貞観政要 / 務農
貞觀十六年,太宗以天下粟價率計斗值五錢,其尤賤處,計斗值三錢,因謂侍臣曰:「國以民為本,人以食為命。若禾黍不登,則兆庶非國家所有。既屬豐稔若斯,朕為億兆人父母,唯欲躬務儉約,必不輒為奢侈。朕常欲賜天下之人,皆使富貴,今省徭賦,不奪其時,使比屋之人恣其耕稼,此則富矣。敦行禮讓,使鄉閭之間,少敬長,妻敬夫,此則貴矣。但令天下皆然,朕不聽管弦,不從畋獵,樂在其中矣!」
新字:貞観十六年,太宗以天下粟価率計斗値五銭,其尤賤処,計斗値三銭,因謂侍臣曰:「国以民為本,人以食為命。若禾黍不登,則兆庶非国家所有。既属豊稔若斯,朕為億兆人父母,唯欲躬務倹約,必不輒為奢侈。朕常欲賜天下之人,皆使富貴,今省徭賦,不奪其時,使比屋之人恣其耕稼,此則富矣。敦行礼譲,使郷閭之間,少敬長,妻敬夫,此則貴矣。但令天下皆然,朕不聴管弦,不従畋猟,楽在其中矣!」
書き下し
貞観十六年、太宗は天下の粟価、率(おおむ)ね計るに斗ごとに五銭に値し、其の尤も賤しき処は、計るに斗ごとに三銭に値するを以て、因りて侍臣に謂いて曰く、「国は民を以て本と為し、人は食を以て命と為す。若し禾黍登らずんば、則ち兆庶は国家の有する所に非ず。既に豊稔の斯くの若きに属す。朕は億兆の人の父母と為る。唯だ躬ら倹約に務め、必ず輒(すなわ)ち奢侈を為さざらんことを欲す。朕は常に天下の人に賜い、皆な富貴ならしめんと欲す。今、徭賦を省き、其の時を奪わず、比屋の人をして其の耕稼を恣にせしむ。此れ則ち富めり。礼譲を敦行し、郷閭の間、少は長を敬い、妻は夫を敬わしむ。此れ則ち貴し。但だ天下をして皆な然らしめば、朕は管弦を聴かず、畋猟に従わずとも、楽しみは其の中に在り」と。
現代語訳
貞観十六年、太宗は天下の穀物の値がおおむね一斗五銭、最も安いところでは一斗三銭であることから、側近の臣に言った。「国は民を根本とし、人は食を命とする。もし穀物が実らなければ、民は国家のものではなくなる。これほどの豊作である。私は億兆の民の父母だ。ただ自ら倹約に努め、決して奢侈をしないようにしたい。私は常に天下の人に与え、みな富貴にしたいと願う。今、労役と税を減らし、その時期を奪わず、家々の人に思う存分耕作させる。これが富だ。礼と譲りを篤く行い、郷里の間で、若者が年長者を敬い、妻が夫を敬うようにする。これが貴さだ。天下をみなそうさせられれば、私は音楽を聴かず、狩りに行かなくとも、楽しみはその中にある」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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貞観政要・務農貞観二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「凡そ事は皆な須らく本を務むべし。国は人を以て本と為し、人は衣食を以て本と為し、凡そ衣食を営むは、時を失わざるを以て本と為す。夫れ時を失わざる者は、人君の簡静なるに在りて乃ち致すべきのみ。若し兵戈屢々動き、土木息(や)まずして、農時を奪わざらんと欲するも、其れ得べけんや」と。王珪曰く、「昔、秦皇・漢武は、外は則ち兵戈を窮極し、内は則ち宮室を崇侈す。人力既に竭き、禍難遂に興る。彼は豈に人を安んぜんと欲せざらんや。人を安んずる所以の道を失えばなり。亡隋の轍、殷鑑遠からず。陛下は親しく其の弊を承け、之を易(か)うる所以を知る。然れども初めに在りては則ち易く、之を終うるは実に難し。伏して願わくは終わりを慎むこと始めの如くせば、方に其の美を尽くさん」と。太宗曰く、「公の言は是なり。夫れ人を安んじ国を寧んずるは、惟だ君に在り。君無為なれば則ち人楽しみ、君多欲なれば則ち人苦しむ。朕の情を抑え欲を損じ、己に克ちて自ら励ます所以なり」と。
