貞観政要 / 赦令
貞觀七年,太宗謂侍臣曰:「天下愚人者多,智人者少,智者不肯為惡,愚人好犯憲章。凡赦宥之恩,惟及不軌之輩。古語云:『小人之幸,君子之不幸。』『一歲再赦,善人喑啞。』凡『養稂莠者傷禾稼,惠奸宄者賊良人』。昔『文王作罰,刑茲無赦。』又蜀先主嘗謂諸葛亮曰:『吾周旋陳元方、鄭康成之間,每見啟告理亂之道備矣,曾不語赦。』故諸葛亮治蜀十年不赦,而蜀大化。梁武帝每年數赦,卒至傾敗。夫謀小仁者,大仁之賊。故我有天下以來,絕不放赦。今四海安寧,禮義興行,非常之恩,彌不可數,將恐愚人常冀僥幸,惟欲犯法,不能改過。」
新字:貞観七年,太宗謂侍臣曰:「天下愚人者多,智人者少,智者不肯為悪,愚人好犯憲章。凡赦宥之恩,惟及不軌之輩。古語云:『小人之幸,君子之不幸。』『一歳再赦,善人喑唖。』凡『養稂莠者傷禾稼,恵奸宄者賊良人』。昔『文王作罰,刑茲無赦。』又蜀先主嘗謂諸葛亮曰:『吾周旋陳元方、鄭康成之間,毎見啓告理乱之道備矣,曽不語赦。』故諸葛亮治蜀十年不赦,而蜀大化。梁武帝毎年数赦,卒至傾敗。夫謀小仁者,大仁之賊。故我有天下以来,絶不放赦。今四海安寧,礼義興行,非常之恩,弥不可数,将恐愚人常冀僥幸,惟欲犯法,不能改過。」
書き下し
貞観七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「天下、愚人なる者は多く、智人なる者は少なし。智者は悪を為すを肯んぜず。愚人は好んで憲章を犯す。凡そ赦宥の恩は、惟だ不軌の輩に及ぶ。古語に云う、『小人の幸いは、君子の不幸なり』と。『一歳に再び赦せば、善人は喑啞(いんあ)す』と。凡そ『稂莠(ろうゆう)を養う者は禾稼を傷り、奸宄(かんき)を恵む者は良人を賊す』と。昔、『文王は罰を作す。刑は茲(ここ)に赦す無し』と。又た蜀の先主は嘗て諸葛亮に謂いて曰く、『吾は陳元方・鄭康成の間に周旋す。啓告を見る毎に理乱の道は備われり。曾て赦を語らず』と。故に諸葛亮は蜀を治むること十年、赦さず。而して蜀は大いに化す。梁の武帝は毎年数々赦す。卒に傾敗に至る。夫れ小仁を謀る者は、大仁の賊なり。故に我は天下を有してより以来、絶えて赦を放たず。今、四海安寧、礼義興行す。非常の恩は、弥々数(しばしば)すべからず。将に恐る、愚人は常に僥幸を冀(こいねが)い、惟だ法を犯すを欲して、過ちを改むる能わざるを」と。
現代語訳
貞観七年、太宗が側近の臣に言った。「天下には愚かな人が多く、賢い人は少ない。賢い者は悪をなそうとしない。愚かな人は好んで法を犯す。そもそも恩赦の恵みは、法に背く輩にしか及ばない。古語に『小人の幸いは、君子の不幸である』とある。『一年に二度赦せば、善人は口をつぐむ』とも。『雑草を養う者は稲を傷つけ、悪人を恵む者は善人を害する』とも。昔、『文王は罰を定めた。刑は赦さない』とある。また蜀の先主はかつて諸葛亮に『私は陳元方や鄭康成と交わり、教えを受けるたび、治乱の道は尽くされていた。しかし一度も赦について語らなかった』と言った。だから諸葛亮は蜀を治めること十年、赦を行わなかった。そして蜀は大いに教化された。梁の武帝は毎年しばしば赦した。ついに滅びに至った。そもそも小さな仁を図る者は、大きな仁を害する賊である。だから私は天下を得てから、決して赦を行わない。今、天下は安寧で、礼義が行われている。特別な恩は、たびたび行うべきではない。愚かな人が常に幸運を願い、ただ法を犯そうとして、過ちを改められなくなることを恐れる」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』見大・諸葛亮諸葛丞相の赦を惜しむと言う者有り。亮答えて曰く、世を治むるには大徳を以てし、小恵を以てせず。故に匡衡・呉漢は赦を為すを願わず。先帝も亦た言う、吾れ陳元方・鄭康成の間に周旋し、見る毎に啓告せらるるに、治乱の道は悉くせり。曾て赦に及ばざるなり。劉景升父子の歳歳赦宥するが若きは、治に何の益あらんや、と。費禕の政を為すに及び、始めて姑息を事とし、蜀遂に以て削らる。〔馮述評〕子産は子太叔に謂いて曰く、唯だ徳有る者のみ、能く寛を以て民を服す。其の次は猛に如くは莫し。夫れ火は烈しく、民望みて之を畏る。故に死する者鮮し。水は懦弱にして、民狎れて之を玩ぶ。則ち死する者多し。故に寛は難し、と。太叔は政を為すに猛に忍びず、寛なり。是に於いて鄭国に盗多し。太叔之を悔ゆ。仲尼曰く、政寛なれば則ち民慢り、慢れば則ち之を糾すに猛を以てす。猛なれば則ち民残われ、残われれば則ち之に施すに寛を以てす。寛以て猛を済し、猛以て寛を済す。政是を以て和す、と。商君の刑は棄灰に及ぶ、猛に過ぐる者なり。梁武は死刑を見る輒ち涕泣して之を縦つ、寛に過ぐる者なり。『論語』は小過を赦し、『春秋』は肆大眚を譏る。之を合わせて、政の和を得るなり。
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貞観政要・赦令貞観十年、太宗侍臣に謂いて曰く、「国家の法令は、惟だ須らく簡約なるべし。一罪に数種の条を作すべからず。格式既に多くば、官人は尽くは記す能わず。更に奸詐を生ず。若し罪を出さんと欲せば即ち軽き条を引き、若し罪を入れんと欲せば即ち重き条を引く。数々法を変うる者は、実に道理に益あらず。宜しく審細ならしめ、互文を使う毋(な)かれ」と。
