貞観政要 / 礼楽
貞觀七年,太常卿蕭瑀奏言:「今《破陳樂舞》,天下之所共傳,然美盛德之形容,尚有所未盡。前後之所破劉武周、薛舉、竇建德、王世充等,臣願圖其形狀,以寫戰勝攻取之容。」太宗曰:「朕當四方未定,因為天下救焚拯溺,故不獲已,乃行戰伐之事,所以人間遂有此舞,國家因茲亦制其曲。然雅樂之容,止得陳其梗概,若委曲寫之,則其狀易識。朕以見在將相,多有曾經受彼驅使者,既經為一日君臣,今若重見其被擒獲之勢,必當有所不忍,我為此等,所以不為也。」蕭瑀謝曰:「此事非臣思慮所及。」
新字:貞観七年,太常卿蕭瑀奏言:「今《破陳楽舞》,天下之所共伝,然美盛徳之形容,尚有所未尽。前後之所破劉武周、薛舉、竇建徳、王世充等,臣願図其形状,以写戦勝攻取之容。」太宗曰:「朕当四方未定,因為天下救焚拯溺,故不獲已,乃行戦伐之事,所以人間遂有此舞,国家因茲亦制其曲。然雅楽之容,止得陳其梗概,若委曲写之,則其状易識。朕以見在将相,多有曽経受彼駆使者,既経為一日君臣,今若重見其被擒獲之勢,必当有所不忍,我為此等,所以不為也。」蕭瑀謝曰:「此事非臣思慮所及。」
書き下し
貞観七年、太常卿蕭瑀奏言す、「今の『破陣楽舞』は、天下の共に伝うる所なり。然れども盛徳を美とするの形容、尚お未だ尽くさざる所有り。前後の破る所の劉武周・薛挙・竇建徳・王世充等は、臣は其の形状を図し、以て戦勝攻取の容を写さんことを願う」と。太宗曰く、「朕は四方未だ定まらざるに当たり、天下の為に焚を救い溺を拯(すく)う。故に已むを獲ず、乃ち戦伐の事を行う。人間に遂に此の舞有る所以なり。国家も茲に因りて亦た其の曲を制す。然れども雅楽の容は、止だ其の梗概を陳ぶるを得るのみ。若し委曲に之を写さば、則ち其の状は識り易し。朕は見在の将相を以て、多く曾て彼の駆使を受くる者有り。既に経て一日の君臣と為る。今若し重ねて其の擒獲せらるるの勢を見ば、必ず当に忍びざる所有るべし。我は此等の為に、為さざる所以なり」と。蕭瑀謝して曰く、「此の事は臣の思慮の及ぶ所に非ず」と。
現代語訳
貞観七年、太常卿の蕭瑀が奏上した。「今の『破陣楽舞』は、天下がともに伝えるものです。しかし盛んな徳を讃える描写は、まだ尽くされていない点があります。かつて破った劉武周・薛挙・竇建徳・王世充らについて、臣はその姿を描き、戦に勝ち攻め取った様子を写したいと願います」。太宗は言った。「私は四方がまだ定まらない時、天下のために火を消し溺れる者を救おうとした。だからやむを得ず、戦を行った。それで世間にこの舞ができた。国家もそれによって曲を作った。しかし雅楽の姿は、その大筋を述べるだけでよい。もし細かく描けば、その様子がはっきり分かってしまう。私が思うに、今いる将軍や宰相には、かつて彼らに使われていた者が多い。一度は君臣であった。今、もし彼らが捕らえられる場面を再び見せられれば、必ず忍びない思いがあるだろう。私は彼らのために、そうしないのだ」。蕭瑀は謝って言った。「これは臣の思慮の及ぶところではありませんでした」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・礼楽太常少卿祖孝孫、定むる所の新楽を奏す。太宗曰く、「礼楽の作るは、是れ聖人の物に縁りて教えを設け、以て撙節(そんせつ)と為す。治政の善悪は、豈に此に由らんや」と。御史大夫杜淹対えて曰く、「前代の興亡は、実に楽に由る。陳の将に亡びんとするや『玉樹後庭花』を為り、斉の将に亡びんとするや『伴侶曲』を為る。行路も之を聞けば、悲泣せざる莫し。所謂る亡国の音なり。是を以て之を観れば、実に楽に由る」と。太宗曰く、「然らず。夫れ音声は豈に能く人を感ぜしめんや。歓ぶ者は之を聞けば則ち悦び、哀しむ者は之を聴けば則ち悲しむ。悲悦は人心に在り。楽に由るに非ざるなり。将に亡びんとするの政は、其の人心苦し。然れども苦心相い感ず。故に之を聞けば則ち悲しむのみ。何ぞ楽声の哀怨なる、能く悦ぶ者をして悲しましめんや。今、『玉樹』『伴侶』の曲は、其の声具さに存す。朕は能く公の為に之を奏せん。公の必ず悲しまざるを知るのみ」と。尚書右丞魏徴進みて曰く、「古人は称す、礼と云い、礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い、楽と云うも、鐘鼓を云わんや、と。楽は人の和に在り。音調に由らず」と。太宗之を然りとす。
