貞観政要 / 刑法
貞觀五年,張蘊古為大理丞。相州人李好德素有風疾,言涉妖妄,詔令鞠其獄。蘊古言:「好德癲病有徵,法不當坐。」太宗許將寬宥。蘊古密報其旨,仍引與博戲。治書侍御史權萬紀劾奏之。太宗大怒,令斬於東市。既而悔之,謂房玄齡曰:「公等食人之祿,須憂人之憂,事無巨細,咸當留意。今不問則不言,見事都不諫諍,何所輔弼?如蘊古身為法官,與囚博戲,漏泄朕言,此亦罪狀甚重。若據常律,未至極刑。朕當時盛怒,即令處置。公等竟無一言,所司又不覆奏,遂即決之,豈是道理。」因詔曰:「凡有死刑,雖令即決,皆須五覆奏。」五覆奏,自蘊古始也。又曰:「守文定罪,或恐有冤。自今以後,門下省覆,有據法令合死而情可矜者,宜錄奏聞。」
新字:貞観五年,張蘊古為大理丞。相州人李好徳素有風疾,言渉妖妄,詔令鞠其獄。蘊古言:「好徳癲病有徴,法不当坐。」太宗許将寛宥。蘊古密報其旨,仍引与博戯。治書侍御史権万紀劾奏之。太宗大怒,令斬於東市。既而悔之,謂房玄齢曰:「公等食人之禄,須憂人之憂,事無巨細,咸当留意。今不問則不言,見事都不諫諍,何所輔弼?如蘊古身為法官,与囚博戯,漏泄朕言,此亦罪状甚重。若拠常律,未至極刑。朕当時盛怒,即令処置。公等竟無一言,所司又不覆奏,遂即決之,豈是道理。」因詔曰:「凡有死刑,雖令即決,皆須五覆奏。」五覆奏,自蘊古始也。又曰:「守文定罪,或恐有冤。自今以後,門下省覆,有拠法令合死而情可矜者,宜録奏聞。」
書き下し
貞観五年、張蘊古は大理丞と為る。相州の人李好徳は素より風疾有り。言は妖妄に渉る。詔して其の獄を鞠せしむ。蘊古言う、「好徳の癲病は徴有り。法として坐するに当たらず」と。太宗、将に寛宥せんことを許す。蘊古は密かに其の旨を報ず。仍お引きて与に博戯す。治書侍御史権万紀之を劾奏す。太宗大いに怒り、東市に斬らしむ。既にして之を悔ゆ。房玄齢に謂いて曰く、「公等は人の禄を食む。須らく人の憂いを憂うべし。事に巨細と無く、咸な当に意を留むべし。今、問わざれば則ち言わず。事を見て都(すべ)て諫諍せず。何の輔弼する所ぞ。蘊古の如きは身は法官と為り、囚と博戯し、朕の言を漏泄す。此れ亦た罪状は甚だ重し。若し常律に拠らば、未だ極刑に至らず。朕は当時盛怒し、即ち処置せしむ。公等は竟に一言無し。所司も又た覆奏せず。遂に即ち之を決す。豈に是れ道理ならんや」と。因りて詔して曰く、「凡そ死刑有らば、即決せしむと雖も、皆な須らく五覆奏すべし」と。五覆奏は、蘊古より始まるなり。又た曰く、「文を守りて罪を定むれば、或いは恐らくは冤有らん。今より以後、門下省の覆するに、法令に拠りて死に合うも情の矜(あわ)れむべき者有らば、宜しく録して奏聞すべし」と。
現代語訳
貞観五年、張蘊古が大理丞となった。相州の人である李好徳は、もともと精神の病があり、言葉が妖しく荒唐無稽だった。詔して取り調べさせた。張蘊古は「李好徳の狂気には証拠がある。法として罪に問うべきでない」と言った。太宗は寛大な処置を許そうとした。張蘊古は密かにその意を李好徳に伝え、さらに彼を引き入れて賭け事をした。治書侍御史の権万紀がこれを弾劾した。太宗は大いに怒り、東の市で斬らせた。まもなく後悔した。房玄齢に言った。「諸君は人の禄を食んでいる。人の憂いを憂うべきだ。事の大小にかかわらず、みな心を留めるべきだ。今、問わなければ言わず、事を見ても諫めない。何を補佐しているのか。張蘊古のような者は、法官の身で囚人と賭け事をし、私の言葉を漏らした。これも罪状は甚だ重い。しかし通常の律によれば、死刑には至らない。私は当時激怒して、すぐに処置させた。諸君はついに一言もなかった。担当の役所も再奏しなかった。そのまま執行してしまった。これが道理といえるか」。そこで詔して言った。「およそ死刑は、即決を命じても、みな五度の再奏を行え」。五度の再奏は、張蘊古から始まった。また言った。「条文どおりに罪を定めれば、冤罪があるかもしれない。今後、門下省が再審する際、法令によれば死罪でも、事情が憐れむべきものがあれば、記録して報告せよ」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・刑法貞観五年、詔して曰く、「京に在る諸司、比来、死囚を奏決するに、三覆と云うと雖も、一日にして即ち了(お)わる。都(すべ)て未だ審思するに暇あらず。三奏するも何の益かあらん。縦い追悔有るも、又た及ぶ所無し。今より後、京に在る諸司の死囚を奏決するは、宜しく二日中に五覆奏すべし。天下の諸州は三覆奏せよ」と。又た手詔して敕して曰く、「比来、有司の獄を断ずるに、多く律文に拠る。情は矜れむべきに在りと雖も、敢えて法に違わず。文を守りて罪を定む。惑(うたが)うらくは恐らくは冤有らん。今より門下省の復して、法に拠りて死に合うも、情の矜れむべきに在る者有らば、宜しく状を録して奏聞すべし」と。
