貞観政要 / 刑法
貞觀九年,鹽澤道行軍總管、岷州都督高甑生,坐違李靖節度,又誣告靖謀逆,減死徙邊。時有上言者曰:「甑生舊秦府功臣,請寬其過。」太宗曰:「雖是藩邸舊勞,誠不可忘。然理國守法,事須畫一,今若赦之,使開僥幸之路。且國家建義太原,元從及征戰有功者甚眾,若甑生獲免,誰不覬覦?有功之人,皆須犯法。我所以必不赦者,正為此也。」
新字:貞観九年,塩沢道行軍総管、岷州都督高甑生,坐違李靖節度,又誣告靖謀逆,減死徙辺。時有上言者曰:「甑生旧秦府功臣,請寛其過。」太宗曰:「雖是藩邸旧労,誠不可忘。然理国守法,事須画一,今若赦之,使開僥幸之路。且国家建義太原,元従及征戦有功者甚衆,若甑生獲免,誰不覬覦?有功之人,皆須犯法。我所以必不赦者,正為此也。」
書き下し
貞観九年、塩沢道行軍総管・岷州都督高甑生、李靖の節度に違うに坐す。又た靖を謀逆すと誣告す。死を減じて辺に徙(うつ)す。時に上言する者有りて曰く、「甑生は旧秦府の功臣なり。請う、其の過ちを寛(ゆる)せ」と。太宗曰く、「是れ藩邸の旧労なりと雖も、誠に忘るべからず。然れども国を理め法を守るは、事は須らく画一なるべし。今、若し之を赦さば、僥幸の路を開かしむ。且つ国家、義を太原に建つ。元より従い及び征戦して功有る者は甚だ衆し。若し甑生にして免るるを獲ば、誰か覬覦(きゆ)せざらん。功有るの人、皆な須らく法を犯すべし。我の必ず赦さざる所以の者は、正に此が為なり」と。
現代語訳
貞観九年、塩沢道行軍総管で岷州都督の高甑生が、李靖の指揮に背いた罪に問われた。さらに李靖を謀反だと誣告した。死罪を減じて辺境に移された。当時、上言する者があって言った。「高甑生は秦王府以来の功臣です。どうか過ちを許してください」。太宗は言った。「藩邸時代の古い功労は、まことに忘れられない。しかし国を治め法を守るには、扱いを一律にすべきだ。今もし赦せば、幸運を当てにする道を開くことになる。それに国家が太原で挙兵した時、初めから従い、戦って功を立てた者は極めて多い。もし高甑生が免れれば、誰が期待しないだろうか。功ある者は、みな法を犯すようになる。私が必ず赦さない理由は、まさにこれだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
貞観政要・公平是の時、朝廷は大いに選挙を開く。或いは階資を詐偽する者有り。太宗其れをして自首せしむ。首せずんば、罪は死に至る。俄かに詐偽する者有り、事泄る。冑は法に拠りて流を断じて以て之を奏す。太宗曰く、「朕は初め敕を下し、首せざる者は死とす。今、断じて法に従う。是れ天下に示すに不信を以てするなり」と。冑曰く、「陛下、当に即ち之を殺すべくんば、臣の及ぶ所に非ず。既に所司に付す。臣は敢えて法を虧かず」と。太宗曰く、「卿は自ら法を守りて、朕をして信を失わしむるか」と。冑曰く、「法は国家の大信を天下に布く所以なり。言は当時の喜怒の発する所のみ。陛下は一朝の忿を発して、之を殺すを許す。既に不可なるを知りて、之を寘(お)くに法を以てす。此れ乃ち小忿を忍びて大信を存するなり。臣窃かに陛下の為に之を惜しむ」と。太宗曰く、「朕が法に失う所有らば、卿能く之を正す。朕復た何をか憂えんや」と。
-
貞観政要・刑法貞観元年、太宗侍臣に謂いて曰く、「死者は再び生くべからず。法を用うるは務めて寛簡に在り。古人云う、『棺を鬻(ひさ)ぐ者は歳の疫を欲す。人を疾(にく)むに非ず。棺の售(う)るに利あるが故なるのみ』と。今、法司は一獄を核理するに、必ず深刻を求む。其の考課を成さんと欲すればなり。今、何の法を作らば、平允ならしむるを得ん」と。諫議大夫王珪進みて曰く、「但だ公直良善の人を選び、獄を断ずること允当なる者は、秩を増し金を賜わば、即ち奸偽は自ら息(や)まん」と。詔して之に従う。太宗又た曰く、「古者、獄を断ずるに、必ず三槐・九棘の官に訊(と)う。今の三公・九卿は、即ち其の職なり。今より以後、大辟の罪は皆な中書・門下の四品以上及び尚書・九卿をして之を議せしめよ。此くの如くんば、庶(ちか)くは冤濫を免れん」と。是に由りて四年に至るまで、死刑を断ずること、天下に二十九人。幾(ほとん)ど刑措に致る。
-
