貞観政要 / 礼楽
《禮記》曰:「兄弟之子猶子也,蓋引而進之也。嫂叔之無服,蓋推而遠之也。」禮,繼父同居則為之期,未嘗同居則不為服。從母之夫,舅之妻,二人相為服。或曰「同爨緦麻」。然則繼父且非骨肉,服重由乎同爨,恩輕在乎異居。固知制服雖系於名文,蓋亦緣恩之厚薄者也。或有長年之嫂,遇孩童之叔,劬勞鞠養,情若所生,分饑共寒,契闊偕老,譬同居之繼父,方他人之同爨,情義之深淺,寧可同日而言哉?在其生也,乃愛同骨肉,於其死也,則推而遠之,求之本源,深所未喻。若推而遠之為是,則不可生而共居;生而共居為是,則不可死同行路。重其生而輕其死,厚其始而薄其終,稱情立文,其義安在?且事嫂見稱,載籍非一。鄭仲虞則恩禮甚篤,顏弘都則竭誠致感,馬援則見之必冠,孔伋則哭之為位,此蓋並躬踐教義,仁深孝友,察其所行之旨,豈非先覺者歟?但於時上無哲王,禮非下之所議,遂使深情郁於千載,至理藏於萬古,其來久矣,豈不惜哉!
新字:《礼記》曰:「兄弟之子猶子也,蓋引而進之也。嫂叔之無服,蓋推而遠之也。」礼,継父同居則為之期,未嘗同居則不為服。従母之夫,舅之妻,二人相為服。或曰「同爨緦麻」。然則継父且非骨肉,服重由乎同爨,恩輕在乎異居。固知制服雖系於名文,蓋亦縁恩之厚薄者也。或有長年之嫂,遇孩童之叔,劬労鞠養,情若所生,分饑共寒,契闊偕老,譬同居之継父,方他人之同爨,情義之深浅,寧可同日而言哉?在其生也,乃愛同骨肉,於其死也,則推而遠之,求之本源,深所未喻。若推而遠之為是,則不可生而共居;生而共居為是,則不可死同行路。重其生而輕其死,厚其始而薄其終,稱情立文,其義安在?且事嫂見稱,載籍非一。鄭仲虞則恩礼甚篤,顏弘都則竭誠致感,馬援則見之必冠,孔伋則哭之為位,此蓋並躬践教義,仁深孝友,察其所行之旨,豈非先覺者歟?但於時上無哲王,礼非下之所議,遂使深情郁於千載,至理蔵於万古,其来久矣,豈不惜哉!
書き下し
『礼記』に曰く、「兄弟の子は猶お子のごときなり。蓋し引きて之を進むるなり。嫂叔の服無きは、蓋し推して之を遠ざくるなり」と。礼、継父の同居せば則ち之が為に期す。未だ嘗て同居せずんば則ち為に服せず。従母の夫、舅の妻、二人は相い為に服す。或いは曰く「爨を同じくすれば緦麻」と。然らば則ち継父は且つ骨肉に非ず。服の重きは爨を同じくするに由る。恩の軽きは異居に在り。固より知る、服を制するは名文に係ると雖も、蓋し亦た恩の厚薄に縁る者なり。或いは長年の嫂の、孩童の叔に遇い、劬労鞠養し、情は生む所の若く、饑を分かち寒を共にし、契闊して偕(とも)に老ゆる有り。同居の継父に譬え、他人の爨を同じくするに方(くら)ぶるに、情義の深浅、寧ぞ同日にして言うべけんや。其の生けるに在りては、乃ち愛は骨肉に同じく、其の死せるに於ては、則ち推して之を遠ざく。之を本源に求むるに、深く未だ喻らざる所なり。若し推して之を遠ざくるを是と為さば、則ち生きて共居すべからず。生きて共居するを是と為さば、則ち死して行路を同じくすべからず。其の生を重んじて其の死を軽んじ、其の始めを厚くして其の終わりを薄くす。情に称いて文を立つ。其の義は安くにか在る。且つ嫂に事えて称せらるるは、載籍に一に非ず。鄭仲虞は則ち恩礼甚だ篤し。顔弘都は則ち誠を竭くして感を致す。馬援は則ち之を見れば必ず冠す。孔伋は則ち之を哭して位を為す。此れ蓋し並びに躬ら教義を践み、仁は深く孝友なり。其の行う所の旨を察するに、豈に先覚者に非ずや。但だ時に於て上に哲王無く、礼は下の議する所に非ず。遂に深情をして千載に鬱せしめ、至理をして万古に蔵せしむ。其の来たること久し。豈に惜しからずや。
現代語訳
『礼記』に「兄弟の子は、我が子のようなものだ。引き寄せて近づけるのだ。兄嫁と義弟に喪服がないのは、押しやって遠ざけるのだ」とあります。礼では、継父と同居すれば一年の喪に服し、同居しなければ服さない。母の姉妹の夫、母の兄弟の妻は、互いに喪服を着る。「同じ竈なら緦麻」とも言います。であれば、継父は血縁ではないのに、喪服が重いのは同じ竈だからで、恩が軽いのは別居だからです。もとより、喪服の制定は名分によるとはいえ、実は恩の厚薄によると分かります。年長の兄嫁が幼い義弟を引き取り、苦労して育て、情は実の子のようで、飢えを分かち寒さを共にし、苦楽を共にして共に老いることもあります。同居の継父に喩え、他人と竈を同じくする場合と比べて、情義の深さは、同じに語れましょうか。生きている時は骨肉のように愛し、死んだ時は押しやって遠ざける。根本に立ち返って考えると、まったく理解できません。もし押しやって遠ざけるのが正しいなら、生きて共に住むべきではない。生きて共に住むのが正しいなら、死んで赤の他人とすべきではない。生を重んじて死を軽んじ、始めを厚くして終わりを薄くする。情にかなって規定を立てるという義は、どこにあるのですか。それに兄嫁に仕えて称えられた例は、書物に一つや二つではありません。鄭仲虞は恩と礼が篤く、顔弘都は誠を尽くして感じさせ、馬援は会うたび必ず冠をつけ、孔伋は哭して位牌を設けました。これらはみな自ら教えと義を実践し、仁が深く孝友でした。その行いの意を察すれば、先覚者ではないでしょうか。ただ当時、上に賢王がなく、礼は下の者が議論できるものではなかった。そのため深い情が千年にわたって塞がれ、至高の道理が万古に隠れた。それは久しいことです。惜しくないでしょうか。