貞観政要 / 礼楽
貞觀六年,太宗謂尚書左僕射房玄齡曰:「比有山東崔、盧、李、鄭四姓,雖累葉陵遲,猶恃其舊地,好自矜大,稱為士大夫。每嫁女他族,必廣索聘財,以多為貴,論數定約,同於市賈,甚損風俗,有紊禮經。既輕重失宜,理須改革。」乃詔吏部尚書高士廉、御史大夫韋挺、中書侍郎岑文本、禮部侍郎令狐德棻等,刊正姓氏,普責天下譜牒,兼據憑史傳,剪其浮華,定其真偽,忠賢者褒進,悖逆者貶黜,撰為《氏族志》。士廉等及進定氏族等第,遂以崔幹為第一等。太宗謂曰:「我與山東崔、盧、李、鄭,舊既無嫌,為其世代衰微,全無官宦,猶自云士大夫,婚姻之際,則多索財物,或才識庸下,而偃仰自高,販鬻松槚,依托富貴,我不解人間何為重之?且士大夫有能立功,爵位崇重,善事君父,忠孝可稱,或道義清素,學藝通博,此亦足為門戶,可謂天下士大夫。今崔、盧之屬,惟矜遠葉衣冠,寧比當朝之貴?公卿已下,何暇多輸錢物,兼與他氣勢,向聲背實,以得為榮。我今定氏族者,誠欲崇樹今朝冠冕,何因崔幹猶為第一等,只看卿等不貴我官爵耶?不論數代已前,只取今日官品、人才作等級,宜一量定,用為永則。」遂以崔幹為第三等。至十二年,書成,凡百卷,頒天下。又詔曰:「氏族之美,實系於冠冕,婚姻之道,莫先於仁義。自有魏失御,齊氏雲亡,市朝既遷,風俗陵替,燕、趙古姓,多失衣冠之緒,齊、韓舊族,或乖禮義之風。名不著於州閭,身未免於貧賤,自號高門之胄,不敦匹嫡之儀,問名惟在於竊貲,結褵必歸於富室。乃有新官之輩,豐財之家,慕其祖宗,競結婚姻,多納貨賄,有如販鬻。或自貶家門,受辱於姻婭;或矜其舊望,行無禮於舅姑。積習成俗,迄今未已,既紊人倫,實虧名教。朕夙夜兢惕,憂勤政道,往代蠹害,咸已懲革,唯此弊風,未能盡變。自今以後,明加告示,使識嫁娶之序,務合禮典,稱朕意焉。」
新字:貞観六年,太宗謂尚書左僕射房玄齢曰:「比有山東崔、盧、李、鄭四姓,雖累葉陵遅,猶恃其旧地,好自矜大,称為士大夫。毎嫁女他族,必広索聘財,以多為貴,論数定約,同於市賈,甚損風俗,有紊礼経。既軽重失宜,理須改革。」乃詔吏部尚書高士廉、御史大夫韋挺、中書侍郎岑文本、礼部侍郎令狐徳棻等,刊正姓氏,普責天下譜牒,兼拠憑史伝,剪其浮華,定其真偽,忠賢者褒進,悖逆者貶黜,撰為《氏族志》。士廉等及進定氏族等第,遂以崔幹為第一等。太宗謂曰:「我与山東崔、盧、李、鄭,旧既無嫌,為其世代衰微,全無官宦,猶自云士大夫,婚姻之際,則多索財物,或才識庸下,而偃仰自高,販鬻松槚,依托富貴,我不解人間何為重之?且士大夫有能立功,爵位崇重,善事君父,忠孝可称,或道義清素,学芸通博,此亦足為門戸,可謂天下士大夫。今崔、盧之属,惟矜遠葉衣冠,寧比当朝之貴?公卿已下,何暇多輸銭物,兼与他気勢,向声背実,以得為栄。我今定氏族者,誠欲崇樹今朝冠冕,何因崔幹猶為第一等,只看卿等不貴我官爵耶?不論数代已前,只取今日官品、人才作等級,宜一量定,用為永則。」遂以崔幹為第三等。至十二年,書成,凡百巻,頒天下。又詔曰:「氏族之美,実系於冠冕,婚姻之道,莫先於仁義。自有魏失御,斉氏雲亡,市朝既遷,風俗陵替,燕、趙古姓,多失衣冠之緒,斉、韓旧族,或乖礼義之風。名不著於州閭,身未免於貧賤,自号高門之胄,不敦匹嫡之儀,問名惟在於窃貲,結褵必帰於富室。乃有新官之輩,豊財之家,慕其祖宗,競結婚姻,多納貨賄,有如販鬻。或自貶家門,受辱於姻婭;或矜其旧望,行無礼於舅姑。積習成俗,迄今未已,既紊人倫,実虧名教。朕夙夜兢惕,憂勤政道,往代蠹害,咸已懲革,唯此弊風,未能尽変。自今以後,明加告示,使識嫁娶之序,務合礼典,称朕意焉。」
