貞観政要 / 貢賦
貞觀十九年,高麗王高藏及莫離支蓋蘇文遣使獻二美女,太宗謂其使曰:「朕憫此女離其父母兄弟於本國,若愛其色而傷其心,我不取也。」並卻還之本國。
新字:貞観十九年,高麗王高蔵及莫離支蓋蘇文遣使献二美女,太宗謂其使曰:「朕憫此女離其父母兄弟於本国,若愛其色而傷其心,我不取也。」並却還之本国。
書き下し
貞観十九年、高麗王高蔵及び莫離支蓋蘇文、使を遣わして二美女を献ず。太宗其の使に謂いて曰く、「朕は此の女の其の父母兄弟に本国に離るるを憫れむ。若し其の色を愛して其の心を傷らば、我は取らざるなり」と。並びに之を本国に却還す。
現代語訳
貞観十九年、高句麗王の高蔵と莫離支の蓋蘇文が、使者を遣わして二人の美女を献上した。太宗はその使者に言った。「私は、この女たちが父母兄弟と本国で別れることを憐れむ。もしその容色を愛して、その心を傷つけるなら、私は受け取らない」。そして二人とも本国へ帰した。
解説
貢賦篇の最後を飾る一段です。高句麗から二人の美しい女性が献上されてきました。断ろうと思えば、体面を保つための理由はいくらでも作れたはずです。ところが太宗が口にしたのは「この人たちが父母兄弟と生き別れになるのを気の毒に思う」という一言でした。自分の徳を示すためでも、周りにどう見られるかを気にしたためでもありません。贈った側の思惑ではなく、贈られた本人がどう感じるかに目を向けているのです。二人はそのまま故郷へ帰されました。贈り物や申し出を受けるかどうかを考える時、私たちはつい自分にとっての得か損かで判断しがちです。しかし本当に大切なのは、その贈り物や仕組みの向こう側にいる一人の人が、何を望み、何に苦しんでいるかを想像することなのだと、この章句は静かに教えてくれます。
この章句が説くこと
若愛其色而傷其心我不取也並卻還之本国並却還之本国贈られたものの側から見る
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