貞観政要 / 貢賦
貞觀二年,太宗謂朝集使曰:「任土作貢,布在前典,當州所產,則充庭實。比聞都督、刺史邀射聲名,厥土所賦,或嫌其不善,逾意外求,更相仿效,遂以成俗。極為勞擾,宜改此弊,不得更然。」
新字:貞観二年,太宗謂朝集使曰:「任土作貢,布在前典,当州所産,則充庭実。比聞都督、刺史邀射声名,厥土所賦,或嫌其不善,逾意外求,更相仿効,遂以成俗。極為労擾,宜改此弊,不得更然。」
書き下し
貞観二年、太宗朝集使に謂いて曰く、「土に任じて貢を作すは、前典に布(し)かる。当州の産する所は、則ち庭実に充つ。比(このごろ)聞く、都督・刺史は声名を邀射(ようしゃ)し、厥(そ)の土の賦する所を、或いは其の善からざるを嫌い、意を逾えて外に求む。更に相い仿効し、遂に以て俗を成す。極めて労擾を為す。宜しく此の弊を改め、更に然るを得ざるべし」と。
現代語訳
貞観二年、太宗が朝集使に言った。「土地に応じて貢物を出すことは、昔の書に記されている。その州で産するものを、朝廷に納めればよい。近頃聞くところでは、都督や刺史が名声を求めて、その土地で産するものを、質が良くないと嫌い、意を超えて他所から求めている。互いに真似し合い、ついに風習となった。極めて煩わしく人を苦しめている。この弊害を改め、二度とこうならないようにせよ」。
解説
貞観二年、太宗は各地から集まった役人たちにこう述べました。「その土地で採れるものを、そのまま朝廷に納めればよい。それが昔からの決まりだ」。ところが実際には、都督や刺史たちが自分の評判を上げたいばかりに、地元の産物を「見劣りする」と嫌い、わざわざ他所から立派な品を取り寄せていました。しかも誰か一人がそれを始めると、周りも真似をして、いつの間にか当たり前の習わしになってしまったというのです。もともと必要のなかった手間と出費が、見栄の張り合いによって膨れ上がっていく。これは今の暮らしにも見覚えがある話です。人と比べて見劣りしたくないという気持ちから、無理に立派な物を用意したり、余分な出費を重ねたりする。誰かが始めた見栄が、いつしか周り皆の当たり前になってしまう怖さを、この一段は伝えています。
この章句が説くこと
邀射声名逾意外求更相仿効遂以成俗見栄の張り合い
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