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貞観政要・刑法貞観元年、太宗侍臣に謂いて曰く、「死者は再び生くべからず。法を用うるは務めて寛簡に在り。古人云う、『棺を鬻(ひさ)ぐ者は歳の疫を欲す。人を疾(にく)むに非ず。棺の售(う)るに利あるが故なるのみ』と。今、法司は一獄を核理するに、必ず深刻を求む。其の考課を成さんと欲すればなり。今、何の法を作らば、平允ならしむるを得ん」と。諫議大夫王珪進みて曰く、「但だ公直良善の人を選び、獄を断ずること允当なる者は、秩を増し金を賜わば、即ち奸偽は自ら息(や)まん」と。詔して之に従う。太宗又た曰く、「古者、獄を断ずるに、必ず三槐・九棘の官に訊(と)う。今の三公・九卿は、即ち其の職なり。今より以後、大辟の罪は皆な中書・門下の四品以上及び尚書・九卿をして之を議せしめよ。此くの如くんば、庶(ちか)くは冤濫を免れん」と。是に由りて四年に至るまで、死刑を断ずること、天下に二十九人。幾(ほとん)ど刑措に致る。
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貞観政要・公平刑部尚書張亮、謀反に坐して獄に下る。詔して百官をして之を議せしむ。多く亮は誅に当たると言う。惟だ殿中少監李道裕のみ、亮の反形未だ具わらずと奏し、其の罪無きを明らかにす。太宗既に盛怒し、竟に之を殺す。俄かにして刑部侍郎に闕(けつ)有り。宰相をして妙に其の人を択ばしむ。累(しばしば)奏するも不可とす。太宗曰く、「吾は已に其の人を得たり。往者、李道裕は張亮を議して『反形未だ具わらず』と云う。公平と謂うべし。当時は其の言を用いずと雖も、今に至るまで追悔す」と。遂に道裕に刑部侍郎を授く。
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貞観政要・刑法蘊古は、初め貞観二年を以て、幽州総管府記室より中書省に兼直す。表して『大宝箴』を上る。文義は甚だ美なり。以て規誡すべし。其の詞に曰く、
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貞観政要・君臣鑑戒貞観四年、太宗隋の日を論ず。魏徴対えて曰く、「臣往に隋朝に在り。会(たまた)ま盗の発する有りと聞く。煬帝は于士澄をして捕逐せしむ。但だ疑似有れば、苦(はなは)だ拷掠を加う。枉げて賊たるを承(う)くる者二千余人。並びに同日に斬決せしむ。大理丞張元済之を怪しみ、試みに其の状を尋ぬ。乃ち六七人有り、盗の発する日、先に他所に禁ぜられ、放たれて才(わずか)に出づ。亦た推勘に遭い、苦痛に勝えず、自ら誣(し)いて盗を行うと。元済此に因りて更に事を究尋す。二千人の内、惟だ九人のみ逗遛(とうりゅう)して明らかならず。官人に諳識する者有り、九人の内、四人は賊に非ず。有司は煬帝已に斬決を令ずるを以て、遂に執奏せず、並びに之を殺す」と。太宗曰く、「是れ煬帝の無道なるのみに非ず、臣下も亦た心を尽くさず。須らく相い匡諫し、誅戮を避けざるべし。豈に惟だ諂佞を行い、苟も悦誉を求むるを得んや。君臣此くの如くんば、何ぞ敗れざるを得ん。朕は公等の共に相い輔佐するに頼り、遂に囹圄をして空虚ならしむ。願わくは公等、善く始め克く終え、恒に今日の如くあれ」と。
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貞観政要・刑法貞観十六年、太宗大理卿孫伏伽に謂いて曰く、「夫れ甲を作る者は其の堅きを欲す。人の傷つくを恐るればなり。箭を作る者は其の鋭きを欲す。人の傷つかざるを恐るればなり。何となれば、各々司存有り、利は称職に在るが故なり。朕は常に法官に刑罰の軽重を問う。毎に法網は往代より寛しと称す。仍お恐る、獄を主る司は、利は人を殺すに在り、人を危うくして自ら達し、以て声価を釣らんことを。今の憂うる所は、正に此に在るのみ。深く宜しく禁止し、務めて寛平に在るべし」と。
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