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『帝範』務農第十夫(そ)れ食(しょく)は人(ひと)の天(てん)為(た)り、農(のう)は政(まつりごと)の本(もと)為(た)り。倉廪(そうりん)實(み)つれば則(すなは)ち禮節(れいせつ)を知(し)り、衣食(いしょく)足(た)れば則(すなは)ち㢘恥(れんち)を志(こころざ)す。故(ゆゑ)に躬(みづか)ら東郊(とうこう)に耕(たがや)し、敬(つつし)みて人(ひと)に時(とき)を授(さづ)く。國(くに)に九嵗(きゅうさい)の儲(たくは)へ無(な)ければ、水旱(すいかん)に備(そな)ふるに足(た)らず、家(いへ)に一年(いちねん)の服(ふく)無(な)ければ、寒暑(かんしょ)を御(ふせ)ぐに足(た)らず。然(しか)るに莫(な)くんばあらず、犢(こうし)を帶(お)び牛(うし)を佩(お)び、堅(けん)を棄(す)てて偽(ぎ)に就(つ)く。什一(じゅういち)の利(り)を求(もと)めて、農桑(のうそう)の基(もとゐ)を廢(はい)す。一人(いちにん)耕(たがや)して百人(ひゃくにん)食(しょく)するを以(も)ってすれば、其(そ)の害(がい)為(た)るや、秋螟(しゅうめい)よりも甚(はなは)だし。禁(きん)じて浮華(ふか)を絶(た)ち、耕織(こうしょく)を勸課(かんか)し、人(ひと)をして其(そ)の本(もと)に還(かへ)らしめ、俗(ぞく)をして其(そ)の真(しん)に反(かへ)らしむるに若(し)くは莫(な)し。則(すなは)ち競(きそ)ひて仁義(じんぎ)の心(こころ)を懷(いだ)き、永(なが)く貪殘(たんざん)の路(みち)を絶(た)つ。此(こ)れ務農(むのう)の本(もと)なり。斯(こ)の二者(にしゃ)は、制俗(せいぞく)の機(き)なり。
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貞観政要・政体太宗即位の始めより、霜旱(そうかん)災を為し、米穀踴貴(ようき)す。突厥侵擾し、州県騒然たり。帝の志は人を憂うるに在り、精を鋭くして政を為し、節倹を崇尚し、大いに恩徳を布(し)く。是の時、京師より河東・河南・隴右に及ぶまで、饑饉尤も甚だし。一匹の絹、纔(わず)かに一斗の米を得るのみ。百姓は東西に食を逐うと雖も、未だ嘗て嗟怨(さえん)せず。自ら安んぜざる莫し。貞観三年に至り、関中豊熟す。咸(みな)自ら郷に帰る。竟に一人の逃散する無し。其の人心を得ること此くの如し。加うるに諫に従うこと流るるが如く、雅(つね)に儒術を好み、孜孜として士を求め、務めて官を択ぶに在り。旧弊を改革し、制度を興復す。一事に因る毎に、類に触れて善を為す。初め、息隠(そくいん)・海陵の党、同謀して太宗を害せんとする者、数百千人なり。事寧(しず)まりて後、引きて左右近侍に居らしむ。心術豁然として、疑阻有らず。時論以為(おも)えらく、能く大事を断決し、帝王の体を得たり、と。深く官吏の貪濁を悪(にく)む。法を枉(ま)げて財を受くる者有らば、必ず赦免する無し。京に在る流外にして贓(ぞう)を犯す者有らば、皆な執奏せしめ、其の犯す所に随い、寘(お)くに重法を以てす。是に由りて官吏は多く自ら清謹なり。王公・妃主の家、大姓豪猾の伍を制馭す。皆な威を畏れて跡を屏(しりぞ)け、敢えて細人を侵欺する無し。商旅は野に次(やど)るも、復た盗賊無し。囹圄(れいご)は常に空しく、馬牛は野に布(し)き、外戸閉ざさず。又た頻りに豊稔を致し、米は斗三四銭。行旅は京師より嶺表に至り、山東より滄海に至るまで、皆な糧を賫(もた)らさず、給を路に取る。山東の村落に入れば、行客の経過する者、必ず厚く供待を加え、或いは発する時に贈遺(ぞうい)有り。此れ皆な古昔にも未だ有らざるなり。
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貞観政要・奢縦往者、貞観の初め、率土は霜倹なり。一匹の絹は才かに粟一斗を得たり。而して天下は帖然たり。百姓は陛下の甚だ之を憂憐するを知る。故に人人自ら安んじ、曾て謗讟無し。五六年より来、頻歳豊稔なり。一匹の絹は十余石の粟を得たり。而して百姓は皆な陛下の之を憂憐せざるを以て、咸な怨言有り。又た今、営為する所の者、頗る不急の務多きが故なり。古より以来、国の興亡は蓄積の多少に由らず、惟だ百姓の苦楽に在り。且つ近事を以て之を験するに、隋家は洛口倉に貯う。而して李密之に因る。東京に布帛を積む。王世充之に拠る。西京の府庫も亦た国家の用と為る。今に至るまで未だ尽きず。