貞観政要・公平貞観元年、吏部尚書長孫無忌、嘗て召さるるを被る。佩刀を解かずして東上閤門に入る。閤門を出でし後、監門校尉始めて覚る。尚書右僕射封徳彜議す、監門校尉の覚らざるは、罪は死に当たる。無忌の誤りて刀を帯びて入るは、徒二年、銅二十斤を罰す、と。太宗之に従う。大理少卿戴冑駁して曰く、「校尉の覚らざると、無忌の刀を帯びて内に入るとは、同じく誤りと為すのみ。夫れ臣子の尊極に於けるは、誤りと称するを得ず。律に準じて云う、『御に供する湯薬・飲食・舟船、誤りて法の如くならざる者は、皆な死』と。陛下若し其の功を録せば、憲司の決する所に非ず。若し当に法に拠るべくんば、銅を罰するは未だ理を得たりと為さず」と。太宗曰く、「法は朕一人の法に非ず。乃ち天下の法なり。何ぞ無忌の国の親戚なるを以て、便ち法を撓(ま)げんと欲するを得んや」と。更に議を定めしむ。徳彜は議を執ること初めの如し。太宗将に其の議に従わんとす。冑又た駁奏して曰く、「校尉は無忌に縁りて以て罪を致す。法に於て当に軽かるべし。若し其の過誤を論ぜば、則ち情を為すこと一なり。而るに生死は頓(にわか)に殊なる。敢えて以て固く請う」と。太宗乃ち校尉の死を免ず。
-
貞観政要・赦令貞観十年、太宗侍臣に謂いて曰く、「国家の法令は、惟だ須らく簡約なるべし。一罪に数種の条を作すべからず。格式既に多くば、官人は尽くは記す能わず。更に奸詐を生ず。若し罪を出さんと欲せば即ち軽き条を引き、若し罪を入れんと欲せば即ち重き条を引く。数々法を変うる者は、実に道理に益あらず。宜しく審細ならしめ、互文を使う毋(な)かれ」と。
-
貞観政要・赦令貞観七年、太宗侍臣に謂いて曰く、「天下、愚人なる者は多く、智人なる者は少なし。智者は悪を為すを肯んぜず。愚人は好んで憲章を犯す。凡そ赦宥の恩は、惟だ不軌の輩に及ぶ。古語に云う、『小人の幸いは、君子の不幸なり』と。『一歳に再び赦せば、善人は喑啞(いんあ)す』と。凡そ『稂莠(ろうゆう)を養う者は禾稼を傷り、奸宄(かんき)を恵む者は良人を賊す』と。昔、『文王は罰を作す。刑は茲(ここ)に赦す無し』と。又た蜀の先主は嘗て諸葛亮に謂いて曰く、『吾は陳元方・鄭康成の間に周旋す。啓告を見る毎に理乱の道は備われり。曾て赦を語らず』と。故に諸葛亮は蜀を治むること十年、赦さず。而して蜀は大いに化す。梁の武帝は毎年数々赦す。卒に傾敗に至る。夫れ小仁を謀る者は、大仁の賊なり。故に我は天下を有してより以来、絶えて赦を放たず。今、四海安寧、礼義興行す。非常の恩は、弥々数(しばしば)すべからず。将に恐る、愚人は常に僥幸を冀(こいねが)い、惟だ法を犯すを欲して、過ちを改むる能わざるを」と。
-
貞観政要・公平貞観の初め、志は公道に存す。人に犯す所有らば、一一法に於てす。縦(たと)い時に臨みて処断すること或いは軽重有るも、但だ臣下の執論を見れば、忻然として受納せざる無し。民は罪の私無きを知る。故に甘心して怨まず。臣下は言いて忤(さか)らわざるを見る。故に力を尽くして以て忠を効(いた)す。頃年より以来、意は漸く深刻なり。三面の網を開くと雖も、而して察して淵中の魚を見る。取捨は愛憎に在り、軽重は喜怒に由る。之を愛する者は、罪は重しと雖も強いて之が辞を為す。之を悪む者は、過ちは小なりと雖も深く其の意を探る。法に定科無く、情に任せて以て軽重す。人に執論有らば、之を疑うに阿偽を以てす。故に罰を受くる者は控告する所無く、官に当たる者は敢えて正言する莫し。其の心を服せずして、但だ其の口を窮む。之に罪を加えんと欲せば、其れ辞無からんや。又た五品已上に犯す有らば、悉く曹司をして聞奏せしむ。本と其の情状を察して、哀矜する所有らんと欲す。今は乃ち曲げて小節を求め、或いは其の罪を重くす。人をして攻撃せしめ、惟だ深からざるを恨む。事に重条無くんば、之を法外に求めて加うる所、十に六七有り。故に頃年、犯す者は上に聞こゆるを懼れ、法司に付するを得るを以て、多幸と為す。告訐已(や)まず、窮理息まず。君は上に私し、吏は下に奸なり。細過を求めて大体を忘れ、一罰を行いて衆奸を起こす。此れ乃ち公平の道に背き、泣辜(きゅうこ)の意に乖(そむ)く。其の人和し訟息(や)むを欲するも、得べからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る