書き下し
貞観六年、太宗尚書左僕射房玄齢に謂いて曰く、「比(このごろ)山東の崔・盧・李・鄭の四姓有り。累葉陵遅すと雖も、猶お其の旧地を恃み、好んで自ら矜大し、称して士大夫と為す。女を他族に嫁がしむる毎に、必ず広く聘財を索(もと)め、多きを以て貴しと為す。数を論じ約を定むること、市賈に同じ。甚だ風俗を損し、礼経を紊(みだ)す有り。既に軽重は宜しきを失う。理として須らく改革すべし」と。乃ち吏部尚書高士廉・御史大夫韋挺・中書侍郎岑文本・礼部侍郎令狐徳棻等に詔して、姓氏を刊正し、普く天下の譜牒を責め、兼ねて史伝に拠憑し、其の浮華を剪り、其の真偽を定め、忠賢なる者は褒進し、悖逆なる者は貶黜し、撰して『氏族志』と為さしむ。士廉等及び進みて氏族の等第を定むるに、遂に崔幹を以て第一等と為す。太宗謂いて曰く、「我は山東の崔・盧・李・鄭と、旧より既に嫌無し。其の世代衰微し、全く官宦無く、猶お自ら士大夫と云うが為なり。婚姻の際は、則ち多く財物を索む。或いは才識庸下にして、偃仰して自ら高しとす。松槚を販鬻し、富貴に依託す。我は解せず、人間、何為れぞ之を重んずるや。且つ士大夫に能く功を立て、爵位崇重にして、善く君父に事え、忠孝称すべく、或いは道義清素、学芸通博なる有らば、此れ亦た門戸と為すに足る。天下の士大夫と謂うべし。今、崔・盧の属は、惟だ遠葉の衣冠を矜るのみ。寧ぞ当朝の貴に比せんや。公卿已下、何ぞ多く銭物を輸し、兼ねて他に気勢を与うるに暇あらんや。声に向かい実に背き、以て得るを栄と為す。我は今、氏族を定むる者は、誠に今朝の冠冕を崇樹せんと欲すればなり。何に因りてか崔幹を猶お第一等と為す。只だ卿等の我が官爵を貴ばざるを看るか。数代已前を論ぜず、只だ今日の官品・人才を取りて等級と作せ。宜しく一に量定し、用て永則と為すべし」と。遂に崔幹を以て第三等と為す。十二年に至り、書成る。凡そ百巻。天下に頒つ。又た詔して曰く、「氏族の美は、実に冠冕に係る。婚姻の道は、仁義より先なるは莫し。魏の御を失い、斉氏の雲亡するより、市朝は既に遷り、風俗は陵替す。燕・趙の古姓は、多く衣冠の緒を失う。斉・韓の旧族は、或いは礼義の風に乖く。名は州閭に著れず、身は貧賤を免れず。自ら高門の胄と号し、匹嫡の儀を敦くせず。名を問うは惟だ貲を竊むに在り、褵を結ぶは必ず富室に帰す。乃ち新官の輩、豊財の家有り、其の祖宗を慕い、競いて婚姻を結び、多く貨賄を納る。販鬻の如き有り。或いは自ら家門を貶し、辱を姻婭に受く。或いは其の旧望を矜り、無礼を舅姑に行う。習を積みて俗を成し、今に迄(いた)るまで未だ已まず。既に人倫を紊り、実に名教を虧く。朕は夙夜兢惕し、政道に憂勤す。往代の蠹害は、咸な已に懲革す。唯だ此の弊風のみ、未だ尽くは変ずる能わず。今より以後、明らかに告示を加え、嫁娶の序を識り、務めて礼典に合し、朕の意に称わしめよ」と。
