君、才は啓・誦に非ず。借使(たと)い李斯・王綰の輩、盛んに四履を開き、将閭・子嬰の徒、俱に千乗を啓(ひら)くとも、豈に能く帝子の勃興に逆らい、龍顔の基命に抗せんや。
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貞観政要・辨興亡貞観九年、太宗魏徴に謂いて曰く、「頃(このごろ)周・斉の史を読む。末代の亡国の主の悪を為すは、多く相い類するなり。斉主は深く奢侈を好む。有らゆる府庫は之を用いて略ぼ尽くす。乃ち関市に至るまで税斂せざる無し。朕は常に謂う、此れ猶お饞人の自ら其の肉を食らうがごとし。肉尽くれば必ず死す。人君の賦斂已まずんば、百姓既に弊れ、其の君も亦た亡ぶ。斉主は即ち是なり。然れども天元と斉主と、若為(いかん)が優劣なる」と。徴対えて曰く、「二主の国を亡ぼすは同じと雖も、其の行いは則ち別なり。斉主は愞弱(だじゃく)にして、政は多門より出づ。国に綱紀無く、遂に亡滅に至る。天元は性は凶にして強く、威福は己に在り。亡国の事は、皆な其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣と為す」と。
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