貞観政要 / 礼楽
貞觀十七年十二月癸丑,太宗謂侍臣曰:「今日是朕生日。俗間以生日可為喜樂,在朕情,翻成感思。君臨天下,富有四海,而追求侍養,永不可得。仲由懷負米之恨,良有以也。況《詩》云:『哀哀父母,生我劬勞。』奈何以劬勞之辰,遂為宴樂之事!甚是乖於禮度。」因而泣下久之。
新字:貞観十七年十二月癸丑,太宗謂侍臣曰:「今日是朕生日。俗間以生日可為喜楽,在朕情,翻成感思。君臨天下,富有四海,而追求侍養,永不可得。仲由懐負米之恨,良有以也。況《詩》云:『哀哀父母,生我劬労。』奈何以劬労之辰,遂為宴楽之事!甚是乖於礼度。」因而泣下久之。
書き下し
貞観十七年十二月癸丑、太宗侍臣に謂いて曰く、「今日は是れ朕の生日なり。俗間は生日を以て喜楽を為すべしとす。朕の情に在りては、翻って感思を成す。天下に君臨し、富は四海を有す。而して侍養を追求するも、永く得べからず。仲由は米を負うの恨みを懐く。良に以有るなり。況んや『詩』に云う、『哀哀たる父母、我を生みて劬労せり』と。奈何ぞ劬労の辰を以て、遂に宴楽の事を為さんや。甚だ是れ礼度に乖く」と。因りて泣下ること之を久しくす。
現代語訳
貞観十七年十二月癸丑の日、太宗が側近の臣に言った。「今日は私の誕生日だ。世間では誕生日を喜び楽しむ日とする。しかし私の心では、かえって感慨となる。天下に君臨し、四海を富として持っている。それでも親に仕えて養おうとしても、永久にできない。子路は米を背負って親に運んだ日を懐かしんで恨んだ。まことに理由がある。まして『詩経』に『哀しい父母よ、私を生んで苦労された』とある。どうして苦労された日をもって、宴を張って楽しむのか。甚だしく礼の度に背いている」。そして長く涙を流した。
解説
太宗は自分の誕生日に、家臣を前にして「今日は私が生まれた日だが、少しも嬉しくない」と言いました。世間では誕生日を祝うものとされていますが、自分が生まれたということは、それだけ母が苦しんだ日でもあるからです。天下を治め、あらゆる富を手にしていても、その母にもう孝行することはできません。子路が貧しい頃、親のために重い米を背負って運んだ日を懐かしんだという話や、「哀れな父母よ、私を生んで苦労された」という詩の一節を引き、太宗は長く涙を流しました。私たちも誕生日や記念日を、ただにぎやかに祝うだけでなく、その日を支えてくれた人への感謝を思い出す日として捉え直してみると、当たり前になっている行事の意味が違って見えてきます。
この章句が説くこと
今日是朕生日哀哀父母生我劬労習慣を意味に立ち返る
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