現代語訳
貞観六年、太宗が尚書左僕射の房玄齢に言った。「近頃、山東の崔・盧・李・鄭の四姓がある。代々衰えているのに、なお昔の家柄を恃み、好んで誇り高ぶり、士大夫と称している。娘を他家に嫁がせるたび、必ず多額の結納を求め、多いことを貴しとする。金額を論じて契約を結ぶさまは、商人と変わらない。甚だしく風俗を損ない、礼の経典を乱している。軽重の判断を誤っている。道理として改めるべきだ」。そこで吏部尚書の高士廉、御史大夫の韋挺、中書侍郎の岑文本、礼部侍郎の令狐徳棻らに詔して、姓氏を正し、天下の系図を集め、史書に照らし、浮ついたものを削り、真偽を定め、忠実で賢明な者は讃えて上げ、道に背いた者は下げて、『氏族志』を編纂させた。高士廉らが氏族の等級を定めて奏上すると、崔幹を第一等とした。太宗は言った。「私は山東の崔・盧・李・鄭に、もともと恨みはない。ただ、代々衰えて、官職に就く者もいないのに、なお自ら士大夫と称するのが問題だ。婚姻の際には多くの財物を求める。才も見識も乏しいのに、ふんぞり返って自らを高しとする。墓地の木を売り、富貴の者に取り入る。私には分からない。世間はなぜこれを重んじるのか。そもそも士大夫に、功を立て、爵位が高く、よく君父に仕え、忠孝が称えられ、あるいは道義が清らかで、学芸に広く通じた者があれば、それこそ家柄となる。天下の士大夫と言うべきだ。今、崔や盧の輩は、ただ遠い先祖の官位を誇るだけだ。どうして今の朝廷の貴人に比べられよう。公卿以下、どうして多くの金を払い、他人に威勢を与える暇があろうか。評判に向かい実質に背き、それを得ることを栄誉としている。私が今、氏族を定めるのは、まことに今の朝廷の官位を高く立てたいからだ。それなのになぜ崔幹をなお第一等とするのか。あなたがたは、私の官爵を貴ばないというのか。数代前を論ぜず、ただ今日の官位と人材によって等級を作れ。一律に定めて、永久の法とせよ」。そこで崔幹を第三等とした。十二年に至って書が成った。全百巻。天下に頒布した。また詔して言った。「氏族の美は、実に官位にかかる。婚姻の道は、仁義に先立つものはない。魏が統御を失い、北斉が滅んでから、朝廷は移り、風俗は衰えた。燕や趙の古い姓は、多くが官位の伝統を失った。斉や韓の旧家は、礼義の風に背いている。名は郷里に知られず、身は貧賤を免れない。それでも自ら名門の子孫と称し、正しい婚姻の儀を篤くしない。名を問うのは財を掠め取るためであり、縁を結ぶのは必ず富家に向かう。そこへ新任の官の輩や、富裕な家が、その先祖を慕って競って婚姻を結び、多くの財物を納める。商売のようだ。あるいは自ら家門を貶め、姻戚から辱めを受ける。あるいは昔の名声を誇り、舅姑に無礼を働く。習慣が積もって風俗となり、今に至るまでやまない。人倫を乱し、教えを損なっている。私は朝夕恐れ慎み、政治の道に努めてきた。過去の害は、みな改めた。ただこの悪しき風だけが、まだ変えられない。今後、明らかに告示を加え、婚姻の順序を知らせ、礼の典にかなうようにし、私の意に応えよ」。