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貞観政要・畋猟貞観十四年、太宗同州の沙苑に幸し、親ら猛獣を格(う)つ。復た晨(あした)に出でて夜に還る。特進魏徴奏言す、「臣聞く、『書』は文王の敢えて遊田に盤(たの)しまざるを美とし、『伝』は『虞箴』を述べて夷・羿を称して以て戒と為す、と。昔、漢の文は峻阪に臨みて馳せ下らんと欲す。袁盎は轡を攬(と)りて曰く、『聖主は危うきに乗らず、僥幸せず。今、陛下は六飛を騁(は)せ、不測の山に馳す。如し馬驚き車敗るる有らば、陛下は縦い自ら軽んぜんと欲するも、高廟を奈何せん』と。孝武は好んで猛獣を格つ。相如進みて諫む、『力は烏獲を称し、捷は慶忌を言う。人に誠に之れ有らば、獣も亦た宜しく然るべし。猝(にわか)に逸材の獣に遇い、存せざるの地に駭(おどろ)かば、烏獲・逄蒙の伎と雖も用うるを得ず。而して枯木朽株も尽く難と為らん。万全にして患い無しと雖も、然れども本と天子の宜しき所に非ず』と。孝元帝は泰畤に郊し、因りて留まりて射猟す。薛広徳称す、『窃かに見るに関東は困極し、百姓は災に離(かか)る。今日、亡秦の鐘を撞き、鄭・衛の楽を歌う。士卒は暴露し、従官は労倦す。宗廟社稷を安んぜんと欲せば、何ぞ河を憑(わた)り虎を暴(う)つ。未だ之を戒めざるか』と。臣窃かに此の数帝を思うに、心は豈に木石ならんや。独り馳騁の楽を好まざらんや。而して情を割き己を屈し、臣下の言に従いし者は、志は国を為むるに存し、身の為にせざればなり。臣、伏して聞く、車駕近く出でて、親ら猛獣を格ち、晨に往きて夜に還る、と。万乗の尊を以て、暗(くら)きに荒野を行き、深林を践み、豊草を渉る。甚だ万全の計に非ず。願わくは陛下、私情の娯しみを割き、格獣の楽を罷め、上は宗廟社稷の為にし、下は群寮兆庶を慰めよ」と。太宗曰く、「昨日の事は偶々塵昏に属す。故(ことさら)に然るに非ざるなり。今より深く用て誡と為さん」と。
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貞観政要・忠義貞観六年、左光禄大夫陳叔達に礼部尚書を授く。因りて謂いて曰く、「武徳中、公は曾て直言を太上皇に進め、朕に克定の大功有り、黜退すべからずと明らかにすと云う。朕は本性剛烈なり。若し抑挫する有らば、恐らくは憂憤に勝えず、以て疾斃の危きを致さん。今、公の忠謇を賞し、此の遷授有り」と。叔達対えて曰く、「臣は隋氏の父子自ら相い誅戮し、以て滅亡に至るを以てす。豈に覆車を目睹して、前轍を改めざるを容れんや。臣が誠を竭くして諫を進むる所以なり」と。太宗曰く、「朕は公が独り朕一人の為のみに非ず、実に社稷の計の為なるを知る」と。
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貞観政要・征伐臣聞く、兵は戢(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ、と。当今、聖化の覃(およ)ぶ所、遠しとして暨(いた)らざる無し。上古の臣とせざる所の者、陛下は皆な能く之を臣とす。制せざる所の者、皆な能く之を制す。詳らかに古今を観るに、中国の患害と為るは、突厥に過ぐるは無し。遂に能く坐して神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相い次いで手を束ぬ。禁衛を分典し、戟を執りて行間にあり。其の後、延陀は鴟張す。尋いで夷滅に就く。鉄勒は義を慕い、州県を置かんことを請う。沙漠已北、万里に塵無し。高昌の流沙に叛渙し、吐渾の積石に首鼠するが如きに至りては、偏師もて薄伐し、倶に平蕩に従う。高麗は歴代誅を逋(のが)れ、能く討撃する莫し。陛下は其の逆乱、主を殺し人を虐ぐるを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問う。未だ旬日を経ずして、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万を計る。諸州に分配し、満たざる処無し。往代の宿恥を雪ぎ、崤陵の枯骨を掩う。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安くんぞ敢えて備さに説かんや。