向(も)し洛口・東都に粟帛無からしめば、即ち世充・李密は未だ必ずしも能く大衆を聚めざらん。但だ貯積する者は固より是れ国の常事なり。要は当に人に余力有りて而る後に之を収むべし。若し人は労して強いて之を斂めば、竟に以て寇に資す。之を積むも益無きなり。然れども倹以て人を息(やす)ましむるは、貞観の初め、陛下已に躬ら之を為す。故に今、之を行うも難からざるなり。之を為すこと一日ならば、則ち天下之を知り、式(もっ)て歌い且つ舞わん。若し人は既に労し、而して之を用いて息(や)まずんば、倘(も)し中国が水旱の災を被り、辺方に風塵の警有り、狂狡之に因りて窃発せば、則ち測るべからざるの事有らん。徒らに聖躬の旰食晏寝するのみに非ざるなり。若し陛下の聖明を以て、誠に精を励まして政を為さんと欲せば、遠く上古の術を求むるを煩わさず。但だ貞観の初めに及ばば、則ち天下幸甚なり。
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貞観政要・政体貞観八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の時、百姓は縦(たと)い財物有るも、豈に此を保つを得んや。朕天下を有ちてより已来、心を存して撫養し、科差する所有る無し。人人皆な生を営むを得、其の資財を守る。即ち朕の賜う所なり。向(さき)に朕をして科喚(かかん)して已まざらしめば、数(しばしば)資賞賜すと雖も、亦た得ざるに如かず」と。魏徴対えて曰く、「堯・舜上に在り、百姓も亦た『田を耕して食らい、井を鑿(うが)ちて飲む』と云う。哺(ほ)を含み腹を鼓し、而して『帝何の力か』其の間に有らんと云えり。今、陛下は此の如く含養す。百姓は日に用いて知らずと謂うべし」と。又た奏して称す、「晋の文公出でて田(かり)し、獣を碭(とう)に逐い、大沢に入り、迷いて出づる所を知らず。其の中に漁者有り。文公之に謂いて曰く、『我は、若(なんじ)の君なり。道は将に安(いず)くにか出でん。我且つ厚く若に賜わん』と。漁者曰く、『臣は献ずること有らんことを願う』と。文公曰く、『沢を出でて之を受けん』と。是に於いて送りて沢を出づ。文公曰く、『今、子の寡人に教えんと欲する所の者は、何ぞや。願わくは之を受けん』と。漁者曰く、『鴻鵠(こうこく)は河海に保(よ)る。厭(あ)きて之を小沢に徙(うつ)せば、則ち矰丸(そうがん)の憂い有り。黿鼉(げんだ)は深淵に保る。厭きて之を浅渚に出ださば、必ず釣射の憂い有り。今、君は獣を碭に逐い、入りて此に至る。何ぞ行くことの太(はなは)だ遠きや』と。文公曰く、『善いかな』と。従者に謂いて漁者の名を記さしむ。漁者曰く、『君何ぞ名を以てせん。君の天を尊び地に事え、社稷を敬し、四国を保ち、万民を慈愛し、賦斂を薄くし、租税を軽くせんが為なれば、臣も亦た焉(ここ)に与(あずか)らん。君、天を尊ばず、地に事えず、社稷を敬せず、四海を固くせず、外は礼を諸侯に失い、内は民心に逆らわば、一国流亡せん。漁者は厚賜有りと雖も、保つを得ざるなり』と。遂に辞して受けず」と。太宗曰く、「卿の言は是なり」と。
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貞観政要・貪鄙貞観四年、太宗公卿に謂いて曰く、「朕は終日孜孜たり。但だ百姓を憂憐するのみに非ず。亦た卿等をして長く富貴を守らしめんと欲す。天は高からざるに非ず、地は厚からざるに非ず。朕は常に兢兢業業として、以て天地を畏る。卿等若し能く小心に法を奉じ、常に朕の天地を畏るるが如くんば、但だ百姓の安寧なるのみに非ず、自身も常に歓楽を得ん。古人云う、『賢者は財多ければ其の志を損じ、愚者は財多ければ其の過ちを生ず』と。此の言は深き誡と為すべし。若し私に徇(したが)い貪濁ならば、止だ公法を壊り、百姓を損するのみに非ず。縦(たと)い事は未だ発聞せずとも、中心豈に常に懼れざらんや。恐懼既に多くば、亦た因りて死を致す有り。大丈夫、豈に苟も財物を貪り、以て害の身命に及び、子孫をして毎に愧恥を懐かしむるを得んや。卿等宜しく深く此の言を思うべし」と。
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