貞観政要 / 礼楽
貞觀十二年,太宗謂侍臣曰:「古者諸侯入朝,有湯沐之邑,芻禾百車,待以客禮。晝坐正殿,夜設庭燎,思與相見,問其勞苦。又漢家京成亦為諸郡立邸舍。頃聞考使至京者,皆賃房以坐,與商人雜居,才得容身而已。既待禮之不足,必是人多怨嘆,豈肯竭情於共理哉?」乃令就京城閑坊,為諸州考使各造邸第。及成,太宗親幸觀焉。
新字:貞観十二年,太宗謂侍臣曰:「古者諸侯入朝,有湯沐之邑,芻禾百車,待以客礼。昼坐正殿,夜設庭燎,思与相見,問其労苦。又漢家京成亦為諸郡立邸舎。頃聞考使至京者,皆賃房以坐,与商人雑居,才得容身而已。既待礼之不足,必是人多怨嘆,豈肯竭情於共理哉?」乃令就京城閑坊,為諸州考使各造邸第。及成,太宗親幸観焉。
書き下し
貞観十二年、太宗侍臣に謂いて曰く、「古者、諸侯の入朝するに、湯沐の邑有り、芻禾百車、待するに客礼を以てす。昼は正殿に坐し、夜は庭燎を設く。与に相い見え、其の労苦を問わんと思う。又た漢家は京成にも亦た諸郡の為に邸舎を立つ。頃(このごろ)聞く、考使の京に至る者は、皆な房を賃(か)りて以て坐し、商人と雑居し、才かに身を容るるを得るのみ、と。既に待礼の足らず。必ず是れ人多く怨嘆せん。豈に肯えて情を共理に竭くさんや」と。乃ち京城の閑坊に就きて、諸州の考使の為に各々邸第を造らしむ。成るに及び、太宗親ら幸して観る。
現代語訳
貞観十二年、太宗が側近の臣に言った。「昔、諸侯が朝廷に来る時は、湯沐の領地があり、飼葉を百台の車で与え、客としての礼で遇した。昼は正殿に座り、夜は庭に篝火を焚いて、会って労苦を尋ねようとした。また漢の時代は、都にも諸郡のために宿舎を建てた。近頃聞くところでは、地方から報告に来る使者は、みな部屋を借りて座り、商人と雑居し、かろうじて身を置くだけだという。礼遇が足りない。必ず多くの者が怨み嘆くだろう。どうして共に治めることに心を尽くしてくれようか」。そこで都の空いた区画に、諸州の使者のために宿舎を造らせた。完成すると、太宗は自ら行って見た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
-
言志四録・南洲手抄信上下に孚す、天下甚だ処し難き事無し。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝鄒陽は、斉人なり。梁に游び、故の呉人荘忌夫子・淮陰の枚生の徒と交はる。書を上りて羊勝・公孫詭の間に介す。勝等鄒陽を嫉み、之を梁の孝王に悪す。孝王怒り、之を吏に下し、将に之を殺さんと欲す。鄒陽客游して、讒を以て禽へらる。死して負累せんことを恐れ、乃ち獄中より書を上りて曰く、臣聞く、忠は報いられざる無く、信は疑はれずと。臣常に以て然りと為せしも、徒だ虚語のみ。昔者、荊軻は燕丹の義を慕ひ、白虹日を貫くも、太子之を畏る。衛先生は秦の為に長平の事を画し、太白昴を蝕すも、昭王之を疑ふ。夫れ精は天地を変ずるも、信は両主に喩らず。豈に哀しからずや。今、臣忠を尽くし誠を竭くし、議を畢くして知られんことを願ふも、左右明らかならず、卒に吏の訊に従ひ、世の疑ふ所と為る。是れ荊軻・衛先生をして復た起たしむるも、燕・秦悟らざるなり。願はくは大王孰く之を察せよ。昔、卞和宝を献じて、楚王之を刖る。李斯忠を竭くして、胡亥極刑にす。是を以て箕子は詳り狂ひ、接輿は世を辟く。此の患に遭はんことを恐るればなり。願はくは大王、卞和・李斯の意を孰察して、楚王・胡亥の聴を後にし、臣をして箕子・接輿の笑ふ所と為らしむる無かれ。臣聞く、比干は心を剖かれ、子胥は鴟夷せらると。臣始め信ぜざりしも、乃ち今之を知る。願はくは大王孰察して、少しく憐れみを加へよ。諺に曰く、「白頭にして新たなるが如き有り、傾蓋にして故きが如し」と。何となれば、知ると知らざるとなり。故に昔、樊於期は秦を逃れて燕に之き、首を荊軻に藉して以て丹の事を奉ず。王奢は斉を去りて魏に之き、城に臨みて自剄し、以て斉を卻けて魏を存す。夫れ王奢・樊於期は、斉・秦に新たにして燕・魏に故きに非ざるなり。二国を去りて両君に死する所以の者は、行ひ志に合ひて義を慕ふこと窮まり無ければなり。是を以て蘇秦は天下に信ぜられざるも、燕の為に尾生たり。白圭は戦ひて六城を亡ふも、魏の為に中山を取る。何となれば、誠に以て相知る有ればなり。
-
『酔古堂剣掃』集醒・易く信ずる者は必ず易く疑ふ輕く與ふる者は必ず濫りに取り、易く信ずる者は必ず易く疑ふ。
-
史記 范雎蔡沢列伝卒に范睢の謀を聴き、五大夫綰をして魏を伐たしめ、懐を抜く。後二歳、邢丘を抜く。客卿范睢また昭王に説きて曰く、「秦・韓の地形は、相錯はること繡の如し。秦の韓有るや、譬へば木の蠹有るが如く、人の心腹の病有るがごときなり。天下変無くんば則ち已む、天下変有らば、その秦の患ひと為る者、孰か韓より大ならんや。王は韓を収むるに如かず」と。昭王曰く、「吾固より韓を収めんと欲す、韓聴かず、これを為すこと柰何」と。対へて曰く、「韓安んぞ聴くこと無きを得んや。王、兵を下して滎陽を攻めば、則ち鞏・成皋の道通ぜず。北のかた太行の道を断たば、則ち上党の師下らず。王一たび兵を興して滎陽を攻めば、則ちその国断たれて三と為らん。夫れ韓は必ず亡ぶるを見ば、安んぞ聴かざるを得んや。若し韓聴かば、而して霸事因りて慮るべし」と。王曰く、「善し」と。且に使ひを韓に発せんとす。范睢日に益々親しまれ、また説きて用ひらるること数年、因りて閒を請ひて説きて曰く、「臣山東に居りし時、斉の田文有るを聞きて、その王有るを聞かず。
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る