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貞観政要・征伐『周易』に曰く、「進むを知りて退くを知らず、存するを知りて亡ぶるを知らず、得るを知りて喪うを知らず」と。又た曰く、「進退存亡を知りて、其の正を失わざる者は、其れ惟だ聖人のみか」と。此に由りて之を言えば、進むに退くの義有り、存するに亡ぶるの機有り、得るに喪うの理有り。老臣の陛下の為に之を惜しむ所以の者は、蓋し此を謂うなり。『老子』に曰く、「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」と。臣謂えらく、陛下の威名功徳は、亦た足れりとすべし。地を拓き疆を開くは、亦た止むべし。彼の高麗なる者は、辺夷の賤類なり。侍するに仁義を以てするに足らず、責むるに常理を以てすべからず。古来、魚鱉を以て之を畜(か)う。宜しく闊略に従うべし。必ず其の種類を絶たんと欲せば、深く恐る、獣窮まれば則ち搏(う)つを。且つ陛下は死囚を決する毎に、必ず三覆五奏せしめ、素食を進め、音楽を停むる者は、蓋し人命の重んずる所を以て、聖慈を感動すればなり。況んや今、兵士の徒は、一の罪戻無し。故無くして之を戦陣の間に駆り、之を鋒刃の下に委ぬ。肝脳をして地に塗(まみ)れ、魂魄をして帰する無からしむ。其の老父・孤児、寡妻・慈母をして、轊車(えいしゃ)を望みて掩泣し、枯骨を抱きて心を摧かしむ。陰陽を変動し、和気を感傷するに足る。実に天下の冤痛なり。且つ兵は凶器、戦は危事なり。已むを得ずして之を用う。向(さき)に高麗をして臣節を違失せしめて、陛下之を誅するは可なり。百姓を侵擾せば、而して陛下之を滅ぼすは可なり。久長にして能く中国の患いを為さば、而して陛下之を除くは可なり。一も此に有らば、日に万夫を殺すと雖も、愧と為すに足らず。今、此の三条無し。坐して中国を煩わす。内は旧主の為に怨みを雪ぎ、外は新羅の為に仇に報ゆ。豈に存する所の者は小にして、損する所の者は大なるに非ずや。
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李衛公問対・卷中曹公は驕りて勝つことを好む。当時、諸将の『新書』を奉ずる者、敢へて其の短を攻むる莫し。且つ敵に臨みて表を立つるは、乃ち晩きこと無からんや。臣窃かに陛下の製する所の破陣楽舞を観るに、前に四表を出だし、後に八旛を綴り、左右に折旋し、金鼓に趨歩し、各(おのおの)其の節有り。此れ即ち八陣図、四頭八尾の制なり。人間(じんかん)但だ楽舞の盛んなるを見るのみ、豈に軍容の斯くの如きを知る有らんや。」太宗曰く、「昔漢の高帝天下を定め、歌ひて云ふ、『安(いづく)んぞ猛士を得て四方を守らしめん』と。蓋し兵法は意を以て授くべく、語を以て伝ふべからず。朕破陣楽舞を為(つく)るに、唯だ卿のみ已に其の表を暁れり。後世其れ我が苟(かりそめ)にも作らざるを知らん。」太宗曰く、「方色の五旗を正と為すか。旛麾の折衝を奇と為すか。分合を変と為すに、其の隊数は曷(なに)をか宜しきを得と為す。」靖曰く、「臣古法を参用す。凡そ三隊合すれば、則ち旗相倚りて交はらず。五隊合すれば、則ち両旗交はる。十隊合すれば、則ち五旗交はる。角を吹き、五交の旗を開けば、則ち一復た散じて十と為る。二交の旗を開けば、則ち一復た散じて五と為る。相倚りて交はらざるの旗を開けば、則ち一復た散じて三と為る。兵散ずれば則ち合を以て奇と為し、合すれば則ち散を以て奇と為す。三令五申し、三たび散じ三たび合し、然して復た正に帰す。四頭八尾、乃ち教ふべし。此れ隊法の宜しき所なり。」太宗善しと称す。太宗曰く、「曹公に『戦騎・陥騎・遊騎』有り、今の馬軍は何等にか比する。」靖曰く、「臣『新書』を案ずるに云ふ、『戦騎は前に居り、陥騎は中に居り、遊騎は後に居る。此くの如くんば、則ち是れ各名号を立て、分かちて三類と為すのみ。大抵騎隊の八馬は車徒二十四人に当たり、二十四騎は車徒七十二人に当たる。此れ古制なり。車徒は常に教ふるに正を以てし、騎隊は常に教ふるに奇を以てす』と。曹公に拠れば、前後及び中、分かちて三覆と為し、両廂を言はざるは、一端を挙げて言ふなり。
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