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貞観政要・赦令貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「詔令格式、若し常に定まらずんば、則ち人心多く惑い、奸詐益ます生ず。『周易』に『其の大号を渙汗す』と称す。号を発し令を施すは、汗の体より出づるが若く、一たび出でて復たせざるを言うなり。『書』に曰く、『乃(なんじ)の令を出すを慎め。令出づれば惟れ行う。反すことを為さず』と。且つ漢祖は日に給するに暇あらず。蕭何は小吏より起こる。法を制するの後、猶お画一と称せらる。今、宜しく詳らかに此の義を思い、軽々しく詔令を出すべからず。必ず須らく審定し、以て永式と為すべし」と。
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貞観政要・仁義貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「朕は謂えらく、乱離の後、風俗は移り難し、と。比(このごろ)観るに、百姓は漸く廉恥を知り、官民は法を奉じ、盗賊は日に稀なり。故に知る、人に常俗無く、但だ政に治乱有るのみなるを。是を以て国を為むるの道は、必ず須らく之を撫するに仁義を以てし、之に示すに威信を以てすべし。人の心に因り、其の苛刻を去り、異端を作さずんば、自然に安静ならん。公等宜しく共に斯の事を行うべし」と。
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貞観政要・公平貞観二年、太宗房玄齢等に謂いて曰く、「朕は比(このごろ)隋代の遺老を見るに、咸な高熲は善く相為る者と称す。遂に其の本伝を観るに、公平正直と謂うべし。尤も治体を識る。隋室の安危は、其の存没に系(かか)る。煬帝は無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て此の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。又た漢・魏より以来、諸葛亮は丞相と為り、亦た甚だ平直なり。嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立は亮の卒するを聞き、泣きて曰く、『吾は其れ左衽せんか』と。厳は亮の卒するを聞き、病を発して死す。故に陳寿は称す、『亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞す。法を犯し怠慢なる者は、親と雖も必ず罰す』と。卿等豈に企慕して之に及ばざるべけんや。朕は今、前代の帝王の善き者を慕う毎に、卿等も亦た宰相の賢なる者を慕うべし。若し是くの如くんば、則ち栄名高位、以て長く守るべし」と。玄齢対えて曰く、「臣聞く、国を理むるの要道は、公平正直に在り、と。故に『尚書』に云う、『偏無く党無ければ、王道は蕩蕩たり。党無く偏無ければ、王道は平平たり』と。又た孔子は『直きを挙げて諸を枉れるに錯(お)けば、則ち民服す』と称す。今、聖慮の尚ぶ所は、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を囊括し、化して天下を成すに足る」と。太宗曰く、「此れ直だ朕の懐う所なり。豈に卿等と之を言いて行わざる有らんや」と。
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『潜夫論』述赦凡そ民の軽がるしく盗賊を為す所以、吏の奸匿を作し易き所以の者は、赦贖数しばなるを以て僥望有ればなり。若し犯罪の人をして、終身命を被り、得て必ず刑せしめば、則ち奸を計るの謀破れて悪を慮るの心絶えん。夫れ良贖は可なり、孺子をして妲ならしむ可く、中庸の人は、弘めて下す可し。故に其の諺に曰く、「一歳に載た赦せば、奴児噫嗟す」と。言うこころは王誅行われざれば、則ち痛瘀の子も皆軽がるしく犯す、況んや狡をや。若し誠に盗賊多くして奸勝えざるを畏れて赦すと思わば、則ち是れ国を為むること奸の冗報を為すなり。夫れ天道は善を賞して淫を刑し、天工は人其れ之に代わる。故に凡そ王者を立つるは、将に以て邪悪を誅して正善を養わんとするなり、而るに以て邪悪逆妄を逞しくするは焉より甚しきは莫し。且つ夫れ国に常治無く、又常乱無し。法令行わるれば則ち国治まり、法令弛めば則ち国乱る。法は常に行わるる無く、法は常に弛む無し。君法を敬えば則ち法行われ、君法を慢にすれば則ち法弛む。昔孝明帝の時、製して茂才を挙げ、闕を過ぎて恩を謝し、食を賜い事訖わりて、何の異聞ぞと問う。対えて曰く、「巫に劇賊九人有り、刺史数しば郡を竊むを以て、訖に得る能わず」と。帝曰く、「汝は南郡に部せる従事に非ずや」と。対えて曰く、「是なり」と。帝乃ち振怒して曰く、「賊部中に発して擒うる能わず、然らば材は何を以て茂ならんや」と。捶つこと数百、便ち官を免じ、而して切に州郡を譲め、十日の間に、賊即ち伏誅す。此に由りて之を観れば、盗賊を擒滅するは、法を明らかにするに在り、数しば赦すに在らざるなり。
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