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・文史貞観十四年、太宗房玄齢に謂いて曰く、「朕は前代の史書を観る毎に、善を彰らかにし悪を癉(にく)む。将来の規誡と為すに足る。知らず、古より当代の国史は、何に因りて帝王をして親しく之を見しめざるか」と。対えて曰く、「国史は既に善悪必ず書す。庶くは人主をして非法を為さざらしむ。止だ応に旨に忤(さか)らう有るを畏るべし。故に見るを得ざるなり」と。太宗曰く、「朕の意は殊に古人と同じからず。今、自ら国史を看んと欲する者は、蓋し善事有らば、固より論ずるを須(もち)いず。若し不善有らば、亦た以て鑒誡と為し、自ら修改するを得しめんと欲するのみ。卿、撰録して進め来たるべし」と。玄齢等、遂に国史を刪略して編年体と為し、高祖・太宗の実録各二十巻を撰し、表して之を上る。太宗は六月四日の事を見るに、語は微文多し。乃ち玄齢に謂いて曰く、「昔、周公は管・蔡を誅して周室安し。季友は叔牙を鴆して魯国寧し。朕の為す所は、義は此の類に同じ。蓋し社稷を安んじ、万民を利する所以なるのみ。史官の筆を執るに、何ぞ隠す有るを煩わさんや。宜しく即ち浮詞を改削し、直ちに其の事を書すべし」と。侍中魏徴奏して曰く、「臣聞く、人主は位は尊極に居り、忌憚する所無し。惟だ国史有りて、用て悪を懲らし善を勧むと為す。書して実を以てせずんば、後嗣何をか観ん。陛下、今、史官を遣わして其の辞を正さしむ。雅(まさ)に至公の道に合す」と。
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貞観政要・封建貞観元年、中書令房玄齢を封じて邗国公と為し、兵部尚書杜如晦を蔡国公と為し、吏部尚書長孫無忌を斉国公と為す。並びに第一等と為し、食邑実封千三百戸。皇の従父淮安王神通、上言す、「義旗初めて起こるや、臣は兵を率いて先に至る。今、玄齢等は刀筆の人なり。功は第一に居る。臣窃かに服せず」と。太宗曰く、「国家の大事は、惟だ賞と罰なり。賞は其の労に当たれば、無功なる者は自ら退く。罰は其の罪に当たれば、悪を為す者は咸な懼る。則ち知る、賞罰は軽々しく行うべからざるを。今、勲を計り賞を行うに、玄齢等には帷幄に籌謀し、社稷を画定するの功有り。漢の蕭何の、汗馬無しと雖も、蹤を指し轂を推すに、故に功は第一に居るを得たる所以なり。叔父は国に於て至親なり。誠に愛惜する無し。但だ私に縁りて濫りに勲臣と賞を同じくすべからざるを以てなり」と。是に由りて諸々の功臣は自ら相い謂いて曰く、「陛下は至公を以てし、賞は其の親を私せず。吾が属は何ぞ妄りに訴うべけんや」と。初め、高祖は宗正の籍を挙げ、弟姪・再従・三従の孩童已上、王に封ぜらるる者数十人。是に至り、太宗群臣に謂いて曰く、「両漢より已降、惟だ子及び兄弟を封ず。其の疎遠なる者は、大功有るに非ざれば、漢の賈・沢の如きは、並びに封を受くるを得ず。若し一切王に封じ、多く力役を給せば、乃ち万姓を労苦せしめ、以て己の親属を養うに至る」と。是に於て宗室の先に郡王に封ぜられ、其の間に功無き者は、皆な降して県公と為す。
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